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 Windows10にアップグレード
犬吠埼 ・ 君ヶ浜 ヤフオク!で1万円で落札したパソコンは、PCI Expressスロットに新しくネットワークアダプターを付加することで、なんとかインターネットに接続できるようになりました。
その後、ブラウザ、メールプログラム、事務ソフトなどをインストールして、一応日ごろの仕事に使えるようになりました。

 このころ、マイクロソフト社は、Windows7は2016年7月末までは Windows10に無料でアップグレードできるとアナウンスしていました。

上記のように整備したWindows7パソコンを使用していると、マイクロソフト社からメッセージが届き、このパソコンに搭載されているWindows7とグラフィックボードなどのハードウェアはWindows10 にアップグレードできる要件を満たしているとのことでした。

それに応じて Windows10 にアップグレードしておけば、2020年の先までこのパソコンを使用できることになります。

犬吠埼 ・ 君ヶ浜 私のノートパソコンは、少し前にこの無償サービスを利用してWindows 10にアップデートしました。

今回ヤフオク!で入手したこのデスクトップパソコンもWindows 10にアップデートしようと思います。
画面右下の隅にある"Windows Update"から Windows10 にアップグレードをトライしました。

 "Windows Update"をクリックし、現れたメニューから 「Windows 10 を入手する」 を選択します。すると、下図の画面が現れ、マイクロソフト社のウェブサイトから Windows 10 がダウンロードされはじめました。

Windows 10 のダウンロードは2つの部分に分かれているようで、私の場合には40分ほどで最初の部分のダウンロードが終了しました(ADSL回線を使用)。引き続いて、本体部分のダウンロードが始まりましたが、こちらは2時間以上もかかりました。

パソコン

 主要ファイルのダウンロードが終了した後、Windows 10 をパソコンにインストールする画面が現れました。
そのインストールもかなり時間がかかりましたが、ようやく終了した後、再起動すると、ようやくWindows 10 のデスクトップ画面が現れました。Windows 10の画面はこれまでのWindows 7とはだいぶ違うので、なれるのに少々時間がかかりそうです。

パソコン


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(2016/12/30(金) 07:12)

 南米で旅客機墜落
 2016年11月28日、南米中部ボリビアのサンタクルス空港から中米コロンビアのメデジン空港へ向かっていた航空機が、同国のアンティオキア県で墜落しました。

同機にはブラジルのサッカークラブ シャペコエンセの首脳陣・メンバーら一行が搭乗しており、多数がこの事故で犠牲となりました。

その後の調査で、メデジン空港の航空管制当局に残された交信の録音から、墜落直前に同機のパイロットが燃料が切れたと連絡していることが明らかになりました。

私は、その報道をテレビニュースで見たとき、事故にあった旅客機が下の写真のような4発のジェット機であったのを知りました。

南米で旅客機墜落

 最近は中型旅客機は双発のターボジェットエンジンを搭載するのが普通です。事故機はイギリスで17年ほど前に製造された 「アブロRJ85(BAe-146)」 という機種で、比較的短距離の路線を運航するリージョナルジェットを目標に開発されましたが、低騒音と高離着陸性能をフィーチャーにするためにあえて4発機にしたとのことです。

その4発旅客機アブロRJ85が、なんと目的空港に着陸する寸前に燃料切れで墜落したというのです。

南米で旅客機墜落 事故機は左の地図にあるボリビア南部の都市サンタクルスの空港を飛び立ち、北方中米コロンビア北部のメデジン空港に向かっていました。

それら両空港間の直線距離は2972 kmで、東京からフィリピンの首都マニラまでの距離とほぼ同じです。南米大陸がいかに広大であるかがわかります。

 さて、問題はリージョナルジェットを目標に開発されたアブロRJ85が、これほどの長距離を飛行できるかです。
事故機アブロRJ85の諸元を調べると、公称航続距離は2965kmと記されてありました。したがって、今回のボリビア・サンタクルス空港からコロンビア・メデジン空港までのフライトは同機の公称航続距離園を超えていたことになります。

