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 競争馬の引退後
 本2017年7月9日、YAHOO Japan で 馬だって「転職」は簡単じゃない という記事を見ました。競走馬を引退した馬がその後どのような道をたどるかを、専門家の長年の経験から詳しく解説しています。

人間の転職はなかなか難しいものですが、現役を引退した競走馬も、それまでの競馬歴、現在の運動能力などによりその後の人生ならぬ馬生が変わります。

もと高知競馬所属の牝馬ハルウララは、負けても負けてもめげずに激走する姿が人気をよび、映画やレコードにまでなりました。ハルウララは2004年には10歳(人間の年齢では30歳ぐらい)に近くなり、ついに競馬界から引退しました。

ハルウララは、現在は千葉県御宿町のマーサファームという牧場でのんびりと暮らしています。21歳になったハルウララに会いに行こうというバスツアーがあり、ハルウララファンでにぎわっているそうです。

ハルウララ

 ハルウララのような超有名馬や種牡馬になれる優秀馬なら、上記のように安楽な余生を過ごせますが、そのような馬はほんの少しで、普通の競走馬は引退後は困難な道が待ち構えています。

引退してもなお体力のある馬は、上記記事によると競馬場などで下働きをするか、馬術競技などの乗馬を目指すことが多いそうです。

といっても、それまで長年にわたって過酷なレースで他の馬とバトルを繰り広げてきた競走馬は、概して気性が激しく、レース以外の仕事には向いていない例が多いということです。

誘導馬 競馬場では、出走馬が本馬場に入場する際に、その馬を先導する 「誘導馬」 という仕事をする馬たちがいます(左の写真)。

ゆっくりと落ち着いて歩行できること、姿が見栄えすること、過去に優れた戦歴があることなどが誘導馬の条件だそうです。
これらの条件にあう馬は、多くないということです。

 誘導馬になるのは、野球でいえば、かつてのエース投手が実戦を引退後バッティング投手になったようなものでしょうか。誘導馬になるのも適性があり、それなりのトレーニングが必要だそうです。

競走馬を引退したのち、馬術競技などの乗馬に転進した例もかなりあります。

以前堀江貴文さんの持ち馬だったホリエモン号は、中央競馬や高知競馬などで活躍し、数勝をあげました(下の写真)。その後は堀江さんののちの馬主が多忙になったため世話ができないとのことで、ホリエモン号は一時インターネットオークションに出品されました。

ホリエモン号

 2010年1月、ホリエモン号は競走馬を引退し、地方競馬登録が抹消されました。その後、元ホリエモン号は馬場馬術の競技馬としてのトレーニングを受けました。

馬場馬術競技では、もちろん走行のスピードは必要なく、代わって歩行がスマートでかつ見栄えがすることが要求されます。

元ホリエモン号はそのような馬術競技馬としての素質があったのでしょう。また、「ホリエモン号」 という絶大なるネームヴァリューもあり、広島のさる大学が馬術競技馬として引き取ってくれました(下の写真)。

ホリエモン号


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(2017/07/10(月) 06:54)

 世田谷・フラワーランド (2)
 きぬた公園の近くに、世田谷区立の花壇公園フラワーランドがあります。東急田園都市線の用賀駅から南に向かって歩いたところにある環状8号瀬田インターチェンジのそばです。

晩春から夏にかけてのシーズンには、園内にはさまざまな花壇がしつらえられ、みずみずしい花々が咲き誇ります。

フラワーランド内には、下の写真のように大きなパラソルがほうぼうに立てられます。パラソルの日陰に置かれたベンチに腰を掛け、花壇の花々を見渡しました。

フラワーランド

 「花づくりのできる公園」 として、瀬田農業公園が昭和61年に開園しました。瀬田農業公園は、今では 「フラワーランド」 という愛称で多くの方に愛されています。

フラワーランドには2階建ての事務棟があり、園芸の専門家が常駐しています。フラワーランドでは、一年を通して園芸相談や園芸講習会、花まつり等のイベントを行っています。

それら専門家の指導のもと、多数のボランティアの皆さんが、花壇のシーズンごとの更新、メンテナンスなどをしていらっしゃいます。

下の写真の男性も園芸ボランティアの一人で、主としてセージの花壇の管理を担当しているそうです。

フラワーランド

 園内には大きな花壇、温室のほかに、多数のレイズドベッドもあります。レイズドベッドとは、床面を高くした花壇のことで、あまり腰をかがめずに花の観賞や手入れができます。また、車椅子利用者も容易に花にふれることができます。

フラワーランド園芸講習会では、庭木の剪定や病害虫対策、季節の草花の育て方などを講義と実習で学びます。

この公園では、花や庭木は 「実生」、すなわち種から苗木をつくって育てるのが基本になっているそうです。それで、下の写真の温室ではプランターで実生の苗を育てています。

