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 プラド美術館 ・ ゴヤ
プラド美術館 ・ ゴヤ スペインの首都マドリードにあるプラド美術館で、まずスペイン美術を代表する画家ヴェラスケスの作品を鑑賞しました。
次に、これまたスペインを代表する画家フランシスコ・デ・ゴヤの展示室に入りました。
ゴヤはヴェラスケスより150年後の1746年の生まれということで、ほぼ大作曲家モーツアルトと同じ時代の人です。
また、大先輩のレンブラントほどではありませんが、ゴヤもかなり多数の自画像を描いているようです。

プラド美術館 ・ ゴヤ ゴヤは、1799年に宮廷の首席画家へ任命され、それ以降国王カルロス4世一家の肖像画を多数描きました。
国王一家全員の集団肖像画も多数制作しています。
この時代のスペイン絵画は華やかなロココ調が主流でしたが、ゴヤは宮廷画家でありながら人の本性をえぐり出すようなリアリスティックで力強い作品を多数制作しました。
カルロス4世は、巨漢で体力がありましたが暗愚であったということで、ナポレオンとともにトラファルガーの海戦を行い、スペイン艦隊を失いました。

プラド美術館 ・ ゴヤ マリア・ルイサは1765年、従兄カルロス(後の4世)と結婚しました。夫はやがて国王カルロス4世となったので、マリア・ルイサは王妃となりました。

カルロス4世は公務に関心がなく、国政は王妃とお気に入りのゴドイに任せることになました。王妃マリア・ルイサは性悪で粗野な女で、公然とゴドイら何人もの男性と交際していたということです。

マリア・ルイサは9人の子供を生み、ゴヤは国王一家の集団肖像画でそれらの子供たちの姿も描いています。

プラド美術館 ・ ゴヤ ゴヤは晩年妻ホセファを失い、その後を内縁の妻レオカディア・ソリーリャと一緒に暮しました。左の写真は、その女性レオカディア・ソリーリャを描いたもので、ゴヤ最晩年の傑作となりました。

黒い背景にレオカディアの白い衣装、金髪のコントラストが華麗です。また、背景から浮き出るレオカディアの顔の肌色、そしていきいきとした眼の表情が実に見事です。やさしい眼差しながらやはり凛とした気品を感じさせ、しっかりと画家のほうを見つめています。

 ゴヤの作品の中でもっとも有名なのは、下の写真の 《着衣のマハ》 でしょう。マハとは、自由奔放に生きる伊達好みの女性という意味だそうです。この日の夜、私どもは念願のスペイン舞踊フラメンコを観にいきましたが、そこで、私どもはマハなるもののイメージを少し得ることができました。

この 《着衣のマハ》 は、当時の社交界の華アルバ伯爵夫人をモデルとしているとされます。この着衣の作品と対になる 《裸のマハ》 というヌードの作品が描かれ、かつては秘画として貴族の屋敷の奥に収められてきました。現在では、この 《裸のマハ》 も上の写真の 《着衣のマハ》 と並んでプラド美術館に展示されています。

プラド美術館 ・ ゴヤ

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(2016/05/30(月) 07:11)

 北野の町屋
 京都の北野天満宮は、古来学問の神様として有名ですが、立身出世の神様、そして縁結びの神様も兼ねています。勉強をして就職し、やがて結婚をするという順序でしょう。

下の写真は、北野天満宮本殿の左側にある 「西廻廊」 という建物で、重要文化財に指定されています。太い木の円柱が立ち並んでいる間に、金色の灯籠が吊り下げられて春の日差しに輝いていました。

北野天満宮・本殿

北野天満宮 本殿のすぐ裏側には、さまざまな末社が立ち並んでいます。それぞれが、北野天満宮に係わる長い歴史を持っているそうです。

天満宮は、古来京都の市民に親しまれ、広大な境内では毎月25日に縁日が開かれています。特に12月25日の縁日は、終 ( しま ) い天神と呼ばれて大賑わいになるそうです。

 下の写真は本殿の東側にある東門(ひがしもん)で、天満宮の外の御前通(おんまえどおり)に出る門です。ご覧のように歴史を感じさせる荘重な門で、やはり国の重要文化財に指定されています。