事故機はチャーター便だったとのことで、どのような事情があったのかわかりませんが、少なくとも日本ではこのような無謀なフライトは絶対に国土交通省の認可がおりません。同機に乗って事故にあわれた皆様の無念はいかばかりかと、お察し申し上げます。

なお、この記事を書くにあたって調べていると、現在航空界で話題になっているリージョナルジェット機MRJのスペックを目にしました。
MRJは三菱重工が開発中の中型ジェット旅客機で、MRJ9の公称航続距離は3310km、登場席数は88とのことです。事故機RJ85の登場席数は85なので、両機種はほぼ同等の大きさといえるでしょう。

南米で旅客機墜落


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(2016/12/28(水) 07:32)

 日本海沿岸の大火
 本年も押しつまった12月22午前10時半ごろ、新潟県糸魚川市大町1丁目のラーメン店から火災が発生しました。

火は折からの強い南風にあおられながら燃え広がって周囲の家屋を吞み込んで行き、およそ3時間ほどで火元から300メートルほど離れた日本海側の海岸近くにまで達しました。

犬吠埼 ・ 君ヶ浜 この大火災でこの地区の住宅などおよそ150棟が焼失したということです。

わずか数時間でこれほどの大火災になったのですから、強風下の大火がいかに恐ろしい災害を引き起こすかがわかります。

雪の降る年末に焼け出された被災者皆様のご苦労をお察し申し上げます。

 これまで歴史的に見ても、日本海沿岸の新潟市の近くでは何度も大火災が起こってきました。下の地図に見られる山形県酒田市でも、やはり強風下の大火災が起こったことがあります。
そして、今回大火災が発生した新潟県糸魚川市も地図に見られるように新潟市からそれほど遠くないところにあります。

犬吠埼 ・ 君ヶ浜 新潟市中心部では、明治維新以後、「新潟大火」 と呼ばれる大規模な火災が数回起こりました。
1955年(昭和30年)10月1日には、新潟県新潟市の中心部で大火災が発生しました。ちょうど日本海を台風22号が通過した直後のことで、西から吹き付ける強風により、東方向の新潟市街地へ向けて火の手が広がりました。

 台風からの吹き返しの強風に加え、連日のフェーン現象で空気が乾燥していたため火の回りが速く、消火が追いつきませんでした。

当時は新潟市内の建物はまだ木造が多く、その地区で焼け残った建物は少なかったそうです。結局、焼失棟数892棟、罹災世帯1,193世帯、罹災人員5,901名という大災害になりました。

 上記新潟大火から21年後、1976年(昭和51年)10月29日に山形県酒田市で大火災が発生しました。この火災で酒田市中心部の商店街約22万5000m2(22.5ha)が焼失しました。

同日17時40分ごろ、映画館のボイラー室から出火し、またたく間に隣接していた木造ビルや木造家屋に燃え広がりました。当時酒田市は西から最大瞬間風速26.7m/sの風が吹いていた[ので、大量の飛び火や火の粉が発生し、火災はさらに広がりました。

この大火災で酒田市の中心部を含め1774棟が焼失し、被災者は約3300名にも達したということです。

 今回の糸魚川市の場合も、それまで連日のフェーン現象で建物や空気が乾燥していたということです。しかも、当日は強い南風が吹いていたので、火災がまたたく間に広がりました。
糸魚川市の消防隊の隊長は、「残念ながら消火の能力がまったく及ばなかった」と述べたそうです。火の回りが非常に速かったので、近隣の市からの応援消火が間に合わなかったのでしょう。

100年近く前に起こった関東大震災でも、火災が起こったとき、関東地方には台風が襲来していて強い風が吹いていました。
しかも、大地震が正午に起こったので、お昼の煮炊き用に起こした火がもとになって都市部のほうぼうで火災が発生しました。歴史にのこる大災害である関東大震災は、このように強風下に発生した大火災が10万人を超える命を奪うことになったのです。


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(2016/12/26(月) 07:07)

 吉川英治記念館 ・ 庭園の秋
 小説 『宮本武蔵』 などで有名な作家吉川英治さんは、太平洋戦争の末期、戦災を避けて東京都心の赤坂から東京都青梅市の郊外に引き越しました。この青梅の旧吉川邸が、現在は 「吉川英治記念館」 として一般に公開されています。

