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 三茶 de 大道芸(2)
 若者の街世田谷区三軒茶屋で、毎年10月の末、「三茶 de 大道芸」という祭りが行われます。1997年から始まったとのことで、2017年秋でもう21回目にもなり、世田谷の秋祭りとして有名になりました。

海外からの芸人の参加も多く、今回は、フランス、ベルギーなど世界各国から大道芸人約30組がここに集ったそうです。

街の中の広場でジプシー風の芸人がローラーバランス芸で人気を集めていました(下の写真)。

大道芸 バランス芸を始める前に、観衆の中の日本人青年に近づいて助手をしてくれるように頼み、近くに置いてある円筒などいろいろなものを取ってもらいます。

それらを次第に積み上げて行き、このように高くなった上で巧みにバランスをとっていろいろな芸を見せていました。

大道芸 この中国雑技団は、可愛らしい女の子が中心で、それもあってか大観客を集めていました。

まず登場したのは、ガラスコップをうずたかく積んだお盆を計5枚も手足と頭で支え、高くかざす芸です。

なにしろ腹ばいですから、このように手足を高くあげるのは至難の技です。

大道芸 次の芸は、一輪車で広場の石畳の上を行き来しながら足の先にステンレスのボウルのようなものを置きます。次にそのボウルを足先で高く放り上げて自分の頭で受け止めます。

それを繰り返し、頭の上にボウルを積み重ねていきます。最後はボウルが10個ほども積み重なりました。

大道芸 最後は、空中高いところでの曲芸です。金属製の椅子を積み上げ、さらにその上に長いアルミ製のはしごを乗せて逆立ちなどの曲芸をします。
その横に高い鉄棒を組み立てて、大車輪などの芸をして見せました。駅前広場を埋め尽くした観客は、ただはらはらして空中を見上げるのみでした。


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(2017/11/29(水) 07:04)

 広島・原爆ドーム
 かねてより私は、日本人として原爆による惨禍の象徴である原爆ドームをぜひ一度は訪れなければと念じていました。このたび所用で広島を訪れたので、仕事が終わってからさっそく原爆ドームに向かいました。

その途中、自転車に乗った男性がいたので、原爆ドームの方向の道を尋ねました。

原爆ドーム すると、その男性は、自転車を降りて押しながら私といっしょに歩いて原爆ドームへの道順を教えてくれました。
やはり、広島市民は原爆ドームには特別の思い入れがあるのでしょう。

やがて、遠くの大木の根元に「慰霊」と刻まれた大きな石碑が見えました。

原爆ドーム その大木の梢の向こうに原爆ドームのむき出しの鉄骨が姿を現しました。

慰霊碑の前に立ち、深く礼をしました。その後、原爆ドームの右側に向かって歩きました。

原爆ドームは元安川のほとりにありますが、その元安川の対岸に平和記念公園が広がっています。

原爆ドーム そこから元安川に沿って南側にまわると、ようやく原爆ドームの全容が見えてきました。

1945年8月6日午前8時15分、爆撃機から投下された原爆はドームのほぼ真上約580mで炸裂しました。
そのためドームを覆っていた銅板が一瞬にして溶けて飛散してしまいました。

 そのため、ドームの構造体の鉄骨がむき出しになってしまいました。しかし、原爆の爆風が真上からきたため、この建物の外壁の一部が吹き飛ばされずにご覧のように残ったのです。

原爆ドーム側から、元安橋という橋で元安川を渡り、平和公園側の河畔に出ました。こちら側から見ると、ドームの建物の全体像がはっきりとわかります。建物の床、天井など水平の部分がすべて無くなり、垂直の壁の一部がわずかに残っていました。

原爆投下の直後、ドーム部を覆っていた銅板は瞬間的に熔けて飛散し、残った鉄骨は白熱されて空に輝いたのでしょう。しばらく後にはドーム部の鉄骨はやや温度が下がり、あたりに土煙が立ち込める中、赤く熱せられて光っていたことでしょう。

元安川の川岸に立って夕空にそびえるドームを仰ぎつつ、14万人の被爆死者の冥福を祈りました。

旧三笠ホテル



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(2017/11/27(月) 06:53)

 次太夫堀公園の農家
 世田谷区の西端、喜多見3丁目に区立次太夫堀公園があります。この公園は古い民家を3軒移築した民家園が中心になっており、「生きている古民家」を世田谷の今に伝えるのをテーマにしているとのことです。

下の写真の民家は農家と思われますが、わら葺ではなく瓦葺になっています。また家の南側には長い庇(ひさし)が設けられており、その下を作業場として利用しています。私のふるさと(千葉県九十九里地方)でもこのような農家が多数ありました。

