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 豪徳寺の三重塔
豪徳寺の三重塔 愛らしい猫が幸運を招いてくれるという招き猫で有名な東京・世田谷の大谿山豪徳寺では、2003年から三重塔を建築してきましたが、2006年5月に完工し、落慶式を行いました。

三重塔の中には、ご本尊の釈迦如来像が安置されています。多数の僧侶たちによる落慶法要が終了した後は、檀徒と私ども一般者も三重塔の基壇に上がりご本尊の釈迦如来像を拝むことができました。

豪徳寺の三重塔 border= 本年は三重塔落慶後10年にあたります。豪徳寺の桜も満開になったと聞き、自転車で行ってみました。
本堂の向かって左側にそびえる三重塔は、建築が始まったばかりのときは新々しい白木造りでしたが、その後10年間雨風にさらされて仏塔らしい落ち着いた表情をみせてきました。三重塔のまわりにはさまざまな種類の桜があり、ちょうどうまい具合に三重塔にかかって咲いていました。

豪徳寺の三重塔 招き猫に願をかけ、それが幸いにも成就した場合、その招き猫の姿形を当寺の招猫堂の横にある祠に返納すると、さらにご利益があるとされます。
当寺の招き猫はさすがに霊験あらたかと見えて、この祠にはいつも祈願成就の猫がたくさん返納されています。
また色鮮やかな千羽鶴も、この祠にいつも絶えることなく納められています。

豪徳寺の三重塔 三重塔の各層の屋根下には、さまざまな木彫りの飾り物が多数おかれています。

さすがというべきか、豪徳寺のマスコット招き猫と同型の観音像が三重塔二層目に置かれ、その近くには可愛らしい子猫たちの像が置かれています。
ねずみの像もありますが、招き猫ちゃんは別にねずみを追う様子はありませんでした。

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(2016/03/31(木) 07:03)

 桜開花・世田谷
 本2016年は、年初から暖かい日が続いたかと思えば今度は寒の戻りになったりで安定しない天候でした。その中で、ソメイヨシノのつぼみは次第に膨らんでゆき、日本南部の各地から桜開花の便りがきこえてきました。そして3月21日、靖国神社の桜が5輪以上開花したとのことで、気象庁が東京地方の桜開花を宣言しました。

世田谷区の馬事公苑は桜のデパートのようなところで、山桜、彼岸桜、ソメイヨシノ、しだれ桜、八重桜となんでもあります。春先から4月中旬ぐらいまで、さまざまな桜が次々に咲くのを楽しむことができます。
日のあたりのよいところに二分咲きぐらいになったソメイヨシノの大木がありました。弥生空をバックに鮮やかに咲いていました。

ソメイヨシノ

 馬事公苑から南に向かって歩き、環状8号道路をわたってきぬた公園に着きました。きぬた公園は、面積が大きいためか、樹木は枝を詰めるなどということはせず、自然のままに放置してあるようです。
そのようにして数十年もたつと、樹形が大きくなるとともに、樹形全体のバランスが自然に非常によくなり、堂々たる存在感が生まれます。

園内を歩くと、梢も幹も枝も伸ばしきったソメイヨシノの一群がありました。横に長々と伸びた枝は、地面すれすれに垂れ下がっています。その枝の先に白いソメイヨシノの花がぽつりぽつりと咲いていました。

ソメイヨシノ

 しばらく行っていない呑川親水公園に桜の様子を偵察に行きました。東急田園都市線桜新町駅からサザエさん通りを抜け、国道246号線を渡って呑川親水公園に入ります。

呑川という小川の両側に1kmほどにわたって桜の巨木が植えられています。そこを歩き始めてまもなく、もう咲き始めたソメイヨシノの大木がいくつも見つかりました。咲き初めた桜の花は花のがくが濃いピンクのため、全体として色が濃く見えます。

ソメイヨシノ

 オオシマザクラは、日本最古来の桜で、ソメイヨシノのルーツの一つであるといわれます。ソメイヨシノより少し前から白い大きな花を元気よく差渇せます。花が開いてまもないころに、緑色の若葉がふき出してくるのが特徴です。そのため開花時に遠くから見ると、木全体が薄緑がかった白色に見えます。

