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 ソフィア王妃記念美術館 / ミロ・ダリ
 現在のスペイン国王妃の名を冠したソフィア王妃記念美術館は、マドリードの交通の中心アトーチャ駅の近くにあります。同美術館は、20世紀以降のスペイン現代美術が展示の中心になっており、とりわけピカソの名画 《ゲルニカ》 を展示しているので有名です。

 シュールレアリストと呼ばれるスペインの画家ミロ、ダリの絵画も、たくさん展示されていました。実はこれらの画家の作品は、私はこれまで美術館ではほとんどなにも見たことはありません。

そして、ピカソを含めこれら3人の画家は、すべてスペイン北部カタルーニャ地方の出身なのには驚きました。また、有名なチェリスト・指揮者のパブロ・カザルスもこの地方出身です。このように特異な天才を輩出する理由が、この地方にはなにかあるのでしょうか。

ミロの作品 ミロは1893年生まれですから、ピカソの12年後輩になります。ダリは1904年生まれで、そのミロよりさらに11年後輩です。

この美術館の展示作品で見る限り、ミロは、左の絵画のように、鮮やかな色彩を駆使して明るく力強い画面を構成しているのが目に付きました。

どこか可愛らしくて、ユーモラスなところもあり、抽象絵画としてはわかりやすいのではないかと思います。日本でもミロのファンは非常に多いようです。

ダリの作品 色彩画家のイメージがあるミロに対し、ダリのほうは大変複雑な内容をもつ画家というべきでしょうか。

ミロよりさらに強力な表現能力を持つ偉大な造形作家であると感じました。

ミロより11年後、20世紀になってから生まれたにもかかわらず、優れた具象画も多く残しているようです。

ダリの抽象画のほうも、訴求力が非常に強力で、おもわずその絵の前にたったまま見入ってしまいます。

ダリは、私がこれまでほとんど知らなかった画家ですが、今後この画家の作品を方々の美術館で見て勉強したいと思います。

ソフィア王妃記念美術館 当美術館の中心であるサバティーニ館は、18世紀に国王カルロス3世がイタリアの建築家フランチェスコ・サバティーニに命じて設計させた病院を改築したものだそうです。
サバティーニ館の展示室を出ると、天井にアーチのついた長い廊下になっていました。このシンプルで静謐さのある造りは、この建物がもとは病院であった名残でしょうか。

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(2016/07/31(日) 06:42)

 水元公園の大樹
水元親水公園 広大な水元公園の大通りには、丈の高い街路樹が植えられています。

普通の公園や市街の街路樹は、周りの道路や樹木との関係から樹頂や枝などをつめるのが普通ですが、ここでは手を入れずそのまま生育させています。
この樹木は原種スズカケノキ、プラタナスとも呼ばれる落葉広葉樹です。

水元親水公園 水元公園では、長さ1.2kmに及ぶポプラの並木道が有名です。ポプラが見通す限り立ち並ぶ並木道は、ヨーロッパではよく見かけますが、少なくとも東京の区部ではほかに例がないと思います。
秋にはポプラはみごとに黄葉し、冬にはその葉をみな落として天に向かって突き刺さるように直立した姿になります。

 水元公園が造成された場所は、古利根川の名残の大湿地帯だったそうです。それを公園として造成するために、縦横に多くの水路を掘削したのでしょう。下の写真のような幅の広い水路が水元公園内のいたるところに通っており、その周辺に湿り気を好む樹木が生い茂っています。

昔、16世紀末、徳川家康が統治を始めたころの江戸地方は、利根川、荒川など大河の川筋が大湿地帯を形成していたそうですが、この公園にはその時代を思わせる風景が残っています。

水元親水公園

 水路沿いには散策路が整備されており、ところどころに下の写真のような小橋がかかっています。昔の関東地方の田園を思わせる風景で、私どもも心を和ませて長時間散策をしました。

カメラ趣味の俳人として知られた石田波郷は、昭和32年に江東、墨田、江戸川、葛飾、足立の江東5区の季節の風物、行事、産業などを取材して 「江東歳時記」 として新聞に連載しました。
当時の江東一帯には、この公園のような水辺が多かったのでしょう。

水元親水公園

 ほとんど人通りのない水路横に、かなり大きな菖蒲田があるのを見つけました。ここの菖蒲はきちんと整備されており、みごとな花をつけていましたが、来園者に見てもらうための菖蒲田ではないようです。