豊臣秀頼の父太閤秀吉は、この地で有名な北野大茶湯を催すなどして強い思い入れがあり、社殿その他の造営を遺志として秀頼に伝えました。秀頼は、その遺志を受けて関が原の合戦後の1607年(慶長12年)に北野天満宮の造営を行ないました。

この東門もそのときにいっしょに造営されたもので、四脚門の構造で幅5.2メートル、高さ8.7メートルです。銅板葺き切妻造(きりづまづくり)の大きな屋根を持っています。

北野天満宮・本殿

 毎月25日の縁日では、神社の境内には露店が所せましとならび、京都市民や観光客で賑わいます。最近は、多数の外国人観光客がガイドブックを持ってこの縁日を訪れるそうです。
毎年12月25日の縁日「終 ( しま ) い天神」の際は、1000軒を越える露店が境内各所を埋めるということです。

上記の東門から境内を出て、外の御前通を歩きました。東京や大阪では見たこともないような古い町屋が立ち並んでいました。喫茶店やレストランとして利用しているところが多いようです。

北野天満宮・本殿

 北野天満宮東門から300mほど続く通りが、上七軒といわれる花街になっています。京都五花街のうちでもっとも古い花街で、舞妓さんや芸妓さんの町として有名だそうです。
北野天満宮で行われる茶会などのイベントの際は、ここの舞妓さんや芸妓さんが出張することが多いそうです。

黒い格子戸を持つ古い町屋をいくつかつなげて利用している店がありました。二階にはすだれが張ってあり、軒先には赤いぼんぼりが吊るしてありました。これも、舞妓さんの置屋かも知れません。

北野天満宮・本殿

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(2016/05/28(土) 07:05)

 今年の夏は猛暑?
 気象庁のウェブサイトによると、ニュースなどで名前をよく聞くエルニーニョ現象とは、太平洋赤道域の日付変更線付近から南米沿岸にかけて海面水温が平年より高い状態が1年程度続く現象をいうそうです。

逆に、同じ海域で海面水温が平年より低い状態が続く現象はラニーニャ現象と呼ばれ、それぞれ数年おきに発生します。

エルニーニョ現象やラニーニャ現象が発生すると、日本を含め世界中で異常な天候が起こると考えられています。

猛暑

 ラニーニャ現象が発生しているときには、東風が平常時よりも強くなり、西部に暖かい海水がより厚く蓄積する一方、東部では冷たい水の湧き上がりが平常時より強くなります。

気象庁は、5月11日、エルニーニョ現象が6月ごろまでに終息して8月までにはラニーニャ現象が発生する可能性がある、と発表しました。ラニーニャ現象が発生すると、日本付近では太平洋高気圧に覆われやすくなり、梅雨が短くなったり猛暑になることが多くなります。

ラニーニャ現象が前回発生した2010年には夏は記録的な暑さとなり、「今年の漢字」第一位に「暑」が選ばれることになりました。

猛暑 ラニーニャ現象が発生しそうな本年も、2007年、2010年と同じような猛暑になるのでしょうか。

5月の下旬に入って、日本列島は早くも高温気団に覆われ、北海道の中央部では33度という信じがたい気温になりました。東京でも、そのころ30度を越える日が何日も続き、私どもも冷房を使用しました。

猛暑 猛暑の夏になると、電力の供給は大丈夫だろうかと心配になります。原子力発電所は今後何ヶ所か稼動しそうですが、やはり各地の火力発電所が電力供給の中心になるでしょう。

さいわいなことに、ここ数年は石油、天然ガスは価格が大幅に下落しており、火力発電所の燃料の面では問題はありません。

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(2016/05/26(木) 07:27)

 平泉・中尊寺
 松尾芭蕉の 『奥の細道』 のハイライトである奥州・松島と中尊寺を訪ねたいと思いつつ、行きそびれていましたが、今回やっと中尊寺を訪れることになりました。
現在では東北新幹線ができたので、奥州への旅は非常にスピードアップされました。東京駅から東北新幹線に乗って一ノ関まで行き、そこから路線バスで平泉に向かいます。