下の写真は馬事公苑にあるオオシマザクラです。ソメイヨシノに先立って、ご覧のように豪華な満開になりました。

オオシマ桜

 馬事公苑の片隅にある児童遊園の中に、5分咲きぐらいの桜がありました。近寄って見ると、ソメイヨシノとはどこか違い、花弁がやや小さく、また木の幹がソメイヨシノのようにゴツゴツしていないで滑らかです。
近くに公園内の植栽の仕事をしている業者さんがいらっしゃったので尋ねたところ、江戸彼岸桜ではないかとのことでした。
見事な咲きっぷりで、そのおかげで児童遊園全体がぱっと明るく見えました。たくさんの種類の桜をそろえている馬事公苑の強みです。

江戸彼岸桜

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(2016/03/29(火) 07:39)

 湯河原・万葉公園 (2)
万葉公園 湯河原・万葉公園に設けられた「文学の小径」を歩いて行くと、上記佐々木信綱さんの短歌の次には、詩人・作家島崎藤村の詩「潮音」の一節がありました。

藤村は湯河原の温泉、風物をこよなく愛し、たびたび訪れました。この万葉公園の近くには藤村が定宿とした旅館があり、私どももそこに宿泊しました。

万葉公園 『武蔵野』 で有名な国木田独歩も湯河原を愛し、短編小説 『湯河原ゆき』 などの作品を残しました。
文学の小径にあるこの碑は、上記 『湯河原ゆき』 の一節を独歩の友人早大教授吉江狐雁が書いたもので、独歩の三十年忌に建てられました。湯河原の渓谷に向かった時は さながら雲深く分け入る思があったと書かれています。

万葉公園 この碑の少し上の方には温泉が引かれた「独歩の湯」という広場があり、さまざまな足湯が楽しめるようになっています。
湯河原町出身の俳人、黛まどかさん主宰の湯河原吟行が開催され、湯河原文学賞・俳句の部の表彰が行われています。入賞した皆さんの作品は、万葉公園内の湯けむり投句版に掲示されています。

万葉公園 このほど、万葉公園が「日本の歴史公園100選」に認定されました。都市公園法施行50周年等記念事業実行委員会が、優れた歴史的・文化的資源を有し、地域の活性化に貢献している歴史的公園の評価・選定するものです。
湯河原は万葉集で唯一温泉について詠まれており、文人墨客が多く訪れているので認定されました。

万葉公園 文学の小径の中ほどには、赤鳥居がたくさん連なった狸福神社という神社があります。こ湯河原には傷を負った老狸が温泉に浸かってすっかり回復したという昔話があり、その狸を祀ったものだそうです。
古来、癒しのいで湯として人々を惹きつけてきた湯河原らしい神社です。
私どもも、この神社に立ち寄って一休みしました。

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(2016/03/27(日) 07:16)

 河津七滝
 明治37(1904)年に至って旧天城トンネルが開通し、伊豆半島南端下田と湯ヶ島の間が半島の中央部で接続されました。

これにより、かなりけわしい山道ではありますが、下田から陸路で東海道側に出るのが可能になったのです。トンネルの開通以降は、修善寺・湯ヶ島と伊豆南端の下田地域との物産の交流が盛んになり、南伊豆の開発が大資本の手で次々に行われました。

河津渓谷

河津七滝 天城峠から南に下る渓流には「河津七滝」と呼ばれる滝が連なっていますが、それらの滝も冬には氷結することがあるそうです。
左の写真は最も上流にあるえび滝(えびだるという滝で、落差は大きくありませんが水量は豊かです。
えび滝の周囲の岸壁には、滝の断面には美しい柱状節理がついているのが見られます。

河津七滝 えび滝から岩の間を通る細い山道でかなり下ると、大きな滝音が聞こえてきました。左の写真の釜滝(かまだる)という滝です。
釜滝は高さ22m、幅2mで、河津七滝の中で2番目に大きい滝です。滝の上には水煙が立ち込めており、太陽光が当たると虹が見えるそうです。
釜滝の名は、滝つぼの形状からきているとか。

河津七滝 なお、河津渓谷に沿う急な山道を下って行きました。渓流の周囲にも、岩が規則的に柱状になっている柱状節理が見られます。
小説 『伊豆の踊り子』 の芸人一座も、小説 『天城越え』 の主人公たちもこのけわしい山道を下田に向かって降りてゆきました。
豊かな渓流は、ところどころで青い水をたたえた淵になっています。

河津七滝 さらに山道を下ってゆくと、左の写真の蛇滝(へびだる)とよばれる滝がありました。滝の左右にある岸壁の玄武岩に蛇のうろこのように見える模様があるのでこの名がつきました。