公園の入り口近くにはあたりは来園者でにぎわう大きな菖蒲田が広がっていますが、こちらの菖蒲田はそれらのための予備施設として菖蒲を栽培しているのかと思われます。

水元親水公園

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(2016/07/29(金) 06:54)

 公園の動物たち
ねこ 東京都世田谷区には、大きな公園が多数あります。それら公園の中を歩いていると、ほうぼうでペットの動物を連れた飼い主さんをよく目にします。

左の写真は都立駒沢公園の中で撮影したもので、可愛らしい帽子をかぶって三輪車に乗った猫ちゃんです。前足で三輪車のハンドルを握って、悠然とあたりを見回していました。

公園の楽器 うさぎを公園に連れてくる飼い主さんも、ときどき見かけます。うさぎも広い公園にきて大喜びで跳ね回っていました。

うさぎは、狭い室内でも飼え、体臭がほとんどなく大きな鳴き声もあげないので、一人暮らしでも飼いやすいとか。
ものをかじる習性があり、私の知人は電話線をかじられて不通になったそうです。

公園の楽器 フェレットはイタチ科に属する肉食性の哺乳小動物で、ヨーロッパでは古くから飼育されています。最近日本でも飼う人が多くなり、公園でもときどき見かけるようになりました。

体長は成体で35 - 50 cmほどで、狭い室内でも飼えます。イタチ科ですが、販売しているものは臭腺を除去してあるので臭うことはないそうです。

公園の楽器 マンションなど集合住宅でペット飼育を禁止しているところがかなりあるようです。

そのような場合には、「究極の鳴かない動物」としてカメやヘビが人気があるそうです。
このカメくんは、飼い主さんが小さな水槽に入れて公園に連れてきていました。水槽からカメくんを出して、公園の草原を散歩させていました。

アオサギ 左の写真は、ペットではありませんが、馬事公苑の池でよく見かける大型の野鳥アオサギです。名前の通り体色が薄青色を帯びた灰色の鳥で、翼を広げると幅が150-170cmにもなります。
池の中を長い脚で抜き足差し足でそっと歩き回ります。小魚を見つけると、目にもとまらぬはやわざで長い首を伸ばして大きなくちばしでとらえます。

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(2016/07/27(水) 07:02)

 関東、渇水の夏 (2)
 本年は、関東甲信地方は、6月に梅雨入りが宣言されたのちも高気圧に覆われて晴れる日が多く、梅雨らしくない状態が続いています。7月下旬になっても気象庁は梅雨明け宣言は出していませんが、相変わらず降水量は少ないままです。

気象庁のウェブサイトを見ると、2016年7月23日まで30日間での奥利根地方の合計降水量は、藤原で平年比65パーセント、片品で平年比76パーセント、沼田で平年比61パーセントと少雨状態が続いています。今後2週間程度も、まとまった雨の降る可能性は小さいとのことです。

首都圏の水供給は、利根川・荒川の上流のダム等に貯められた水が主力になっています。その利根川・荒川源流部の気候ですが、実は統計的にはもともと年間降水量はあまり多くありません。その代わりに奥利根地方の山岳からの雪解け水があるので、通常の年ではそれらダムはまずまずの貯水量が得られるということです。

ところが昨2015年から206年にかけての冬は暖冬で降雪量が少なかったので、山岳からの雪解け水は例年よりずっと少なかったのです。そのため関東北部山岳地帯のダムは、みな春先から例年より貯水量がずっと少ない状態になりました、

下の写真は、利根川本川最上流部にある関東甲信地方でもっとも大きい矢木沢ダムですが、ご覧のように貯水量が満水時の20パーセントにまで激減し、ダムの岸は山肌が大きくむき出しになっています。

矢木沢ダム

 上記のようなダム貯水率低下により、6月16日から関東の1都5県で10パーセントの取水制限が開始されました。取水制限が行われるのは2013年から3年ぶりで、梅雨の時期に取水が制限されるのは1987年以来29年ぶりのことだそうです。

今後も少雨の傾向が続くとされるため、国土交通省と利根川水系渇水対策連絡協議会は、このままダム貯水率が低下するなら取水制限を20パーセントに引き上げると発表しました。

公園の水栓 取水制限が20パーセントになると、私どもの日常生活にも影響が出てきます。

まず、ほうぼうの公園に設置されている噴水などが止められます。
また、公園内各所にある水道の水栓も水が止められ、使用禁止になります。

高台にある住宅では、水栓からの水の出が悪くなる場合があります。

 1987年にも関東甲信地方は降水量が少なく、6月中旬から10パーセントの取水制限が開始されました。その後も雨がほとんど降らなかったので、7月の初めには取水制限が15パーセントに引き上げられました。