次太夫堀公園


 この民家の広い土間には下の写真のように大きなかまどがあり、そこに大釜が3つもかけられていました。

炊事用ではなく、なにか原料を煮るためと思われます。昔、油をとるために菜種を蒸かす大釜を見たことがありますが、それでしょうか。またはろうそくの蝋をとるために櫨(はぜ)を蒸かすのかもしれません。

次太夫堀公園

 上記大かまどの横には、下の写真のようなかまど、木の臼杵(うすきね)、石の粉挽き器なども置いてありました。それらも普通の炊事に使うのではなくなにか事業に利用するのでしょう。

昔は農家が自分の作物を利用した商売をしている場合がかなりありました。私のふるさとでも「油屋」とか「藍屋」などと呼ばれていた農家が近所にありました。この民家でも農業をしながらなにかの商売を兼営していたのかもしれません。

次太夫堀公園

次太夫堀公園 座敷には囲炉裏があり、たきぎを燃やして釜で湯を沸かしていました。

広い公園のなかを歩き回って少々疲れたので、座敷にあがってゆっくりとお茶をいただきました。

公園には井戸も設けられており、その水をこの釜でわかしているとのことで、お茶は結構な味でした。


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(2017/11/25(土) 07:07)

 世田谷区動物フェスティバル
 世田谷区の砧(きぬた)公園で、毎年11月初めに「動物フェスティバル」が開かれます。秋の一日、「動物ふれあい教室」、「ポニーの演技」、「ミニ動物園」などさまざまな催しが行われ、たくさんの来場者で賑わいます。

芝広場に設けられた会場の外から鼓笛の合奏が聞こえてきて、やがて少年鼓笛隊の皆さんが華やかに入場してきました。第33回世田谷区動物フェスティバルのオープニングパレードです。

動物フェスティバル

 少年鼓笛隊は、皆、グリーンのユニフォームに紅い帽子をかぶり、おもちゃの兵隊さんのようです。

手に手にピアニカや小太鼓などを持ち、元気に演奏しながら行進します。このような屋外での演奏ではやはり打楽器の音の力はすばらしく、会場の秋空高く響き渡りました。

会場に造られた舞台の前に少年鼓笛隊の皆さんがずらりと整列し、壇に乗った女性の指揮者の指示に従って華やかに演奏を始めました。

動物フェスティバル

動物フェスティバル それが終わると、舞台の上から2017年、第33回世田谷区動物フェスティバルの開会が告げられました。

舞台を取り囲んで集まっていた多数の観客から盛んな拍手があがりました。

舞台の上では、さっそく女性のピエロさんが出てきて、子供たちとにぎやかにやり取りが始まりました。

 少年鼓笛隊の後に、警視庁騎馬隊の皆さんが続きました。中央に白い馬に乗った赤い制服の女性隊員、その両側に褐色の馬に乗った青い制服の男性隊員が並んで行進します。秋の明るい日差しのもと、色の対比が実に華やかです。

外国に行ったとき、騎馬隊や騎馬警官をよく見ましたが、日本でもこういう騎馬隊があるのを初めて知りました。

動物フェスティバル


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(2017/11/23(木) 06:44)

 三茶 de 大道芸
 世田谷区三軒茶屋は渋谷に近い繁華街で、東急田園都市線と東急世田谷線の駅があるため若者の街として賑わっています。

10月の末には、この街で恒例の 「三茶 de 大道芸」 という祭りが行われます。このイベントは1997年から始まったとのことで、2017年秋でもう21回目になります。昨年は13万人以上もの観客が来場したそうです。

大道芸 私どもは世田谷線で三軒茶屋に行きましたが、さっそくその世田谷線の駅前にある広場で奇抜なパフォーマンスをしているのが見えました。

体が大きい男の肩に小柄な男性が乗って盛んに三味線を弾きながら歌っています。歌の腕前のほうはまあまあというところでした。

大道芸 同じ世田谷線駅前広場でなにやらジプシー風の一団が大道芸をしていました。はるばるヨーロッパからここにきたのでしょうか。

以前、パリやローマでこのようなジプシーの大道芸を見たことがありました。ヨーロッパではこのような集団が国境を越えて渡り歩いているそうです。

大道芸 左の写真のおじさんもなかなか多彩な芸を見せましたが、写真のときは高い一輪車の上で短剣を二本お手玉のように投げたり捕ったりしながらなにか他の芸もやっていました。
短剣を投げたり捕ったりしながらポケットからりんごを取り出し、ぱくっとかじってもぐもぐと食べていました(^_^)

大道芸 日本人の芸人も負けずに人を集めていました。こちらは派手なアクションではなく、奇術タッチの芸をじっくりと観客に見てもらう作戦のようです。
デリケートな内容の芸をお客にアッピールするのは言葉が通じない外国人はやはり苦手と見えて、このような芸をしているのは日本人だけでした。