滝の高さは3mほどで大きくありませんが、滝つぼのまわりが大きな淵になっており、青い水が陽の光を受けて輝いていました。

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(2016/03/25(金) 07:11)

 世田谷・大蔵運動公園
 大蔵運動公園は、世田谷区立のスポーツ公園で、大蔵通りを挟んで広大な都立きぬた公園に隣接しています。環状8号道路から、きぬた公園の中を通って大蔵運動公園に行くこともできます。

大蔵運動公園へのアクセスはやや不便で、小田急線成城学園駅か田園都市線二子玉川園駅からバスを利用するのがよいでしょう。
毎秋10月のの体育の日には、この大蔵運動公園で 「世田谷区民スポーツまつり」 が開催されます。

大蔵運動公園

 大蔵通り側から公園の門を入ると、左側に児童園という広場があり、いつも子供達で大賑わいです。この広場には、C57という機種のSLが展示されています。C57は、均整のとれたスタイルを持つため、SLの貴婦人と呼ばれることがあります。

ここでは、その優雅な貴婦人も、腕白の一群に乗っ取られてしまいました。子供たちは、SLの運転席の屋根にまでよじ登り、周りの木々から伸びている枝を引っ張ります。

大蔵運動公園

 SL広場の先、体育館の手前に、手入れのよく行き届いた広いバラ園があります。春、秋のシーズンには、大輪から蔓バラまでさまざまなバラが競い合うように咲いて、園内は大勢のバラ愛好者で賑わいます。

バラ園の先には大きな噴水があり、新緑の木立の中で、高く水を吹き上げていました。その水が風にあおられて落ち、噴水の下のプールで白いしぶきをあげます。

大蔵運動公園

 特色のあるピラミッド型の屋根をもった大きな体育館は、大蔵運動公園のセンター機能を持つ施設です。体育館内部にはさまざまな設備があり、バスケットボール、バレーボール、バドミントン、卓球などの競技に利用されています。
体育館に隣接して50m、25mの温水プールが設けられています。

大蔵運動公園

 体育館前の広場で、指導者に引率された少年野球チームの一団が午後の試合の前ににぎやかに食事をとっていました。

私は、アメリカの少年野球リーグを描いた映画 《がんばれ!ベアーズ》 が大好きで、テレビでときどき見ます。このチームの少年たちもベアーズのメンバーと同じくらいの年頃で、やはり映画のベアーズと同じように女の子も入っていました。

いっしょにいたチームの監督にお願いして、食事をしている少年たちの写真を撮らせて頂きました。写真を撮る私の姿に気がついて、子供たちがいっせいにこちらを振り返りました。

大蔵運動公園

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(2016/03/23(水) 07:25)

 早咲きの桜
河津ざくら 私は旅行・四季の花などの写真サイト花景ギャラリーも運営しています。その中から早咲きの桜について掲載します。
河津桜は本州一の早咲き桜とされ、遅咲きの梅とほぼ同じ2月半ばから元気に咲き始めます。ソメイヨシノより色の濃いピンクの花を樹いっぱいにつけます。そのあでやかさ、愛らしさで大変人気があります、

寒ひざくら 寒ひざくらはサクラの原種の一つで、おおよそ1月から3月にかけて咲きます。
花の色は濃い桃色が大多数を占めますが、白色のものもあります。
花の大きさは1.5~2.5cm程度で、下向きの花が樹全体に付いて咲きます。
上記の河津ざくらは、この寒ひざくらとオオシマザクラが自然交雑したものと考えられます。

おおしまざくら おおしまざくらは野生種のサクラの一種で、高さは15mに達する落葉高木です。春3月、ソメイヨシノより少し早い時期に白色の花を多数咲かせます。
このオオシマザクラは、ソメイヨシノなどの多くの園芸品種のもととなったサクラです。また、昔から食されてきた桜餅は、このサクラの若葉を塩漬けにしたものを使用するそうです。

やまざくら やまざくらは、日本の野生の桜の代表的な種で、和歌にも数多く詠まれています。「吉野の桜」とは、本来このやまざくらを指すものであり、日本の象徴とされた桜です。
やまざくらは、多くの場合開花と同時に葉芽が開き、葉が伸び始めます。サクラの仲間では寿命が長く、ときに樹高30mを超える大木になります。

江戸ひがんざくら 江戸ひがんざくらは桜の野生種で、春の彼岸ごろ、ソメイヨシノより少し早く咲くことからこの名前がつきました。ソメイヨシノの片親としても知られています。
花は薄紅色から白で花弁は5枚で一重です。
ヤマザクラとともにサクラの中では非常に長寿の種であることで知られ、樹高はおおよそ15m-25mにも達します。