11月の末のよく晴れた日、私どもはJR青梅線二俣尾駅からこの吉川英治記念館を訪ねました。山際にある記念館の広大な庭園はすでに深秋の粧いをしており、青空のもと木々の彩りが鮮やかでした。

井の頭公園・池の秋

 この邸で吉川さんが 『新書太閤記』 を執筆し、新聞に連載しているうちに、敗戦を迎えました。日本の勝利を信じて疑わなかった吉川さんにとって大変なショックだったようで、その後二年間執筆をやめ、この屋敷で晴耕雨読の日々を送ったということです。

屋敷の庭園は、中央に広い芝生があってその外囲に大昔からの武蔵野を思わせる巨樹が立ちならんでいます。敷地の広さは約6000平方メートル(約2000坪)もあるそうです、

井の頭公園・池の秋

 吉川英治の日常もてなし体験事業実行委員会は、11月12日、吉川英治記念館特別公開 「青梅市吉野梅郷・紅葉ライトアップ」 を行ったということです。今回は、普段は見ることができない吉川英治記念館の庭園をに照明を持ち込んでライトアップを行い公開したそうです。

この庭園の鮮やかな紅葉が夜の闇の中でライトアップされたら、さぞかし見事だったことでしょう。

広い庭園の中心でひときわ目立つ鮮やかな紅葉の大木は、ウチワカエデでしょうか。秋の陽光のもと、抜けるような青空をバックにたかだかとそびえていました。

井の頭公園・池の秋

 屋敷の門を出て、塀に沿って屋敷の裏に回りました。写真は旧吉川邸の裏門と、その周りの見事な紅葉です。

裏門の外から、広い庭園の中心にシイの大木が2本そびえているのが見えます。樹齢は500~600年で、戦国時代からこの地の変遷を見守ってきたことになります。吉川さんはこの大木を愛し、よく木の下でお茶を飲みつつくつろいでいたそうです。

井の頭公園・池の秋

 吉川英治記念館の裏通りから邸内の紅葉を愛でながらしばらく歩いていると、裏通りに面して小さな公園がありました。その中に三角形のおむすび型の句碑が立っているのを見つけました(下の写真)。

碑には、「紅梅や 秩父嶺になお 白きもの」 と記されてありました、このあたりから遠望する秩父の山々に雪が白く光っているという句意でしょう。句の作者は不明ですが、あるいは吉川さんかもしれません。

井の頭公園・池の秋


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(2016/12/24(土) 07:05)

 井の頭公園 ・ 深秋
 井の頭公園は、「井の頭恩賜公園」というのが正式の名前で、天皇家の御領だったのが大正6年に一般に開放されたということです。広大な公園の内部には、自然文化園というミニ動物園もあります。

井の頭池の西側、深い林の中に緑の銅屋根、赤い社殿の壮麗な神社が見えます。普通井の頭神社と呼ばれていますが、正しくは井の頭弁財天という弁天様だそうです。

井の頭公園・池の秋

 徳川家康は江戸開府に際して井の頭池を江戸の水源として選定し、そこから神田川を通じて江戸市内に水を送りました。
その後、徳川三代将軍家光はこの地を鷹狩りなどでたびたび訪れ、水の神様弁財天の宮社を建立しました。

それら幕府の庇護により井の頭弁財天は隆盛し、江戸の水源の守り神として、また財産を授ける神として、更には芸能・音楽の神として江戸の庶民の信仰を集めました。

井の頭公園・池の秋

 東京都の西部、この三鷹かいわいには大きな池が少ないので、井の頭池は水鳥の貴重な生息地になっています。この秋の時期には、シベリアなど大陸北方から渡ってきた水鳥が井の頭池で羽を休め、えさをもらって体力をつけています。

下の写真左側は、カモのなかまのオナガカモという水鳥だそうです。代表的な冬鳥の一つで、秋に大陸北方から日本全国の河川・池・沼・湖などに渡来しています。他の淡水カモと比べ尾羽が長いので見分けやすいということです。