中尊寺 東北新幹線で一ノ関駅で下車し、駅前広場に出たところで大きな銅像を目にしました。江戸時代の学者大槻玄沢の銅像だそうです。
大槻玄沢は、一関藩出身の江戸時代後期の蘭学者で、『解体新書』 の翻訳で有名な杉田玄白・前野良沢の弟子です。杉田玄白の命により、1790年から 『解体新書』 の改訂を行ったとのことです。

中尊寺 一ノ関駅前から路線バスで平泉の中尊寺に行きました。バスの停留所で降りると目の前に大きな山がそびえていましたが、その山全体が中尊寺の境内になっているようです。
その方向に歩き始めると、大きな松の木の下に楕円形の平たい石碑がありました。石碑の表面には、「武蔵坊弁慶之墓」と刻まれてありました。

 平泉に住んでいた源義経は藤原泰衡の軍勢に急襲され、主従は衣川で応戦しました。武蔵坊弁慶は、そこで義経を守って立ち往生と呼ばれる壮絶な討ち死を遂げました。弁慶の遺骸は中尊寺によって引き取られ、ここに葬られたとのことです。

入口の黒い門を通って境内に入ると、月見坂という広い参道が山の上に通じています。新緑のトンネルのような参道を登って行くと、門前広場の騒音がほとんど聞こえなくなりました。

中尊寺

中尊寺 中尊寺は、12世紀初頭に奥州藤原氏によって創建されました。奥州藤原氏が滅びた後も源頼朝の庇護を得て隆盛し、本堂、金色堂など40もの堂宇が建ち並んでいたそうです。
しかし、1337年に野火が飛び火してそれらの堂宇は次々に猛火に包まれ、わずかに金色堂と経倉の一部がかろうじて焼け残ったということです。


 月見坂という参道の両側に、杉の巨木が800mにわたってそそり立っています。杉並木を仰ぎ見ると、並木の間からわずかに空が明るく見えます。杉の香りを感じながら、並木道をゆっくりと登って行きました。

この杉並木は江戸時代に伊達藩によって整備されたとのことで、杉の樹齢は300年以上と推定されています。

中尊寺

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(2016/05/24(火) 07:30)

 停電時の電話機使用
 各地区の電話局には巨大な電源装置があり、アナログ電話線を通じてその電話局管内の各家庭の電話機に給電しています。

地震などの災害で停電となると、各家庭でも電話局でも商用電源が停止しますが、電話局では巨大な電池を持っているので、電話局の機能は別に損なわれずまた各家庭への給電は維持されます。

また電話局は、ディーゼル発電機も持っているので、商用電源の停止が長引いてもかなり持ちこたえられます。

なお、光回線の場合は電話線として銅線のかわりに光ファイバーを利用しているので、電話局からの給電は行われません。

停電時の電話機使用 昔使われていた 「黒電話機」 などの旧式の電話機は、上記の電話局からの給電だけでベルの鳴動、送受話などの動作を行います。
私は、電話加入当時から使っていた黒電話機をNTTから買い取って、緊急用として自宅の物置にしまってあります(左の写真)。

 この電話機は災害時の通話用としては問題なく使用できるのですが、昔のダイヤル方式の電話機なので、プッシュフォンの利用を想定している今回のダイヤル171に利用するには少々使いにくい点があります。

停電時の電話機使用 最近の電話機やFAX電話機は、みな商用電源を利用しているので、停電になればたちどころに機能しなくなります。
自宅の電話機の電源線を抜いた状態で電話をかけてみれば、すぐわかります。
これでは、災害時に停電が起こった際には、まったくお手あげということになります。

停電時の電話機使用 家の中を探したところ、10年以上前に使っていたパイオニア製の電話機が見つかりました(左の写真)。
この電話機を試しに電源アダプタを抜いた状態で使ったところ、もちろん液晶画面などはまったく表示されない状態でしたが、通話のほうは発信・受信とも正常に行えました。

 この電話機はプッシュ式で使えるので、今回のダイヤル171に利用するには好都合です。これで、私はやっと安心することができました。

このように停電時にもなんとか通話だけはできる電話機は、最近は次第に少なくなっていましたが、東日本大震災以降は利用者の要望が多くなったのでまた増加傾向になってきたとのことです。

