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 ログハウスに宿泊
 この8月中旬に、久しぶりに真夏の群馬県草津を訪れました。今回は、私どもはホテルの建物から少し離れた場所に建てられているログハウスに宿泊する予約をしました。

宿泊するログハウスは、下の写真のように太い丸太を組んだ本格的なものです。室内も、太い丸太がそのままむき出しになっています。

ここは標高が1200メートルもある高地なので、ログハウスには冷房の設備はありません。その代わりに、電気による床暖房とまきを焚く大型ストーブが備え付けられています。

真冬にはこのあたりは零下10度くらいにまで気温が下がるので、電気床暖房だけではとてもパワーが足りません。まきストーブはやはり強力で、一階に設置しておけばログハウス全体を温めることができます。

ログハウス

 このログハウスにはロフト(屋根下部屋)があり、一階の部屋から階段で上がれるようになっています。ロフトにもベッドが2つあるので、家族なら5、6人くらいは宿泊できそうです。

ロフトの上部には、ログハウスの補強のためか、直径が30cmほどもある丸太が一本通っていました。その丸太に頭がぶつかりそうになるので、背中を丸めてロフトに入ります。

ロフトに設けられた窓から外を見ると、周囲に広がる草津の森がはるか遠くまで見通せました。

ログハウス

 ログハウスは、もともとヨーロッパで作られていましたが、アメリカではそれらヨーロッパからの移民が開拓の際に建築するようになりました。

ログハウスにも様々な形式があるそうですが、アメリカの映画などでよくみるのは森で伐った丸太を次々に水平に積み上げてゆくタイプです。

屋根下に近い壁面は丸太を積み上げないで漆喰壁にする方式もあるそうですが、このログハウスもそのタイプと思われます。

ログハウス

 宿泊したログハウスには、下の写真のように広いテラスがついていました。テラスには大きな木製の机があり、その中央にはバーベキューなどができるコンロが設けられていました。

食材を外部で買ってくれば、ここで火を起こしてバーベキューをすることもできます。ログハウスにはキッチンがついているので、ご飯を自分で炊いて焼いた肉といっしょに食べることもできます。

ログハウス


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(2017/09/30(土) 06:53)

 里神楽 / 世田谷八幡
里神楽 私どもの家の近くにある世田谷八幡宮には神楽殿があり、毎年の例大祭の際に江戸里神楽を上演しています。

神楽はもと宮中で行われていた行事ですが、やがて民間でも演じられるようになりました。それを里神楽といい、現在でも各地で上演されています。本神社では東京の若山社中というグループが出演しています。

里神楽私も神楽が好きで世田谷八幡宮の神楽を毎年見ていますが、江戸里神楽の演目は20以上あるそうで、毎年違う演目の里神楽が上演されるので興趣がつきません。

今年上演されたのは 『三筒男神』 という演目で、イザナギの命が黄泉の国から戻って体を清めると三柱の神々が誕生したという内容だそうです。

里神楽ほの暗い神楽舞台の中で、鮮やかな朱色の衣をまとったイザナギがさまざまな小道具を使いながらストーリーを展開します。それに二人の脇役が加わって、20分ほどにわたって熱演していました。

神楽の細かいストーリーはよくわかりませんが、それでも舞台の前の広場に立って終わりまで楽しみました。

里神楽里神楽は、舞台上の舞はもちろんのことですが、それを盛りたてる神楽囃子(はやし)も非常に大事です。

今回の若山社中の囃(はやし)方は、太鼓一人、小太鼓一人、笛一人という簡素な構成でしたが、白髪の囃方のたたく太鼓がすばらしくテンポがよく、さすが年季が入った芸と思わせました。


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(2017/09/28(木) 07:34)

 北軽井沢散策
 草津から軽井沢までバス路線総延長は55.5 km、直行すれば56分のバス行程ですが、今回はその中ほどにある北軽井沢で下車し、その界隈のひなびた風光を愛でました。

北軽井沢では、ところどころで下の写真のような沼や用水池を見かけました。この地は浅間山の火山灰が降り積もったところで概して水が少ないそうです。そこで、農業のためにこのような池を造ったのでしょう。