フラワーランド

 平成28年には瀬田農業公園の拡張工事が完了し、このフラワーランドの近くに新たに2ヶ所の区域が整備されました。

1ヶ所はフラワーランドから徒歩3分ほどの場所にあり、農業体験イベントや、野菜づくり講習会の開催のほか、日常的に野菜等が育つ様子を見学できるよう、ビニールハウスや休憩施設等が整備されました。

もう1ヶ所は、花づくり活動がしやすくなるよう、広い圃場の他、レイズドベッドやミニ和風庭園等を整備しました。

フラワーランド


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(2017/07/08(土) 07:03)

 ヨーグルトのメリット
 ヨーグルトは、乳に乳酸菌や酵母を混ぜて発酵させて作る発酵食品です。人類が牧畜を始めた時期以来の歴史があるとされ、およそ7000年前からヨーロッパ、アジア、中近東などで食されてきました。

ヨーグルトのための搾乳に利用する動物は地域によって異なり、乳牛、水牛、山羊、羊、馬、ラクダなどさまざまです。

ヨーグルト 私は少年時代には千葉県の田舎にいましたが、そのころ私の家ではヤギを一頭飼っていました。

ヤギは、乳を搾って一家の動物性たんぱく質を補うのが目的でした。

私は、毎日ヤギを小屋から外に連れ出し、田んぼの畔などに綱でつないでそのあたりの新鮮な草を食べさせました。

 気温の高いときは、生乳だとすぐ腐ってしまいますが、乳酸菌で発酵させてヨーグルトにすると保存性がよくなり、何日も食べられます。

ヨーグルトは生乳より味が濃く、さまざまな料理にも使えるので、古来牧畜をする民族には貴重な食品となりました。

ヨーグルト もちろん、体格が大きく乳量も多い乳牛を利用すれば、大量のヨーグルトを製造することができます。

乳牛を飼育している牧場では、毎日搾乳した生乳を左の写真のようなステンレスの容器に入れて、トラックでその地域の生乳センターに運びます。大型牧場ではタンクローリーで生乳センターに運びます。

 それらの生乳が最終的にその地域の大手乳業会社の工場に集荷されます。殺菌済み原料乳と副原料(脱脂粉乳やバターなど)に培養した種菌(乳酸菌スターター)を加え、40℃から45℃の環境下に一定時間置くことでヨーグルトになります。

日本では、ヨーグルトが一般消費者の間に普及したのは太平洋戦争の後だそうです。

ヨーグルト 1975年以降は、徐々に紙容器等を経て現在の形状のテトラパックやプラスチック容器に入れて販売されるようになりました。

現在では果汁などが加えられたヨーグルトも販売されていますが、私どもは生乳や脱脂粉乳、クリーム、乳タンパクなどの乳製品のみを調合し発酵させた 「プレーンヨーグルト」 を食べています。

 プレーンヨーグルトにもさまざまな種類があり、酸味が強いものとか独特のにおいのあるものも販売されています。
私どもは、酸味が強いタイプのヨーグルトは苦手で、なるべく味がマイルドなものを食しています。

ランサム・ウィルス 味が薄く冷たいヨーグルトは、あまり食べやすいものではありません。そこで、私どもは左の写真のようにヨーグルトにバナナを加えて食べています。

バナナの甘さによって食べやすくなり、またバナナによってビタミン、ミネラル、食物繊維を強化することができて優れた健康食品になります。

 最近は発酵食品の研究が進展し、ヨーグルトにはさまざまな効用があるのがわかってきました。

私はもともとお通じが不安定な体質だったのですが、長年ヨーグルトを食べてきたおかげでお通じで悩むことがなくなりました。

また、私は昔は花粉症による鼻アレルギーで苦しんだのですが、最近ではその症状が非常に軽くなりました。これもヨーグルトの効用であろうと思います。


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(2017/07/06(木) 07:16)

 アムステルダム美術館 (2)
 アムステルダム美術館(王立博物館)は、1800年にオランダ・ハーグに創建された「ナショナル・アート・ギャラリー」がルーツだそうです。

1885年に首都アムステルダムの現在の場所に移転し、以来ヨーロッパを代表する美術館の一つとなりました。2015年の来館者数は234万人にのぼったということです。

アムステルダム美術館は、特に17世紀のオランダ絵画の展示では世界一といわれ、レンブラント・ファン・レインやヨハネス・フェルメールの名画が多いことで知られています。

私どもは朝一番でこの美術館に入り、念願のレンブラントの名画 《夜警》 などを鑑賞しました。 《夜警》 は、中ぐらいの展示室の壁全体を占めるほど大きな堂々たる作品でした。

アムステルダム美術館

 美術館の展示を見終わって、またアムステルダム美術館の外に出てきました。改めて外から美術館のクラシックな建物を見ると、絵画を拡大した大きな写真が壁面にかかっていました。