下の写真右側は、やはりカモの仲間でキンクロハジロという水鳥だそうです。湖沼、池、河川など淡水、汽水域に生息して潜水してえさをとる習性があります。オスの後頭部には写真のようにポニーテールを思わせる長い冠羽があるのが特徴です。

井の頭公園・池の秋

 井の頭池の周囲にはカラマツなどの落葉樹が多く、秋が深くなるとそれらの落ち葉が池の面に厚く散り敷きます。その落ち葉を掻きわけるように白鳥が静かに泳いでいました。

ヨーロッパでは池や川で白鳥をよく見かけますが、白鳥はシベリアにも住んでいるとのことで、寒さに強いのでしょう。さかんに長い首を池の水の中に突っ込んで、エサを探しているようでした。

井の頭公園・池の秋

 池の岸辺には、カモや白鳥たちがたくさん群れています。お互いに喧嘩することもなく、晩秋の日差しの中でのんびりと過ごしていました。

突然、それらのカモや白鳥たちが一斉にある方向に走り出しました。大きな白鳥がカモたちを踏み潰すようにして走っています。どうやら飼育担当の人が池の岸辺から池に向かってえさを撒き始めたようです。

井の頭公園・池の秋


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(2016/12/22(木) 07:36)

 東京農大収穫祭 ・音楽
 東京農大は、明治政府の重鎮榎本武揚によって125年前に創立された伝統ある農業大学です。この東京農大で、毎年10月末ごろに 「収穫祭」 という文化祭を行っています。

学内の中庭で、やわらかいアンサンブルの音が聞こえました。農大のオーケストラのメンバーが出店している喫茶店のPRのため、中庭のイチョウの下で5、6人の学生さんが演奏していました。

秋の陽光のもと、屋外で聴く楽器の音色は大変透明で、コンサートホールで聴くのとはまた違う趣きがあります。楽の音に誘われて、私どもも喫茶店で一休みしました。

東京農大収穫祭

 こちらは東京農大の学生さんが結成した弦楽四重奏のグループのようです。弦楽四重奏は室内楽の代表的な形式の一つで、ヴァイオリン2本、ヴィオラ1本、チェロ1本で演奏します。

弦楽四重奏はまずドイツの作曲家ヨーゼフ・ハイドンによって確立され、その後モーツァルト、ベートーベンの古典派、さらにロマン派などの大作曲家たちによって多数の名作が作曲されました。

東京農大収穫祭

 下の写真の建物は、1991年(平成3年) に東京農大創立百周年を記念して建築された講堂だそうです。内部には記念講堂のほかにカフェテリアグリーン、レストランすずしろなども入っています。

この収穫祭の日程にあわせて、東京農大を受験する皆さん向けの進学説明会が開催されます。学科選びに迷っている方、推薦入試を受験希望の方は、学科の先生方に直接相談できるチャンスです。

東京農大収穫祭

 その記念講堂の近くを歩いていると、建物の中からジャズを演奏する大音響が聞こえました。その音がするほうに歩いて行くと、どうやら階段教室を利用してジャズのコンサートを開いているようです。

階段教室の底にある教壇のまわりにドラムスやキーボードを並べ、5人ほどのプレーヤーがドラムス、金管楽器、エレキギターなどを演奏していました。すり鉢状の階段教室の造りは、ミニ・ジャズコンサートにはちょうどよいのでしょうか。

東京農大収穫祭

 照明を落とした階段教室の教壇のあたりで、エレキギターとドラムスがレーザー光を浴びて大熱演の最中でした。その周囲には収音マイクのポールが林立し、ステージの前には客席に向けて大型スピーカーが置かれて大音響を発散させています。

階段教室の上までいっぱいになったお客さんたちは、会場をゆらすようなジャズの大音響に圧倒されたようでした。

東京農大収穫祭


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(2016/12/20(火) 06:53)