北軽井沢へ

 池の周りは丈の高い水草や灌木でおおわれています。その中を歩くと、蛍のすみかの泡が草葉のうらにたくさん付いていました。ここの夜は、蛍が乱舞してすばらしい景観になるでしょう。

北軽井沢の高原はもう秋の気配が濃く、池の周囲には平地なら秋口に咲く花々がすでに咲き乱れていました。

北軽井沢へ

小笠原 池の水面には、高原のさわやかな風に乗って、蝶やトンボなどが盛んに飛び交っています。

それらの中に小ぶりなアキツ(赤とんぼ)が多数いるのに気がつきました。

私どもが行ったのは8月中旬で、東京ではまだアキツの姿は見ませんでした。やはり、高原の秋は東京より1ヶ月も早いようです。

小笠原 北軽井沢の散策を終えて路線バスの停留所に戻る途中、道端の藪の中になにか赤い実があるのに気がつきました。
近寄って見ると、以前見たことのあるハマナスの丸い実でした。

ハマナスは北海道,東北などの海岸に多い低木で、夏に赤い花を咲かせた後、赤い実をつけます。

 私は食べたことがありませんが、実は甘酸っぱい味がするそうです。真っ赤な実が可愛らしいので、園芸用に品種改良されたものが栽培されており、実が収穫されているということです。

以前、夏に箱根・仙石原の湿生花園に行ったとき、園内にハマナスの赤い花がたくさん咲いていたのを思い出しました。


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(2017/09/26(火) 07:33)

 奉納相撲/ 世田谷八幡宮
 八幡様は武道の神様なので、剣道、相撲などの道場が併設されていることがあります。ここ世田谷八幡宮の境内には立派な相撲土俵があり、秋の例大祭には奉納相撲が行われます。

当八幡宮の奉納相撲は、江戸時代には 「江戸三大相撲」 の一つといわれたそうです。その伝統でしょうか、この地域には相撲が盛んな学校、大学が多く、高校や大学の相撲選手権でも活躍しています。

世田谷八幡宮では、毎年9月初旬、例大祭の前日の土曜日は宵宮祭ということで奉納相撲や演芸が行われます。
奉納相撲の前に世田谷八幡の氏子代表の方があいさつをしましたが、その中で、奉納相撲は祭りの余興ではなく神事の一環であると強調していたのが印象的でした。

奉納相撲/ 世田谷八幡宮


奉納相撲では、最初に当八幡宮の宮司が祝詞をあげ、ついで土俵の四周を塩で清めて出場者の無事を祈ります(上の写真)。

昔は、奉納相撲は世田谷八幡近隣地区の対抗戦の形式で行われたそうです。奉納相撲の勝敗で来年の豊作、凶作を占ったとのことです。

宮司が祝詞をあげた後、この神社の近くにある東京農大相撲部の皆さんが、団体戦、個人戦を見せてくれました。

奉納相撲/ 世田谷八幡宮

奉納相撲は、大相撲とは違って行司の掛け声で一発立ち合いです。さばく行司も、やはり東京農大相撲部の役員のようでした(上の写真)。

熱戦ののち、行司が勝ち力士の名前を高らかに告げます。秋晴れのもと、満員の観客からは盛んな拍手喝采がおくられました。

奉納相撲/ 世田谷八幡宮


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(2017/09/24(日) 07:20)

 箱根早雲寺・枯山水庭園
 戦国時代初期の武将北條早雲は、16世紀はじめに伊豆・相模を制圧しました。北條早雲は1519年9月に亡くなりましたが、その早雲の遺言により、北条二代氏綱が箱根湯本に早雲寺を創建しました。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐の際、当寺を含む一帯は焼き払われました。その後、江戸時代初期に北条氏が再興され、早雲寺の現在の本堂が再建されたということです(下の写真)。