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(2016/03/21(月) 06:58)

 電力自由化、本番に
 私どもの生活に不可欠な電力は、これまで地域の大手電力会社が独占的に供給し、私どもはその料金を電力会社に支払ってきました。

2000年には2,000kW以上で受電する大口需要家に対して特定規模電気事業者(PPS)による小売が認められようになりましたが、一般家庭など小口需要者は東京電力など地域の電力会社から電力を購入するほかありませんでした。

電力自由化

 政府は、電気事業において市場参入規制を緩和し、市場競争を導入することで、電気料金の引き下げや電気事業における資源配分の効率化を進めるために、電気事業法を改正しました。

2016年4月からは、家庭などに向けた電力小売りが全面自由化され、需要者は電気の契約先を自由に選べるようになります。これにより、従来の地域ごとの電力会社だけでなく、さまざまな会社が電力を消費者に直接販売できるようになります。

電力自由化

 これまでに小売電気事業者として登録を行った事業者には、ガスやガソリンを販売している事業者や、既にインターネットプロバイダや携帯電話キャリアで馴染みのある事業者などがあります。

これにより、携帯電話やガスなど他の商品とのセット割引や、多様な暮らし方にあわせた料金体系などが提供されることが期待されています。自分に合った料金プランを選択することができるようになるため、電気代が節約できたり、クリーンな電力を選べたりするようになります。

電力自由化

 電力自由化は2016年4月1日に開始されますが、2016年1月から、開始に先行して申し込みができるようになります。
私の家にも、ガス会社、電鉄会社、携帯電話会社などから電力とのセット販売をうたったダイレクトメールが盛んに届くようになりました。

電力小売事業者の最大手と目される東京ガスは、現在までに10万件以上の電力販売契約を獲得したとのことです。

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(2016/03/19(土) 07:02)

 湯河原・万葉公園
万葉公園 JR湯河原駅からバスで10分ほどのろころにある旅館にチェックインしました。詩人・作家の島崎藤村は湯河原をしばしば訪れましたが、その際はこの旅館を定宿としたそうです。
旅館の玄関先に、藤村が自分の詩の一節を墨書した詩碑がありました。後に若菜集に収められた詩 《潮音》(しおのね) を書いたものだそうです。

万葉公園 まだ十分明るかったので、すぐに旅館の外に出て、旅館の近くにあるという万葉公園の方向に歩いてゆきました。
万葉公園は、藤木川と千歳川が合流する場所の北側の丘陵にあります。万葉集の中にこの地の温泉を読んだ和歌があることから、歌人佐々木信綱氏の指導により万葉公園と名付けられたとのことです。

万葉公園 万葉公園の中には千歳川が流れており、その渓流沿いに遊歩道が造られています。その先はかなり深い山になっており、滝も落ちているそうです。
渓流沿いの細い散策路を、千歳川のせせらぎを聞きながらゆっくりと登って行きました。私どもが行ったのは2月の末のことで、渓流沿いにはまだ若葉もなく寒々としていました。

万葉公園 万葉公園の中には熊野神社という古い神社が置かれています。神社の創建は江戸時代初めとのことで、古来からの温泉の神様である紀州熊野本宮から勧請された神霊を祀っているそうです。
熊野は「ゆ(う)」とも呼まれるとのことで、湯河原の湯の守護神、温泉・生命・健康を守る神様として崇敬されてきました。

万葉公園 万葉公園の中を流れる千歳川の渓流沿いに「文学の小径」という散策路が設けられ、それに沿ってこの地に縁のある短歌、俳句や漢詩などを掲示した石碑や木の板がたくさん配置されています。
文学の小径の入口に近いところに、万葉公園の名付け親である歌人佐々木信綱さんが詠んだ短歌の歌碑がありました。

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(2016/03/17(木) 07:32)

 旧天城トンネル (2)
 私どもは、早春2月の末に横浜から伊豆急で河津桜の本場伊豆急河津町に着きました。 そこから修善寺行きの路線バスに乗って旧天城トンネルより少し高いところにある水生地下バス停で下車しました。

そこから4、50分も歩いたころ、行く手の山に石造りの旧天城トンネルが黒い口を開けているのが見えました。

旧天城トンネル  旧天城トンネルに入って下田方面の出口に向かって歩き始めました。暗いトンネルの中を5、6分も歩くと、行く手に丸いトンネルの出口が見えてきました。
小説「伊豆の踊り子」には、天城トンネルの内部について「暗いトンネルに入ると、冷たい雫がぽたぽた落ちていた。南伊豆への出口が前方に小さく明るんでいた」と書かれています。