その際は、ほうぼうの大型レジャー施設のプールから学校・公園の小さなプールに至るまで閉鎖され、水泳を楽しみしていた子供たちをかっかりさせたということです。

プール

 1987年の大渇水は、7月中旬に大型台風が関東地方に襲来して奥利根地方に大量の雨を降らせたことでダムの水位が一挙に回復し、なんとか幕引きになりました。

本年も、私どもはそのような 「神風」 が襲来するのに期待するほかないのでしょうか。なんとも心もとない状況です。

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(2016/07/25(月) 07:02)

 中尊寺・金色堂
文殊菩薩 経蔵(重要文化財)は、鎌倉末期の建築と考えられており、中尊寺で金色堂に次いで古いお堂です。

現在国宝となっている一切経を納めていた建物で、須弥壇の上には本尊・文殊菩薩像と四侍者像(重要文化財)を安置しています。

文殊菩薩は、悟りへ到る重要な要素である知恵を司る仏とされます。

 讃衡蔵の入口で拝観券を買って、そのとなりにある金色堂覆堂に向かいました。中尊寺金色堂は、中尊寺創建当初からの形で残っている唯一のお堂で、奥州藤原氏によって1124年に建立されました。

現在では、金色堂は金色堂覆堂(下の写真)という鉄筋コンクリート造の建物の中に納められています。

覆堂は1965年(昭和40年)に建築されましたが、その前に金色堂は大幅な解体修理を行ってから完工した覆堂内部に設けられた空調つきガラスケースにすっぽりと納められました。

中尊寺・金色堂

 金色堂は、方三間(正面、側面ともに柱間が三間)の小さな阿弥陀堂です。金色堂の屋根は宝形造というピラミッド形で、瓦の形をした木材で屋根を葺いています。

金色は、扉、壁、軒から縁や床面に至るまですべて黒漆を塗った上に金箔を貼って仕上げられています。堂内の四方には太い巻柱が立てられていますが、その表面には蒔絵と螺鈿(らでん)で仏像と経文が一面に装飾されています。

金色堂の御本尊は阿弥陀如来で、堂の中央に置かれた須弥壇の中に初代清衡公、二代基衡公、三代秀衡公の御遺体と泰衡公の首級が納められているということです。

中尊寺・金色堂

 金色堂も一時は非常に傷んでしまいましたが、頼朝夫人政子が夢のお告げに従ってさや堂で金色堂全体を納めさせ、危機を救いました。

政子がさや堂を造らせたおかげで現在私どもがこの貴重な歴史資産に接することができるわけで、政子に大いに感謝しなければなりません。

経蔵からさらに奥のほうに行くと、現在の覆堂より以前に金色堂を納めていた旧覆堂があります(下の写真)。
先ほど見てきた現在の覆堂は1962年に建てられたものですが、金色堂の覆堂としてはこれがなんと四代目になるそうです。

この旧覆堂は室町時代の建造で、昭和になって現在の覆堂にバトンタッチするまで700年の永きに渡って貴重な金色堂を守り続けました。

旧覆堂のあたりは、参拝客も少なく、中尊寺の森の中で静まり返っていました。旧覆堂に入って現在はなにも置かれてない四方を見回し、その力に深く感謝しました。

旧覆い堂

 1689年、松尾芭蕉は長年の願望であった「奥の細道」の旅に出ました。義経が高館で自害してからちょうど500年後の1689年5月(旧暦)、芭蕉は旅の大きな目的の一つであった高館の丘に立ちました。

その後、芭蕉はこの中尊寺を参拝し、金色堂を訪れました。その時には金色堂は傷みが激しく、芭蕉は金色堂は崩れて無くなってしまうのではないかと嘆いたそうです。

覆堂は1965年(昭和40年)に建築されましたが、その前に金色堂は大幅な解体修理を行ってから完工した覆堂内部に設けられた空調つきガラスケースにすっぽりと納められました。

芭蕉句碑 金色堂の覆堂を出たところに、芭蕉がこの地で詠んだ俳句の句碑があります。

 五月雨の
   降りのこしてや
     光堂  松尾芭蕉

現在では、金色堂は上記のように覆堂内の空調つきガラスケースにすっぽりと納められています。

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(2016/07/23(土) 07:11)