 服部牧場の動物
 神奈川県厚木市の丹沢山塊東端部にある服部牧場は、昭和44年に乳牛中心の農場として開場し、その後生産型牧場に発展しました。

日々良野の高原の夏は冷涼で、牧草の生育と乳牛の飼育には最適の環境です。牛や馬、ヒツジたちと触れ合えることもできます。

10ヘクタールもある広大な放牧場のフェンス際に立つと、遠くに白いヒツジや馬の群れがのんびりと牧草を食んでいるのが見えました。

放牧場の周囲にはエバーグリーンと呼ばれる草地が広がっています。そこは、ヒツジなどおとなしい動物を放牧したり、入場者に乗馬体験をしてもらうなどに利用しているようです。

服部牧場の動物

 放牧場のフェンス際に、干し草を厚く積み敷いた場所がありました。その中にヒツジくんの一団がふかふかした干し草に埋もれるように座り込んでゆっくりと過ごしています。

ヨーロッパでは都市の近郊に牧場が多くあり、ヒツジを放牧していますが、日本ではそれはほとんど見ることはありません。

昭和30年代前半には日本全国でヒツジは100万頭ほど飼育されていましたが、現在は日本で飼育されているヒツジは2万頭ぐらいだそうです、そして、それらの大多数は食肉用で、ほとんどの羊毛は廃棄されてしまうということです。

服部牧場の動物

 フェンス際から放牧場を見ていると、それまで遠くで牧草を食んでいた馬たちが近寄ってきました。えさをくれると思ったのでしょうか。

それらはポニーではなく普通の馬ですが、体つきから見てサラブレッドなど競走用の馬種ではないようです。小柄でおとなしい和種馬の系統かもしれません。

和種馬は小柄なので日本人の体型に合っており、乗馬未経験者でも安全に野外騎乗を楽しめるということです。

服部牧場の動物

 服部牧場では、入場者に対して乳搾り体験、バター作り体験、乗馬体験などの教室を行っています。個人だけでなく小中学校などが団体で体験教室を受けることも多いそうです、

乗馬体験教室では、牧場の係員が子供さんたちを馬に乗せ、オープン・グリーンの中をぐるりと一周引きまわしてくれます。

服部牧場の動物

 服部牧場は。昭和51年から3か年をかけて整備され、神奈川県下随一の広さと規模を誇る近代的な牧場になりました。

放牧場の奥、丘陵を背にしたところに赤い円筒形のサイロを持つ畜舎 「ジャージー牛舎」 があります。 ここは来牧者に牧畜への理解を高めていただくための 「農牧館」 にもなっており、各種展示を見たり体験ができるほか、野外での酪農教室も行っています。

服部牧場の動物


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(2016/12/18(日) 07:24)

 ボストン美術館へ
 ボストン到着の翌日、早朝にボストンシンフォニーホールの近くを散策し、次いでその隣にある宗教団体クリスチャン・サイエンスの総本山を訪ねました。その後ホテルに帰ると、まだ朝9時前でした。

ヨーロッパでは、ホテルは朝食付きが普通で宿泊料金に朝食分が含まれています。しかし、アメリカでは普通のホテルでは朝食は付きません。私どもはホテルの隣のレストランで簡単な朝食をとりました。

ホテルの前の大通りには、ボストン市の 「地下鉄」 と呼ばれる電車が通っています。地下鉄は、市の中心部では確かに地下のトンネルを通りますが、市の外周部に出ると路面を走行します。このあたりを走っている地下鉄はグリーンラインと呼ばれる路線です。

東京農大収穫祭

 レストランで朝食をとったのち、ホテルの部屋に戻って一休みしました。本日はこれからすぐ近くにあるボストン美術館を訪ねる予定です。例によって美術館の開館時間刻10時に入館しようと思います。

地下鉄の一日券を購入したので、ホテルのすぐ近くにある停留所から地下鉄に乗り込みました。地下鉄の車両は、下の写真のように東京の地下鉄よりずっと小さく、私どもの家の近くを走る東急世田谷線の車両と同じくらいでした。

東京農大収穫祭

 地下鉄に乗って今朝早く歩いて行ったボストンシンフォニーホールの前を通り過ぎました。まもなく大学のような大きな建物が見えてきました。建物の壁面には、"NORTHEASTERN UNIVERSITY" と書かれた大きな幕が張られていました。