旧天城トンネル  ようやくトンネルを抜けて早春の光に満ちた下田側に出てきました。
小説「伊豆の踊り子」では、旅芸人一行より少し後に茶屋をでた主人公「私」は、天城トンネルを通過して下田側に出てまもなく旅芸人たちに追いついたと書かれています。
左はトンネルの下田側(南側)の入口で、反対側の入口と同じ造りです。

旧天城トンネル  旧天城トンネルの下田側(南側)入口の近くに、左の写真の記念石碑が設置されてありました。
トンネルの反対側の入口にも同じ趣旨の石碑が置かれていましたがそれは湯ヶ島町が設置したもので、こちらは現在私どもがいる下田町が立てたものです。
また、「日本の道100選」の顕彰碑がやはりこちら側にも設置されていました。

 天城峠一帯は、標高が高いので冬には厳しい寒さになります。その寒さを利用して氷を製造するための池がこの近くにあり、できた氷を夏まで保存する氷室が造られていました。

氷室から少し下がったところに、寒天橋という橋が渓谷に架かっています(下の写真)。橋の上から渓谷を見通すことができるので、現在では天城旅行の名所の一つになっており、石川さゆりさんのヒット曲 《天城越え》 の歌詞にもこの橋が登場しています。

旧天城トンネル

 寒天橋から下は、河津川の支流狩野川に沿った渓谷の道になります。松本清張の短編小説 『天城越え』 では、主人公の少年はこのあたりで先にトンネルを出た女性ハナと土工を追って歩いていました。

やがて、少年は荷物を担ぎ直すために道端に止まった土工に追いつきました。ふと、少年はポケットに切り出しナイフがあるのを思い出しました。少年が、家業の鍛冶屋を手伝いながら鉄板の切れ端を加工して作ったものです。・・・・・・・・・。

旧天城トンネル

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(2016/03/15(火) 06:49)

 地下式津波シェルター
5年前の2011年3月にはマグニチュード9の巨大地震が東北地方沖合いで発生し、東北地方で深甚なる被害が発生しました。この大災害で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

津波シェルター 津波の恐れがあるときには、ともかく高所に避難するのが肝要です。
海岸近くに小高い丘などがある地域では、そこに向かって走るのが命を救うことになります。
大阪市では、海岸近くのビルと契約して津波の際は近隣の住民を受け入れるようにしているそうです。

津波シェルター 太平洋沿岸の市町村では、海岸に津波が襲ってきたときに備えて避難タワーを整備する動きが多いそうです。高層ビルや高台が少ない地域で、「人工の高台」として国が推奨し、沿岸部の自治体で設置が進められています。

 しかし、防災の専門家の一部は、「避難タワーは住宅地に近いため誘導効果をもちやすい。しかし、避難タワーの中には耐久性、高さともに安全性に問題があるものもあり、想定以上の津波が来た場合、相当の犠牲者を生む危険性がある」と警告しています。

津波シェルター 最近は、家族など少人数の津波対策として左の写真のようなプラスティック製のシェルターが開発されてきました。軽量で津波に巻き込まれてもすぐに海面に浮き上がるので、その後救助がくるまで中でしのぐことができるそうです。

4名タイプは本体寸法が直径1.2mで48万円で販売されているということです。

 上の写真のものは、一家4人が1週間ほど内部に避難、救助を待つ形を想定しているということです。底部分は二重床になっており、携帯トイレや1週間分ほどの携行食糧は収納できるそうです。

しかし、海岸筋には漁民など多数の人々が日常の仕事をしているので、数十人が逃げ遅れて取り残される事態も考えられます。

津波シェルター そこで、海岸の近くにしっかりとした防水構造を持つ地下式津波シェルターを設置したらどうかと思います。
津波の際はシェルターの出入り口には数トン以上の水圧がかかります。通常の密閉扉などは簡単に突破されてしまいます。

津波シェルター そこで、津波シェルターの出入り口は潜水艦のハッチ(上の写真)と同じような堅固な構造にする必要があるでしょう。
海岸の近くに住んでいる人は、万が一の津波に備えて自分たち家族がいち早くシェルターに避難できるように貴重品や非常食、飲料水など最低限のものをかばんに入れておきましょう。

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(2016/03/13(日) 06:53)

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