 ソフィア王妃記念美術館・ピカソ
 マドリードにあるソフィア王妃記念美術館は、なんといってもピカソの名画 《ゲルニカ》 を展示しているので有名です。

1937年当時のスペインでは、フランコ将軍の率いる右翼勢力と人民戦線が激しい内戦を展開していました。フランコ将軍側を支援していたヒトラーは、急降下爆撃機隊をスペインに派遣し、スペイン北部バスク地方の古都ゲルニカを徹底的に空爆しました。

当時パリで活動していたピカソは、自分の郷里に近いゲルニカが空爆で完全に破壊されたことを知って激怒し、直ちにゲルニカ空爆をテーマとした大作の制作にかかりました。

一度この 《ゲルニカ》 を見た人はお分かりでしょうが、この作品は、美術館の壁一面を埋めるようなサイズで、しかもその大画面の隅々まで異常なほどの緊張感に満ちています。

その大作 《ゲルニカ》 を、ピカソはパリのアトリエで僅か20日あまりで完成させたといわれます。20世紀を代表する天才画家のすさまじい創作力を、まざまざと見る思いがします。

私どもはソフィア王妃記念美術館に朝一番で入館しましたが、この 《ゲルニカ》 の前が混雑しないうちにゆっくり見ようと、 《ゲルニカ》 が展示されている部屋に急ぎました。

ゲルニカ

 《ゲルニカ》 は、長い間アメリカ・ニューヨークの近代美術館に展示されてきましたが、スペインの独裁者フランコ将軍の死後、共和政権の強い要望によりスペインに里帰りしました。

私は、ニューヨークの近代美術館でこの名画を2度ほど見たことがありましたが、現在はマドリードの美術館に移ったと聞き、もうこれを見ることはないだろうと思っていました。

それが、今回のスペイン旅行で30年ぶりにまたこの名画の前に立つことができ、心底からうれしく思いました。

ソフィア王妃記念美術館 パブロ・ピカソは1881年にスペイン南部のマラガに生まれました。
18歳のときマドリードの王立美術アカデミーに入学し、古典的様式の絵画の勉強を始めました。

このころは、ピカソは盛んにプラド美術館に通い、ヴェラスケスらの名画を模写して絵画の研究を行いました。

左は、《ゲルニカ》 の隣の展示室にあったピカソの 《青衣の婦人像》 です。ピカソ20歳のときの作品で、ピカソの具象画の傑作として有名です。

ソフィア王妃記念美術館 1907年、ピカソは有名な 《アビニヨンの娘たち》 を制作しましたが、このころからアフリカ彫刻の影響を強く受けキュビスムの傾向が強くなりました。

1910年代に入ると、セザンヌらの影響を受けてキュビスムの研究が進展し、今日私どもが「抽象画」と呼んでいるジャンルの傑作を次々に発表し始めました。
このころ、ピカソは新聞紙や壁紙をキャンバスに直接貼り付けるコラージュ技法を発明しましたが、左の作品にもそのような傾向が見られます。

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(2016/07/21(木) 06:42)

 水元公園の動物たち
 葛飾区立水元公園は、江戸時代に造られた 「小合溜(こあいだめ)」 という全長3.5km、幅100mの遊水池に沿って広がっています。

水元公園南部にある菖蒲田で盛りの花しょうぶを鑑賞したのち、小合溜に沿って北に向かって歩きました。幅100mの小合溜は、大きな川のように広く、その東側の対岸は埼玉県立みさと公園となっています。

遊水池小合溜の中央部には入り江のように西側に伸びる太い水路がありますが、そこには 「水元大橋」 というかなり長い橋がかかっています(下の写真)。水元大橋の上からは、小合溜と西側の入り江の両方が広々と見渡すことができます。

水元親水公園

 水元大橋を南側から渡った先が水元公園の北側半分になり、その中央を太いメインストリートが貫いています(下の写真)。

このあたりは小合溜からかなり離れた場所で、メインストリートの両側にはメタセコイアの巨木が1800本も植えられている森が広がっています。
メタセコイアは生きた化石ともいわれるスギ科の落葉性針葉樹で、晩秋から初冬にかけてはこの森が見事な深紅になるということです。

水元親水公園

 水元公園の遊水地・湿地は東京都内でもトップクラスの規模であり、それらへの水鳥の飛来数も非常に多くバラエティにも富んでいます。特に冬場は、主にシベリアなどからカモなどの水鳥が多数飛来します。