箱根湯本

 創建当時は、早雲寺は関東随一の大寺といわれたそうです。箱根湯本の町は、もともと早雲寺の門前町として始まったとのことです。

しかし、現在では早雲寺の境内は狭くなり、江戸時代に再建された本堂があるのみです(下の写真)。

本堂内には、北条早雲の孫北条氏康の肖像画 「絹本著色北条氏康画像」 が展示されています。戦国時代に描かれたもので、神奈川県指定文化財になっています。

箱根湯本

 本堂の前に戻って、左側から本堂の裏ににまわると、早雲の三男北条幻庵の作といわれる枯山水庭園があります。

北条早雲の四男長綱は、和歌・連歌・茶道・庭園・一節切りなどに通じた教養ある人物で、幻庵と号しました。戦国時代初期を代表する文化人といわれ、さまざまな文化活動を行いました。

本堂の向かって左側に、「北条幻庵作枯山水香爐峯」 の標柱が立っていました(下の写真)。

箱根湯本

 この庭園は、裏山の斜面に大きな岩を配した造りで、鎌倉・室町期の禅寺の庭園様式を取り入れたものとされます。地味な庭園ですが、文化史上の価値が高いということで、史跡庭園に指定されています。

このあたりの裏山には、天然記念物のヒメハルゼミというのがいるそうです。しかし、裏山では方々でセミが鳴いており、どれがヒメハルゼミの声がなのかまったくわかりませんでした。

箱根湯本


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(2017/09/22(金) 07:11)

 NY9.11 から16年
NY9.11から13年 2001年9月11日朝、アメリカ東部の空港を飛び立った4機の旅客機がイスラム系テロリストグループによってハイジャックされました。

そのうちの2機は、テロリストの操縦によりニューヨーク・マンハッタン島に向かって島南部のニューヨーク世界貿易センターのツインタワービルに激突し、爆発炎上しました。

NY9.11から13年この大テロ事件により、ニューヨークでは旅客、オフィスマン、消防士など合計で2749人が死亡しました。

跡地の再建計画は、世界の建築家による建築設計競技の結果、アメリカ人建築家の案が採用されました。
もと2つの超高層ビルが建っていた位置には巨大な正方形の池が設けられました。

NY9.11から13年巨大な池のほかに、超高層ビルやタワーが建設されました。工事は2013年に完成し、一帯は一般公開されました。

現在旧世界貿易センターかいわいは元通りビジネスマンたちが行きかっています。

しかし、巨大な正方形の池の周囲には、テロによる犠牲者たちをいたむ人々が毎日多数訪れています。


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(2017/09/20(水) 07:34)

 お祭りで金魚すくい
世田谷八幡宮 秋祭りのシーズンたけなわです。世田谷八幡宮は、ふだんは静かですが、例大祭などのお祭りのときと暮れ・お正月には大賑わいとなります。

写真の男の子は、江戸時代以来の祭りの姿で、お父さんの肩の上に乗り大きな声をあげてはしゃいでいました。
やはり、お祭りには子供たちの姿がよく似合いますね。

世田谷八幡宮お祭りの人出を商売のチャンスとみて、大鳥居の前から本殿の近くまでさまざまな露店がひしめくように並びます。

写真の女の子は祭りの露店でアンパンマンの笠を買ってもらったのでしょうか。
世田谷八幡の境内を歩き回ってくたびれたようで、ベンチに座ってお菓子をぱくぱくと食べて休んでいました。

世田谷八幡宮境内の露店の中に昔懐かしい金魚すくいをみつけました。
赤い帽子をかぶったボクちゃんが真剣な表情で小さい網(ポイというそうです)で金魚を追っていました。ボクちゃんはなかなかの腕前のようでした。

私も子供のころよく金魚すくいにチャレンジしましたが、網がすぐ破れてすくえなくなった記憶があります(涙)。

日本一の金魚産地である奈良県大和郡山市が、「全国金魚すくい選手権大会」 を毎年8月の第3日曜日に開催しているそうです。
今年で大会も24回を重ね、 これまでに延べ約2万2千人の選手たちが熱戦を繰り広げてきたとか。

本年度のチャンピオンは、3分間でなんと45匹もすくい上げたそうです。でも私どもがやってみると、とてもそのチャンピオンのようにはいかず、すぐに網が破れてあえなくギブアップです。