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(2017/11/21(火) 06:34)

 上野・不忍池 (2)
 東京・上野の不忍池の中にある弁天島から中道と呼ばれる遊歩道で不忍池の西岸に渡ることができます。中道は南北両方向にありますが、今回は南向きに歩き、湯島に近い不忍池西に出ることにしました。

不忍池の蓮池は、春から夏にかけて蓮の大きな葉で覆われ、8月ごろにはピンクや白の華麗な蓮の花が楽しめます。

上野・不忍池 その蓮も、やがて初冬になって寒さがつのるとともに大きな葉が徐々に黄ばんで勢いがなくなり、左の写真のように次第に枯れてきます。

池の中や岸辺などほうぼうに高く繁っているアシなどの水草も、10月末ごろから11月半ばにかけて黄褐色にかれてきます。

上野・不忍池この池はシベリアなど北方から渡ってくる水鳥の格好な越冬地になっており、この時期には雁など多数の水鳥でにぎわいます。

水鳥たちはここを根城にして都内のほかの池や湾岸まで翔んでいってえさをとるようです。雁の群にえさをやったところ、雁が大きな口を開けると口の中が赤いのが見えました。

上野・不忍池 池の中道を歩きながらあたりを見回すと、池の周辺はどこも秋の気配が濃くなっていました。

中道の両側には桜が植えられており、春の花見どきには歩きにくくなるほどの人出で賑わいます。しかし、この時期は桜はすでに黄葉が始まっており、葉の数もまばらになっています。

上野・不忍池 池の中道を渡って不忍池西に出てから池の南岸を少し東に歩くと、不忍池水上音楽堂があります。

昭和28年にオープンした野外音楽堂で、池を背にしたステージと約1000人の客席が造られています。
開閉式の屋根があるので、コンサートや集会などに便利に利用されています。


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(2017/11/19(日) 07:03)

 軽井沢旧三笠ホテル
 新幹線軽井沢駅の北1.8kmほどのところに、このあたりでは有名な旧軽井沢交差点という場所があります。
その旧軽井沢交差点から北北西約2kmのところに、「旧三笠ホテル」という歴史ある建物があります。昔は草津軽便鉄道の「三笠駅」というのがこのホテルのすぐ近くにあったということです。

三笠ホテルは、実業家山本直良が明治38(1905)年にオープンされました。現在では同ホテルの建物は国の重要文化財に指定され、明治時代の軽井沢を現代に伝える文化遺産になっています。

旧三笠ホテル

旧三笠ホテル 建物は、黒褐色の壁に白い窓枠がアクセントのアメリカ風の造りです。
かなり大きな建物ですが、現存するのは当時の建物の半分ほどとのことで、最盛期の規模がしのばれます。

ホテルは、アメリカ帰りの設計技師の手により、欧米から輸入された建材や調度を用いて建設されました。

旧三笠ホテル ホテル正面入口から入ると、目の前に二階に通ずる階段があります。階段の造作も欧米から輸入したものでしょう。
ホテル内の方々で使われているカーペットは、イギリスから輸入したそうです。

ホテルは元は30室ありましたが、客定員はわずか40人だったということです。

 開業当時の軽井沢は、外国人の別荘のほうが日本人の別荘より多かったそうです。東京から多数の外国人観光客がこの地を訪れ、このホテルに宿泊したことでしょう。

玄関の近くにかなり広いロビーがあります。ここは椅子を入れ替えて小ホールとして音楽会や舞踏会にも利用されたとのことで、アップライト・ピアノが置かれてありました。

三笠ホテルには、渋沢栄一、乃木希典、近衛文麿など政財界人、軍人、文化人が多く宿泊したことから 「軽井沢の鹿鳴館」とも呼ばれたそうです。

なお、コマーシャルソングなどでも有名だった指揮者・作曲家の山本直純さんは、創立者山本直良氏の孫にあたります。

旧三笠ホテル


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(2017/11/17(金) 06:28)

 浅もみじ
 私どもが住む東京は冬が暖かく、本格的な紅葉になるのは例年12月はじめのことです。10月末から11月半ばにかけて、東京の落葉樹は次第に落葉して葉の数が真夏の半分くらいになり、残った葉も徐々に黄ばんで勢いがなくなります。

はなみづき 東京でよく見る落葉樹で秋が深まったのを最初に知らせてくれるのは、アメリカハナミズキでしょう。

名前のとおりアメリカ原産でアメリカの国花とされる木です。春先から白またはピンクの大きな花を木いっぱいにつけますが、秋の半ばから紅葉が始まり、サンゴの珠のような紅い小さな実をたくさんつけます。