皆様も、まずは自分が日ごろ利用している電話機が電源を抜いた状態で通話(発信・受信)ができるかを調べてください。なお最近は、電話機メーカー各社は、上記のように停電時にもなんとか通話だけはできる電話機のリストをウェブサイトで公表しているということです。

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(2016/05/22(日) 07:14)

 マドリード・プラド美術館 (2)
 プラド美術館の館内は、もう団体客などで混雑し始めたので、すぐにお目当てのヴェラスケス、ゴヤが展示されている部屋に向かいました。

なお、このプラド美術館では、フラッシュをたかなければ入場者が写真を撮ってもよいことになっています。私は、今回は暗い場所でもフラッシュなしでかなり品質のよい写真が撮れるデジタル一眼レフカメラを使用して、これらの写真を撮影しました。

バロック期のスペインを代表する画家ディエゴ・ヴェラスケスは1623年ごろからスペイン宮廷画家となり、以後30数年、国王や王女をはじめ、宮廷の人々の肖像画、王宮や離宮を飾るための絵画を描きました。
プラド美術館では、ヴェラスケスの作品はひとつの大きな部屋を占めて展示されていました。

プラド美術館 テレビ番組などで長年見てきた名作 《ラス・メニーナス(宮廷の侍女たち)》 が目に入りました。幅 318cm、縦 276cm の巨大な作品です。

その横に、これまたテレビなどで見てきた 《王女マルガリータ》 の肖像画が2点ありました。王女マルガリータは例の顔の長い国王フェリペ4世の娘で、肖像画はヨーロッパの他の王室への見合い写真の意味で制作されたそうです。

プラド美術館 左上側の作品は王女マルガリータが10歳ぐらい、左下側の作品は16、7歳ぐらいの肖像画でしょうか。どちらもさすが宮廷画家の格調の高さ、華麗さに満ちており、この時代の最高の画家といわれたヴェラスケスの圧倒的な力量を感じさせます。
ただ、これら2点の肖像画の実物を見て、非常に淡い色調で仕上げられているのに驚きました。どちらも王女の顔も非常に色が薄く、ほとんどグレーにちかい顔色でした。次に見たゴヤの作品が明るい色彩を駆使してドラマティックな効果をあげているのと対照的でした。

 別の壁面にヴェラスケスの大きな絵画がかかっていました。 《ブレダの開城》 という歴史画で、1625年のオランダの要塞都市ブレダを陥落させた後、オランダ軍総督ナッサウがスペイン軍司令官スピノラに城門の鍵を渡す場面が描かれています。

宗教改革の後、宗主国スペインとオランダの間には激しい戦争が続きましたが、その歴史を現代に伝える傑作絵画です。

プラド美術館

プラド美術館 館内の大きな絵画の前で、画架をたてて模写をしている画家がいました。ヨーロッパの大美術館は、一般の美術愛好家に絵画を鑑賞してもらうだけではなく、展示作品の模写などを通じて美術の研究を行う場所でもあります。
パリのルーブル、オルセー美術館でも、このように名画の前で模写をしているのをときどき見ます。

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(2016/05/20(金) 06:47)

 北野天満宮・本殿
 学問の神様として有名な菅原道真公が九州の大宰府で没した後、京都ではさまざま災害が起こりました。当為の人々は、それらは不遇のうちになくなった道真公の怨霊によるものと恐れおののいたそうです。

道真公の霊を鎮めるため、947年、朝廷により北野の地に菅原道真公を祀る天満宮が造営されました。

北野天満宮・本殿

 その後全国に道真公を祀る天満宮が建立されましたが、現在では北野天満宮はそれら全国の天満宮の元締め的存在になっています。

北野天満宮はたびたび戦乱、落雷などで火災にあい、現在の本殿は豊臣秀頼が関が原の戦の後、慶長12年(1607年)に造営したものということです。本殿の建物は巨大な権現造り、桧皮葺屋根で、総面積は約500坪もあるそうです。

北野天満宮・本殿

 豊臣秀頼の父太閤秀吉は1587年にこの地で有名な北野大茶湯を催しました。秀吉は、天満宮には強い思い入れがあったようで、社殿その他の造営を遺志として秀頼に伝えました。秀頼は、関が原の合戦の後にその遺志通り北野天満宮の造営を行ないました。