それでも何匹かすくえたら、その金魚はポリ袋に入れてあまり揺らさないで家に持ち帰りましょう。金魚は案外丈夫なもので、大きめの金魚鉢で大事に飼えば10年ぐらい生きるそうです。


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(2017/09/18(月) 07:18)

 駒沢給水塔94年
駒沢給水塔

 東急田園都市線の桜新町駅と駒澤大学前駅の中間あたり、世田谷通りにやや寄ったところに東京都水道局の駒沢給水場があり、その構内に駒沢給水塔という巨大な上水のタンクがあります。

多摩川の川底を流れる伏流水が砧下浄水所に取り込まれ、濾過・浄水された後、この駒沢給水塔に送り込まれます。給水塔は2基の巨大な塔屋からなっており、約3000トンの水を貯留することができます。

塔は世田谷区内では最高地に近い標高46mの地域に建設されており、ここから渋谷・世田谷一帯に上水が供給されます。

駒沢給水塔給水塔の塔屋は、ヨーロッパ中世の城の塔を思わせる巨大な円筒形の構造物で、最上部に「パーゴラ」というドームを設けています。高い場所に設置されているので、はるか遠くからもはっきりと見られます。

私は18年ほど前にこの土地にきましたが、初めてこの塔を見たときはその存在感に圧倒されました。

1984年、区民の投票で選ばれた 「せたがや百景」 にも駒沢給水塔が入っています。また、世田谷区の 「風景づくり条例」 により、この給水塔が地域風景資産に認定されました。

9月初め、家の近くにある世田谷区中央図書館にいったところ、ロビーでこの駒沢給水塔の企画写真展を開催していました。

大正初期、当時の渋谷町は急激に人口が増加し、飲料水が不足しました。そこで世田谷・駒沢の高台に貯水タンクを設置し、そこに多摩川の伏流水を取り込んで渋谷町に給水することになりました。

駒沢給水塔左の写真は駒沢の畑の中に給水塔を建設する工事の様子を撮影したものです。
写真には建設中の給水塔が1基写っているだけなので、それは最初に着工した2号基のほうと思われます。

2号基は大正12年(1923年)の春に完工しましたが、その年の9月1日に関東大震災が起こりました。

2号基はその激震を無事に乗り越え、日本の耐震設計技術の高さを示しました。その2ヵ月後には1号基のほうも完工し、以後渋谷・世田谷地区に品質のよい上水を供給してきました。

駒沢給水塔は平成11年には給水所としての機能は停止され、現在は災害時に飲料水を供給するための応急施設になっています。2基の大給水塔は昔も今も私ども都民のために働いてくれています。

 
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(2017/09/16(土) 07:23)

 北軽井沢・いのしし牧場 (2)
 インターネットで調べているうちに、北軽井沢に 「いのしし牧場」 があるのを知りました。貸し自転車屋のオヤジさんにだいたいの道筋を訊いて、そのいのしし牧場の方向に自転車で向かいました。

牧場に入っていくと、鉄柵で囲まれた大きなスペースの中にたくさんのいのししが歩き回ったり、寝転んだりしています。

そのスペースの高いところに鉄骨で組んだ通路がかかっており、私どもはそこからいのししの写真を撮ることができました。

この堂々たる体格のいのししくんは、顔を上げて私どもの方をにらんでいます。その風貌が、西遊記の猪八戒を思わせます。

北軽井沢

 いのししの中には、目が合うと、私どものほうに突進してくるものもいます。いのししは足が短いですが、草木が茂った山中でも時速40kmくらいのスピードで突進するそうです。

牧場は鉄柵で囲まれた大きなスペースですが、その内部は飼っているいのししの種類に応じてやはり鉄柵でいくつかに区分してあります。

こちらの区画に入っているいのししは、体つきが丸く太っており、体毛も上の写真のいのししより細く柔らかいように見えます(下の写真)。

イノブタといういのししと豚の交雑種があるそうですが、この区画ではそのイノブタを飼っているようです。

いのしし牧場

 通常、野生のいのししのオスと豚のメスを交尾させるとイノブタが生まれます。野生のいのししは繁殖期は年に一回ですが、イノブタは周年繁殖で季節を問わず1年中繁殖可能です。