ノースイースタン大学は1898年に創立されたのち次第に拡充されて1916年には総合大学として認定されました。現在では学生数は17000人に達し、大学としてのレベルも大変高くなったということです。

東京農大収穫祭

 ホテルの前からほんの数駅行ったところでボストン美術館の巨大な建物が見えてきました。その前を少しすぎたミュージーアム・オブ・フアインアート駅で地下鉄を降りて、ボストン美術館に向かいます。
停留所は昔の東京の都電と同じように自動車が行き交う道路の中央にあるので、自動車に気を付けて歩道にわたります。

ボストン美術館は、ニューヨークにあるメトロポリタン美術館、シカゴ美術館と並んでアメリカ三大美術館の一つとされる世界的な美術館です。ボストンの美術愛好家など有志の熱心な運動により、アメリカ独立100周年にあたる1876年に創館されました。

現在では、ボストン美術館には8部門にわたり50万点を越える所蔵があるということです。また、伝統的に日本美術、東洋美術の名品を多数所蔵していることでも知られています。

東京農大収穫祭

 建物のファサードにオレンジ色と白の垂れ幕が下がっており、その下には星条旗が掲げられていました。なにか新しい企画展示がスタートするので、それを契機に美術館の会員を募集しているようです。

案内書で見るとここがボストン美術館の正面入口のようですが、まだ開館時間の前のせいかそのあたりにはまったく人が見られませんでした。私ども一般入場者は、別の入口から館内に入るようです。

東京農大収穫祭


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(2016/12/16(金) 07:26)

 パソコンの外部記録メディア
 パソコンを長期間にわたって使用していると、パソコンのデータを外部のディジタルメディアに記録する必要性が出てきます。

私は5年ほど前にさまざまな外部記録メディアを購入して使ってきましたが、最近はそれらをあらかた使いつくしてしまいました。

今回OSをWindows10に変更したためにまた外部記録メディアが必要になったので、またそれらを少しまとめて購入することにしました。

犬吠埼 ・ 君ヶ浜 歴史の古いCD-Rは音楽記録用のコンパクトディスクと同じ形状の 「追記型」 外部記録メディアです。

現在となっては記録容量は標準650MBと小さく、データ転送も遅いのですが、それでも安価で簡便な外部記録メディアとして広く使われています。

 インターネットでこのCD-Rの安売りをさがしたところ、なんと10枚が入ったパッケージが税込みで259円で販売されているのを見つけました。日本のグリーンハウスという会社が販売しているもので、詳しく調べたところデータ記録用としては問題ないようです。

CD-Rは昔は1枚100円を切ったら安いと思った記憶がありますが、それに比べて10枚259円とはただ驚くばかりです。

犬吠埼 ・ 君ヶ浜 次いで、データ記録用のDVDをインターネットで探しました。データDVDは、映像録画用のDVDの記録フォーマトをデータ記録に利用するもので、現在では大多数のパソコンにDVDのデータ書き込み/読み出しができる光学ドライブが搭載されています。
DVD-RはDVDブランクメディアとも呼ばれ、CD-Rと同じく1回だけ書き込みできる追記型メディアです。

 DVD-Rの安売りをさがしたところ、こちらもなんと10枚が入ったパッケージが税込みで450円で販売されていました。DVD-R1枚当たりの価格では、45円ということになります。

このDVD-Rは "Touch" という聞いたことのないブランドですが、大手メーカーTDKと同じ品質とのことで、実用上は別に問題ないようです。

ともかく性能上十分な記録ディスクがこのように安価で買えるのはありがたいことで、さっそくCD-R、DVD-Rを10枚づつ購入しました。

犬吠埼 ・ 君ヶ浜 USB接続メモリとは、書き換え可能で不揮発性のフラッシュメモリをパソコンからはハードディスクと同様に動作するように構成し、USB端子でパソコンに接続した記憶装置です。

近年のフラッシュメモリの大容量化、価格低下により、現在ではGBクラスの大容量USB接続メモリが安価に入手できます。

 DVD-R1枚当たりの記憶容量が4.7GBですから、上記のような大容量USB接続メモリをDVD-Rの代わりに利用できるようになりました。

今回は、Windows10のインストールディスクとして利用するために、信頼性の高い8GBのUSB接続メモリを購入しようと思います。

大手メーカーBUFFAALOの8GBUSB接続メモリィスクが安く販売されているのを見つけました。USB3.0の8GBUSB接続メモリが580円とのことですが、確か数年前には1000円以上の価格だったと思います。