北野天満宮の境内にはたくさん桜の木がありますが、ちょうどソメイヨシノが見ごろになって弥生の空に映えていました。

北野天満宮・本殿

北野天満宮 本殿は、華麗な桃山文化を今に伝える様式で、国宝に指定されてています。本殿の建物は巨大なので、その全容を一望するのはとてもできません。

本殿の建物に沿って左側から裏手に回りました。このあたりは紅殻塀、丸いぼんぼり、石灯籠などが並んでおり、時代劇映画の撮影によく利用されるそうです。

北野天満宮 幼少時から勉学に励み、成じては右大臣にまで出世した道真公は、その後学問の神天神様として敬われるようになりました。
江戸時代には、寺子屋などに道真公を祀る祭壇が設けられたそうです。
天神信仰の中心であるこの北野天満宮は、受験生には心強い守護神であり、修学旅行の際ここを訪れる学校も多いそうです。

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(2016/05/18(水) 07:34)

 また白熱電球 ?
 数日前、私どもの家で階段の照明に使っていた白熱電球が点灯しなくなりました。照明のカバーをはずしてみると、白熱電球は国内の大手電機メーカーの製品で40W型でした。

2012年ごろからは国内の大手電機メーカーは白熱電球の製造をやめています。そこで、この照明も白熱電球をやめて電球型蛍光灯かLED電球にしようかとも思いましたが、ふと記憶をたどったところ、今回切れた白熱電球は7年前から使っていたのがわかりました。

白熱電球 私どもは、階段の照明は長時間点けたまま放置しないようにして使っています。それで、電球の延べ点灯時間は長くないので、7年間も使えたのでしょう。

このように延べ点灯時間が短いので、この電球によって消費される電力は微々たるものでしょう。これではLED電球に交換しても意味がないように思われます。

電球型蛍光灯 電球型蛍光灯は、蛍光管を折り曲げて白熱電球と同じ口金をつけたもので、白熱電球のかわりに装着・点灯することができます。
電球型蛍光灯はLED電球に近い省エネ性能を有し、価格はLED電球よりかなり安いので、現在広く利用されています。しかし、これは点灯するのに若干の時間を要するので、階段の照明には不向きです。

LED電球 LED電球はLEDランプに白熱電球と同じ口金をつけたもので、白熱電球のかわりに装着できます。
2011年の東日本大震災後一段と普及が進み、価格も次第に低下しましたが、やはり光量が大きいものは1000円以上します。LED電球の省エネ性能は蛍光灯とほぼ同等ですから、長寿命を評価してもやや割高感があります。

 結局、私どもは今回も階段の照明は白熱電球を継続して使うことにしました。以前白熱電球を100円ショップで買ったのを思い出し、いって見たところ、現在も100円で販売していました。メーカーは愛知県と書いてありましたが、実際には中国で製造しているのかもしれません。

白熱電球の寿命が短い場合は、ほとんどが振動が原因だそうです。ドアの開けたてなどで振動が大きい場所に白熱電球を使った照明を設置すると、すぐに電球が切れtしまうということです。

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(2016/05/16(月) 07:16)

 伊豆の踊り子・福田家
 私どもは、河津七滝を見てからまた新道に出てきました。ここのバス停留所で路線バスに乗り、下流の温泉地湯ヶ野に向かいました。

湯ヶ野のバス停で降りて河津川に向かってしばらく歩いて行くと、川にかかる小さな橋の向こう側にこじんまりとした旅館が見えてきました。
川端康成さんは、この旅館福田家に4年あまりも滞在して小説 『伊豆の踊り子』 を書いたということです。

福田屋

福田屋 福田家には、川端さんが滞在した部屋が当時のまま保存されているそうです。また、川端さんが愛したカヤの木で作った温泉の浴槽も残っているとか。

福田家のあたりには、川端文学ファンの方々が、そぞろ歩きをしながら川端さんが小説 『伊豆の踊り子』 を執筆した土地の雰囲気を味わっていました。

福田屋 川端さんがこの旅館に滞在した当時は、旅館の渓流をへだてた向かい側に共同浴場がありました。
小説の中で踊り子が共同浴場から飛び出してくる有名なシーンは、その共同浴場をモデルとして書かれたといわれます。
その共同浴場があったあたりは現在は旅館が立ち並んでいるのが、桜の花越しに見えました。