さくら 桜は春先から葉を出す前にこずえの先まで豪勢な花をつけて咲きます。その代わりには夏にほとんど実をつけず、葉をたくさん繁らせて次の年に備えます。

日本原産の落葉樹ではもっとも早く秋の気配が感じられる樹種です。10月末には落葉が多くなり、葉の色も黄ばんできます。

神社の秋祭り けやきは私どもが住んでいる東京世田谷の区樹に指定されており、どこに行ってもよく見かけます。

けやきも昔からの武蔵野の落葉樹の中ではもっとも早く黄葉が始まります。見上げるほどのけやきの大樹がこずえから次第に黄葉してくるのは実に見事ですが、その後葉が茶色く変色するのが残念です。

かえで 世田谷区は公園や神社仏閣が多く、かえでがほうぼうに植えられています。

世田谷区ではかえでが見事に紅葉するのは通常12月に入ってからです。
今の時期は、日当たりのよいところにあるこずえがかなり色がついていますが、全体としてはまだ浅黄色になっている段階です。


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(2017/11/15(水) 06:36)

 電動自転車の普及
 私の家の近くに世田谷区立の保育園があり、保護者の皆さんが自転車で幼児の送り迎えをしています。通りがかりにそれらの自転車を見ると、半数以上が電動タイプの自転車のようです。

電動自転車は正式には電動アシスト自転車といい、自転車の車体に車輪を駆動するモーターと充電池を取り付けたものです。
ペダルを踏む力や回転数などをセンサーで検出し、搭載しているモーターによりペダルを踏む力を低減させる仕組みです。

電動自転車 このタイプの電動自転車は、1993年に日本のメーカーが世界ではじめて開発しました。

発売以来、電動自転車は坂道が多い住宅地域を中心に主婦層の人気を集め、次第に売り上げを伸ばしてきました。

電動自転車 それにつれ電動自転車の価格は低下し、最近では低価格品は5万円台のものもでてきました。それを見て、毎日保育園に幼児の送り迎えをする保護者の皆さんの間で一挙に普及が進んだのです。


電動自転車 電動自転車の動力源である充電池は、左の写真のように単一サイズの充電池を20個ほど直列に接続したものです。

しばらく使用して電池の電力が消耗したら、充電池を自転車から外して家庭の100Vのコンセントにプラグを差込んだ充電器で充電します。

電動自転車 電動自転車の車輪を駆動するモーターは、ペダルとともにチェーンを駆動するタイプのほかに、前輪や後輪のハブに組み込むタイプがあります。

最近は、高級機はハブモーター方式が多くなりました。

 最近の高級機では、電気自動車と同じようにブレーキをかけたときにはモーターを発電機として利用してバッテリーの充電を行う回生ブレーキを備えたものが出てきました。

日本の2013年の国内向け総販売台数は889万あまりでしたが、そのうち約5パーセントが電動アシスト自転車だったそうです。

その後も電動アシストは順調に販売を伸ばしており、2015年の年間出荷台数は約50万台で二輪車需要を超えました。
今後も、東京オリンピックに向けて、電動アシスト自転車は安定したペースで普及して行くと思われます。

I T・エネルギー | 固定リンク | トラックバック:0 | レス:0
(2017/11/13(月) 06:51)

 上野・不忍池
不忍池 不忍池(しのばずのいけ)は、上野公園の隣にあり、JR上野駅(しのばず口)から徒歩5分です。この一帯はかつては東京湾の一部でしたが、まわりが埋め立てられ、この池だけが残ったということです。

不忍池はこの界隈で貴重なオアシスとなっており、昔から下町庶民の憩いの場として親しまれてきました。

不忍池昔の不忍池はかなり大きかったということですが、次第に埋め立てられ、現在は周囲2Kmの池となっています。

一部が上野水上動物園として利用されており、残りはボート池、蓮池に区分されています。

池の蓮も水草も、次第に枯れて秋色が濃くなってきました。ボート池にも夏場の賑わいはなく、閑散としていました。

不忍池 上野公園下の不忍通りから池之端に出て、池の中央にある弁天島へ散歩道で渡ることができます。

弁天島には弁天堂があり、谷中七福神の一つである弁財天が祀られています。

弁財天は、もとは弁才天というインドにルーツのある水の神様で、芸術と技芸の神様でもあったそうです。

弁才天は、そのうちに弁財天と書いて商売繁盛の神様も兼ねるようになりました。この辺は、かなりてきとーなものですね(^_^)。以降、弁財天は江戸の商人たちの信仰も集めて現在に至っています。

お堂のまわりには、楽器の琵琶の形をした碑や琴の検校の碑などがたくさんあります。下の写真で左側が琴の八橋検校の碑、中央が日本舞踊の扇塚、右側が三味線家元の碑だそうです。現在でも、芸能界や花柳界の方々がここによくお参りに来るとのことです。

不忍池


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(2017/11/11(土) 07:03)

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