メタセコイアの森のそばにはヨシ原が広がっており、オオヨシキリ、バン、カルガモ、カイツブリなどの水鳥が多数住んでいます。

水路沿いの道を散歩していると、突然足元の茂みから大きなシラサギが飛び立って、対岸の三郷公園のほうにゆったりと飛んで行きました。

水元親水公園

水元親水公園 公園のメインストリートを歩いていて、ふと見ると人だかりがしています。
のぞき込むと、なんと猫ちゃんの背中に黄色いインコが乗ってちょんちょんと動き回っていました。
どちらも、この近くの方が飼っているもので、この公園の名物になっているとのことです。いかにも、この水辺のやさしい公園らしい光景でした。

水元親水公園 水路沿いの道ばたに休んでいる人がいましたが、その足元で小さいワンちゃんがお昼寝中でした、
生まれて数か月のゴールデンリトリーヴァーの仔犬と思われます。
飼い主さんに連れられてこの公園に来ましたが、公園のあまりの広さにすっかり疲れてしまったのでしょう。脚を伸ばし切りにして、完全に爆睡していました。

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(2016/07/19(火) 06:54)

 都知事選のポスター
 このたび東京都知事だった舛添さんが金銭問題などの不祥事で辞任し、新たな都知事を選ぶ選挙が行われることになりました。

7月14日に告示された都知事選には、与党からは公認候補 Mさんのほかに元防衛相のKさんも出馬し、野党からはジャーナリストのTさんが名乗りを上げるという異例の選挙戦になりました。

東京都世田谷区にある私の家の近くには、各選挙の告示の際には大きな掲示板が設置され、選挙に出馬した各候補のポスターが張り出されます。通りかかった人たちが、掲示板の前でそれらポスターを見て各候補の主張を確認するのをよく見かけます。

しかし、どの選挙でも同じことですが、その掲示板に張られるポスターの数は告示の際に届けられた立候補者の人数よりずっと少ないのです。下の写真は今回の都知事選で告示の3日後に撮影したものですが、掲示板には与党の公認候補と野党の公認候補の二人のポスターが張られているだけでした。

都知事選のポスター

都知事選のポスター 東京都知事選では、立候補者は300万円の 「供託金」 を東京都に納入しなければなりません。
東京都はその供託金の一部で立候補者のポスターを業者に印刷させ、それらを証紙とともに各候補者の事務所に渡します。
各候補者の事務所では、まずポスターに証紙を貼り、それを各所の掲示板に張り出します。

 与党の公認候補、有力野党の公認候補の場合には、事務所のスタッフや協力者が多いので、公示の日かその翌日にはほとんどの掲示板に候補者のポスターを張り終えるそうです。

今回自民党の衆議院議員でありながら自民党の公認なしで出馬したKさんの陣営は、やはり人手不足とのことで、私どもの近くの掲示板にはまだポスターが見当たりませんでした。

しかし、どの選挙でも、選挙戦が終盤になってもまったく掲示板にポスターを張り出していない候補者が多数います。今回の都知事選では21人が立候補したそうですが、たぶん最終的に掲示板にポスターを張り出した人は4、5人にとどまると思われます。

そのようにポスターを張らない候補者は、しっかりと選挙戦を行う意思がまったくないのです。そのような候補者は、たとえば「公示後7日経ってもポスターを張った掲示板が全掲示板の20パーセント未満」というような基準を設けて、まず供託金を即刻没収すべきだと思います。

また、国政選挙と都道府県知事選挙では、公職選挙法の規定により、選挙公報が発行され、各有権者の手元に投票日の2日前までに届けられるようになっています。その選挙公報にも上記のような 「泡沫候補」 の写真、主張を掲載しないと決めたらどうでしょうか。

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(2016/07/17(日) 06:57)

 世田谷の野生インコ
 私の家の近くに、世田谷区立の大きな保育園があります。園児は50人以上もいるようで、広い園庭には桜などの大きな樹が繁っています。

10年ほどまえの朝早く、その保育園の横を通ったとき、園庭の樹々の中からギャーギャーという大きな鳴き声が聞こえました。

見ると、樹々の枝に緑色やオレンジ色の大きな鳥が多数止まって盛んに鳴き交わしたり、園庭の上を大きな翼を広げて飛び回ったりしています。鳥は、どうやら小鳥屋などで見かけるインコの仲間のようです。