福田屋 福田家の横には広場があり、そこに文学碑、記念碑、句碑などがいくつか置かれていました。

その中に、川端さんが小説 『伊豆の踊り子』 の一節を自筆した文学碑がありました。昭和40年に建立されたもので、以来50年以上の年月を反映して石碑が埋め込まれた自然石は苔に覆われていました。

 この広場があるあたりは河津川沿いに遊歩道が設けられており、渓谷と河津桜を楽しみながら散策ができるようになっています。

ふと見ると、満開の河津桜と並んでやぶ椿が緑の葉陰に鮮やかな赤い花を咲かせていました。いかにも温暖な南伊豆らしい早春の花々の前に立って、しばらく見とれていました。

福田屋

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(2016/05/14(土) 07:06)

 災害用伝言ダイヤルの利用
 2016年4月14日、熊本県で最大震度7の地震が発生しました。大地震によって亡くなられた方々に、深くお悔やみを申し上げます。

さて、2011年3月11日に起こった東日本大地震の直後、私どもは関西在住の娘に自宅の電話から無事を知らせようとしましたが、ビジー(話中)が続くばかりで連絡できませんでした。
携帯電話も事情は同じで、まったく通話ができませんでした。大災害が起こったときは、これだけ多数の人々がいっせいに電話をかけ合うのですから、ビジーになるのも当然なのでしょう。

NTT東日本・西日本は、大規模災害の際に重要通信の確保のために、「災害時伝言ダイヤル」というサービスを提供しています。地震等の災害発生時に、加入者の電話番号ごとに短いメッセージを録音できるメッセージボックスを開設するというものです。

災害用伝言ダイヤル

災害時の輻輳防止

 災害などの際、通信要求がシステムの想定する上限を超える結果、通信が成立しにくくなる現象を輻輳(ふくそう)と呼びます。輻輳は、通常、大量の通信要求が発生した結果、電話網の交換機能、通信回線の容量がそれに応じられなくなったために起こります。

上記災害時伝言ダイヤルは、災害発生時に通信要求が増加した場合、それを制限し、代わりに電話をかけてきた人をNTT交換局に設けられた音声録音装置に接続します。
利用者がその装置に短時間のメッセージを録音し終わると、その通信は切断されます。
以上により、利用者の通信が電話網の交換機能、通信回線を使うことなしに終了するので、輻輳の発生が未然に防止されます。

ダイヤル171
災害用伝言ダイヤル NTT東日本・西日本が提供しているこの災害時伝言ダイヤルサービスは、「ダイヤル171」と呼ばれています(左図参照)。

災害発生時に加入者の電話から局番なしの "171" をダイヤルすると、その電話が伝言用のメッセージボックスに直接接続され、短いメッセージの録音とそのメッセージの聴取が可能になります。

 このダイヤル171サービスの概要は、次の通りです。
  • 利用できる電話

     重大な災害が発生した地域に登録されている固定電話(加入電話、公衆電話など)が主たる対象になります。

    なお、携帯電話・PHSでの利用の場合は、それらがその地域で登録されており、さらに同じ利用者がその地域で加入電話を登録していることが条件になります。

  • 電話機の種類

     ダイヤル式、プッシュ式いずれの電話機でもダイヤル171を利用できます。しかし、ダイヤル式電話機では操作に時間がかかる、録音した伝言内容の確認ができないなどの問題点があるので、できるだけプッシュ式電話機から利用しましょう。

  • 登録できる電話番号

     上記「利用できる電話」の電話番号をかならず市外局番からダイヤルして登録します。
    被災地からの伝言の録音を優先するので、サービス提供開始当初は災害により電話がかかりにくくなっている地域以外の地域からの録音利用が一時制限される場合があります。

  • 伝言録音時間

     伝言録音時間は1伝言あたり30秒以内 です。その伝言を電話番号あたり複数回録音できる場合がありますが、その回数を伝言蓄積数といいます。

    伝言蓄積数は電話番号あたり1~10伝言とされており、伝言ダイヤルサービスが提供されるときにNTTから通知されます。
    災害発生時に録音された伝言は、録音してから48時間保存されます。

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(2016/05/12(木) 07:11)

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