上の写真は、レンブラントが1662年に描いた名作 《アムステルダムの織物商組合の見本調査官たち》 の部分を拡大したもののようです。同織物商組合の組合員から依頼されて制作した 「群像画」 です。

また美術館建物の別の壁面には、下の大きな写真がかかっていました。こちらは、レンブラントより少し後の画家フェルメールの有名な 《牛乳を注ぐ女》 の一部を拡大したものです。

アムステルダム美術館

 アムステルダム美術館の前を離れ、美術館に隣接する 「ミュージアム広場」 に向かって歩き始めました。

このあたりは昔からの住宅地になっているようで、古い赤レンガ造りのアパートが道路沿いに多数立ち並んでいます。道路には、オランダ名物の自転車が下の写真に見られるように盛んに行き交っています。

道路の両側には、立ち並ぶアパートの大きな建物をかくすほど高い落葉樹の並木が続いていました。
アムステルダムは北緯52.3度にあり、日本の北海道よりはるか北、サハリンの北部くらいの位置になります。
その北国アムステルダムにもようやく春が訪れ、高い街路樹の枝には鮮やかな新緑が萌えていました。

アムステルダム美術館

 アムステルダム美術館付近に広がる住宅地を抜けて、ミュージアム広場の入口に着きました。

そのあたりで振り返ると、アムステルダム美術館の巨大なファサード(正面)がそびえていました(下の写真)。

ほとんどが埋立地であるオランダには良質の建築石材が乏しく、多くはライン川を経由してドイツなどから調達すると聞いたことがあります。そのためか、ご覧のようにこの建物には赤い建築用レンガが大量に使われています。

建物の灰色の屋根にはガラスの天窓が多数設けられています。展示されている作品をできるだけ自然光のもとで鑑賞してもらいたいという美術館当局の考えでしょう。

アムステルダム美術館


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(2017/07/04(火) 07:15)

 紙地図の利用激減
 パソコンやインターネットがなかった時代は、地形や交通の状況を知るには紙に印刷された 「紙地図」 を利用するほかありませんでした。

国土交通省の国土地理院が国の基本図として 「地形図」 を発行しており、それに基づいて各種の紙地図が印刷、販売されていました。

それら紙地図の中で、特に広く利用されてきたのが 「5万分1地形図」 (5万分1地図)です。これは日本の地図作製の基本的な縮尺で、100年以上の歴史があります。

この紙地図では、紙面上の1㎝は実地形では500mに当たります。5万分1地図は通常横幅が58㎝の紙に印刷されるので、東西26㎞にわたる地域の地形を示すことになります。

東京都の主要部を含む地域で5万分1地図のカバーする範囲を、下図に示します。

紙地図

 5万分1地図は、当時は交通関係、土地・不動産関係、農業・林業関係など広範囲に利用されました。

また、業務用だけではなく、登山、トレッキング、スキー、サイクリングなど、私ども一般市民の趣味、スポーツにも盛んに利用されました。下図は、蓼科山の付近の5万分1地図です。

紙地図

 そのように広く利用されてきた紙地図が、近年利用者が激減しているというニュースをインターネットで目にしました。

下図は、太平洋戦争終了以後の国土地理院発行紙地図の販売数推移を示します。赤線に見られるように、紙地図は戦後次第に販売量が増加し、バブル期と呼ばれた1880年代あたりでピークに達しました。

その後は、日本経済の長期低迷につれて紙地図の販売量は下落に転じました。1990年代以降はパソコンで閲覧できるディジタル地図データが販売され、紙地図の販売量は一段と減少しました。

紙地図

 2000年以降はGoogle Mapなどインターネットで無料で利用できるディジタル地図データが普及し、私どもが日常で必要とする地図情報はそれらでだいたい充足できるようになりました。

さらに近年では、スマートフォンの爆発的な普及によってインターネットに置かれている詳細な地図情報が簡単に利用できることになり、紙地図を利用する人は激減しました。

紙地図 現在では知らない方が大多数となりましたが、昔は東京など大都市では左の写真の 「区分地図帖」 なる紙地図本が盛んに利用されていました。

東京の場合には、東京23区別に町名。道路、交通機関などがわかる地図を記載したハンディーな地図帖が書店で低価格で販売されていました。

 会社など事業所にはこのような区分地図帖が置いてあり、必要に応じてそれに記載してある地図を見て場所を確認しました。営業マンなど外出が多い人は、このような地図帖を持参して仕事に出かけました。

また、たいていの家庭でもこのような区分地図帖を持っていて、外出の際は、場所の確認、交通機関の選択のために利用していました。

パソコン、インターネット、スマートフォンの普及により紙地図が不要になる時代が来るなどとは、私どもは想像することすらできませんでした。


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(2017/07/02(日) 07:06)

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