東京都内に熱帯産のインコが野生化して住み着いているとは聞いていましたが、私の家の近くで見たのはそれがはじめてでした。

インコ

 インコはインド南部・スリランカ原産のオウムの仲間で、ペットとして日本に入ってきたものが逃げ出して野生化したようです。

長い尾まで含む全長は約40cmもあり、普通のカラスより大型の鳥です。体色は緑ですが濃い緑の部分とうす緑の部分があり、ところどころにオレンジ色の羽もあります。私が見たのは、大きな曲がったくちばしが濃いオレンジ色で、とても美しい姿でした。

それ以来、ときどき、この保育園や近所の公園などでインコの姿を見かけるようになりました。インコは群れで行動する習性のようで、このように大きな鳥が2、30羽も集まってギャーギャーと大きな鳴き声をあげながら飛んできて木の枝などに止まります。カラスなどほかの鳥は、インコの姿を見ると早々に逃げ出します。

インコは上記のように熱帯原産ですが、地球温暖化が進行したためか、東京など日本各地でも冬を越せるようになりました。現在東京都内には20ヶ所以上のインコのコロニーがあり、1000羽以上のインコが東京の空を飛びまわっているということです。

多摩川の河川敷

 私が住んでいる世田谷区のあたりでは、東京と神奈川の境界を流れる多摩川の河川敷(上の写真)が主たる営巣地になっているそうです。

インコは基本的には深い森を好まず、森林と草原の境界のような場所に多く生息し、草木の実などを食べて生きるようです。雑木林や草原が多い多摩川の河川敷は、かっこうのすみかになっているのでしょう。

夏の終わりには、住宅地でひまわりの種をつつく姿がよく観察されるそうです。また、方々で野鳥観察用に設けられているえさ台を大きな体にものをいわせて独占することも多いということです。

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(2016/07/15(金) 07:33)

 中尊寺・白山神社
 白山神社の境内に、国の重要文化財に指定されている能楽堂があります。下の写真に見られるように、素朴な檜皮葺造りの能楽堂です。

能舞台の奥、薄暗がりの壁には、鏡の松と呼ばれる絵画が描かれています。毎年春秋に開催される藤原祭りの際には、この舞台で中尊寺の僧侶により伝承されている喜多流の能や狂言が上演されます。

毎年お盆の8月14日には中尊寺薪能が開催されます。夕方、白山神社の神職による祭儀に続いて薪能奉行による火入れの儀があり、その後喜多流の能、和泉流の狂言が上演されます。

中尊寺

 白山神社の祭神は、伊邪那岐尊・伊邪那美尊で、中尊寺を開基した慈覚大師が一関磐井川の上流に加賀の一の宮より分霊されてあったのをこの地に遷座したといわれます。それ以来、白山神社は中尊寺の北方を鎮守するという役割を担っています。

拝殿の正面には、向背(こうはい)と呼ばれる2本の太い庇柱が立っています。それらの間には、茅の輪(ちのわ)という茅草(かやくさ)で作られた大きな輪が取り付けられています。

中尊寺

茅の輪 茅の輪は正月から六月までの半年間の罪穢を祓う夏越しの大祓(おおはらえ)に使用されます。茅の輪をくぐり通ると心身ともに清らかになり、その後の半年間を無事に過ごすことができるとされます。
私どもも、頭をたれてその茅の輪をくぐって通り、拝殿の前で拍手を打って今後半年間の無事息災を祈りました。

ビニール傘 その後、また白山神社の長い参道を通って中尊寺の境内に戻りました。このあたりは境内でももっとも奥まったところで、まわりはごらんのように深い杉木立に覆われています。

ふと見ると、その緑濃い杉木立をバックに、赤いよだれ掛けをつけ、同じく赤い帽子をかぶった地蔵さまの石像が立っていました。

 さらに奥に向かって歩いてゆくと、時代のついた荘厳なお堂の前に出ました。中尊寺経堂という鎌倉時代末期の建築で、「中尊寺経」と呼ばれる国宝の一切経を納めているお堂だそうです。

中尊寺経は、正しくは紺紙金銀字交書一切経(こんしきんぎんじこうしょいっさいきょう)といい、紺色に染めた紙にお経の文句が一行ごとに金字と銀字で交互に書写されています。

なお一切経とは、経(仏の教えを書いたもの)・律(信者が守るべき規則)・論(仏の教えを解釈したもの)などを集大成したものだそうです。

中尊寺


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(2016/07/13(水) 06:53)

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