イノブタの肉は、豚の肉のように脂くさくなく、歯ごたえがあっておいしいそうです。私も、昔、神奈川県厚木市の近くの温泉宿でイノブタの肉を食べたことがありましたが、現在ではそれがどのような味だったかは覚えていません。

下の写真は、小さい子供を連れたメスいのししです。このいのししも、ご覧のようになんとなくでっぷりと太っていて毛並みも薄く光っているので、イノブタと思われます。

私は昔子供のころ千葉県の田舎にいましたが、そのころ近所の農家で豚を飼っていました。その豚の子供は毛の色が白でしたが、このイノブタの子供は体毛がご覧のように赤褐色です。体つきも、豚の子供とちがって野生のいのししの子供に近いようです。

いわな

 野生のいのししの子供は、食用の瓜(うり)を連想させる横縞があるので、瓜坊(うりぼう)とよばれます。このイノブタの子供たちも、下の写真のように、少々ぼやけていますがやはり横縞があり、野生のいのししの子孫であるのがわかります。

鉄骨で組んだ通路から牧場の人がえさを投げると、これら瓜坊たちが土煙を上げて飛んできました。瓜坊たちは、やはり人間の子供と同じで非常にすばしこいので、写真を撮るのにだいぶ苦労しました。

いのしし


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(2017/09/14(木) 07:12)

 関東大震災94年
 1923年(大正12年)9月1日12時少し前に、神奈川県西部を震源とする巨大地震 「大正関東地震」 が起こりました。

今から6年半前、東北地方沖で発生した巨大地震で首都東京も震度5強の激しい揺れを経験し、私どもも大変恐ろしい思いをしました。
今後関東地方で発生が懸念される大きな地震に備えるために、94年前の大正関東地震について改めて調べました。

関東地震は、相模トラフを震源とするプレート境界型地震(海溝型地震)で、200年以上の周期で繰り返し発生すると考えられています。

関東大震災 大正関東地震は左図のように神奈川県西部を中心として発生したとされ、関東地方全域で本震と余震2回併せて計5分以上にわたって激しい揺れが続きました。

大正関東地震の規模はマグニチュード7.9で、阪神大震災の7.3を大きく上回るが、東日本大地震の9.0よりははるかに小さいということです。

 しかし、大正関東地震は東京・神奈川の大都市圏に近いところで発生したため、大きな災害を引き起こしました。

当時は東京市部でも炊事に薪炭を使っていましたが、大正関東地震は正午の少し前に発生したために市内の方々で昼食を作るための七輪などの火から火災が発生しました。

関東大震災 さらに悪いことに、その日は東京地方は台風による強風が吹いていたため、市内各所で火災はまたたく間に広がり、特に江東区など下町では地域全体が猛火に包まれました。

地震からおこった東京市の大火災は2日間にわたって猛威をふるい、地震の揺れで倒壊した建物とあわせて約30万戸の建物が失われました。

 この大災害によって、東京市だけで6万8000人の方々が命を奪われました。東京のような大都市が巨大地震に襲われた場合、その後に発生する大火災がいかに恐ろしい災害を引き起こすかがわかります。

その大災害を見て建築基準法が改正され、その後に建築された住宅は阪神淡路地震当時より格段に堅固になりました。一昨年の東日本大地震で仙台市の全壊棟数が阪神淡路地震当時の神戸市より比較的に少なかったのは、それが効果をあげたのでしょう。

関東大震災 94年前の関東大震災の際は、家財道具を積んで都心から避難する大八車で狭い道路が埋め尽くされ、周囲から飛んできた火の粉がそれに着火して大惨事になりました。
現在では、大八車に代わって、道路上で渋滞する多数の自動車に火が着いて積載しているガソリンが爆発し、道路がいたるところで火の海になるのではないかといわれます。

 現在の自動車数は、17年前の阪神淡路地震当時よりさらに大幅に増加しています。大地震の後、大都市中心部から自動車で避難するのはまず無理と考えるべきでしょう。


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(2017/09/12(火) 07:39)

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