犬吠埼 ・ 君ヶ浜 8GBUSB接続メモリがこのように安くなったのを知り、USB接続メモリをもっといろいろな用途に使おうと考えました。

4GBUSB接続メモリの安売りをさがすと、トランセンドという会社の製品が355円で販売されていました。
こちらはUSB2.0仕様ですが、普通の用途には十分な性能です。

 トランセンドは台湾の会社ですが、フラッシュメモリでは世界の大手の一角に位置しているそうです。その会社が製造したUSB接続メモリですから、信頼性には問題はありません。

このようにパソコンの外部記録メディアが非常に安価になったのは、私どもパソコンの利用者としては大変ありがたいことです。
パソコンのハードディスクは、ときにはクラッシュしてデータが読み出せなくなることもあります。外部記録メディアを上手に使ってパソコンのハードディスク上のデータをバックアップしましょう。


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(2016/12/14(水) 06:40)

 吉川英治記念館
 小説 『宮本武蔵』 などで有名な作家吉川英治さんは、太平洋戦争の末期、戦災を避けて東京都青梅市の郊外に引き越しました。
この青梅の旧吉川邸が、現在は 「吉川英治記念館」 として一般に公開されています。

11月の末のよく晴れた日、私どもは吉野梅郷の一角にあるこの吉川英治記念館を訪ねました。

井の頭公園 新宿から中央線で立川まで行き、そこでJR青梅線に乗り換えます。オレンジ色の可愛らしい電車に乗って、多摩川の渓谷に沿って山に分け入り、二俣尾駅で下車しました。

二俣尾駅は、多摩川が太古から刻んだ河岸段丘の上に位置しており、南の方向は広々と吉野梅郷を見渡すことができます。

 二俣尾駅を出て町をぬけると、多摩川に向けて緩やかな下り坂になります。その角を曲がると、目の前に大きな橋が多摩川の対岸までかかっているのが見えました。

これは奥多摩橋という上路鋼アーチ橋で、長さは177m、昭和14年に造られたそうです。鉄骨構造ということで、遠くから見ると鉄塔のように鋼材がアーチ型に組まれているのがわかります、

井の頭公園・池の秋

 奥多摩の渓谷も、このあたりまで来るとかなり川幅が広くなります。奥多摩橋の欄干から見下ろすと、川はかなりの水量があり、川の中の大きな岩にあたってしぶきが上がっていました。

奥多摩橋を渡ってさらに15分ほども歩くと、遠くに大きな屋敷が見えてきました。記念館の入口は「長屋門」という袖部屋を持つ造りになっています。昔の武家や豪農の屋敷にはこのような門が多かったそうです。

井の頭公園・池の秋

 吉川さんがこの邸で 『新書太閤記』 を執筆し、新聞に連載しているうちに、敗戦を迎えました。日本の勝利を信じて疑わなかった吉川さんにとって大変なショックだったようで、その後二年間執筆をやめ、この屋敷で晴耕雨読の日々を送ったそうです。

主屋は江戸末期に建てられた豪農の家だったようで、当時は養蚕業を兼ねた住居だったそうです。それを吉川さんが昭和16年に買い取って改築し、以後没するまでここに住みました。

井の頭公園・池の秋

 吉川英治さんの業績を顕彰するため昭和40年に財団法人吉川英治国民文化振興会が発足し、吉川英治賞が設立されました。

その後昭和52年、同財団によって青梅の吉川英治旧邸の敷地内に吉川英治記念館が開館しました(下の写真)。

記念館内部には、「宮本武蔵」、「太閤記」、「新・平家物語」などの自筆原稿、仲間の作家たちや出版社など関係者とやりとりした書簡、初刊本、数多くの短冊、文具など身の回りの品々などが展示されています。

井の頭公園・池の秋


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(2016/12/12(月) 07:39)

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