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 飛び梅・天満宮
飛び梅・天満宮 平安初期の学者、政治家菅原道真は、藤原氏との政争に敗れて左遷された先の九州大宰府で、903年2月25日、失意のうちに亡くなりました。
その後、道真公はその業績、学徳を広く称えられ、「天神様」として現在に至るまで大衆信仰の対象となっています。その道真公が没した地に建てられたのが、大宰府天満宮です。

飛び梅・天満宮 道真公が大宰府に下るとき、京都の紅梅殿の梅に別れを惜しみ、「咲くを忘るな」の歌を詠みました。
数年後に道真公が大宰府で亡くなると、主の死を知った京の梅が一晩のうちに空を飛んで大宰府に来て花を咲かせたというのが、「飛び梅」の伝説です。
大宰府天満宮境内の森の中に、この和歌の歌碑がありました。目が覚めるような見事な筆跡でした。

飛び梅・天満宮 世田谷区立羽根木公園は、都区部随一の梅の名所として有名です。数年前、この公園に大宰府天満宮にある「飛び梅」の子孫の梅(紅梅白梅の一対)が植えられました。
「飛び梅」ジュニアはまだ高さ2メートルあまりの小梅ですが、毎年順調に成長しており、やがては大宰府天満宮の親と同じくらいの大木になるでしょう。

飛び梅・天満宮 北野天満宮の分霊を江戸に勧請して建てられたのが、湯島天満宮です。
湯島天満宮は、歴代の将軍の庇護のもとに江戸市民の篤い信仰を集め、和歌、連歌、書道の神様として信仰されました。
現在では、なんといっても学問の神様として有名です。東京で学問の神様といえば、ここかあるいは世田谷の松蔭神社でしょう。

飛び梅・天満宮 湯島天満宮は小高い丘の上にあり、登るには女子供のための勾配の緩やかな女坂と男性のための急勾配の男坂があります。

毎年の梅の花の季節は、また、受験の季節でもあります。毎年この時期には、学問の神様は受験生やそのご両親の熱い信仰の対象となり、境内には多数の絵馬がかけられます。

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(2016/02/28(日) 06:51)

 湯河原梅林
湯河原梅林 湯河原の旅館で一泊し、翌朝JR湯河原駅の北にある湯河原梅林に向かいました。湯河原梅林は 平成8年に初公開された比較的新しい梅林だそうです。

湯河原駅から西に向う鍛冶屋行きバスに乗り、15分ほどで終点の鍛冶屋に着きました。ここから10分あまり幕山という山に向かって歩きます。

湯河原梅林 幕山の裾を流れる新崎川という清流に沿って、ゆっくりと山道を登っていきました。渓谷の中には、左の写真のように、大きな岩がごろごろとしていました。この川の上流には相当深い山になっていて、ヤマメ、マスの釣場があるそうです。

この周辺は四季を通じてさまざまな花が咲く風光明媚な場所ということです。

 しかし、私どもがいった2月中ごろは、緑の気配もなく、時折あたりにウグイスの声が聞こえるだけでした。
湯河原駅の西、新崎川の上流にそびえる幕山は、海抜626m、なだらかな頂上とその下の柱状節理の岩壁が特徴です。新崎川に沿って山道を登って行くと、早春の空をバックに幕山の全容が見えてきました。幕山の大岩壁は、ロッククライマーの練習場としても人気がある場所だそうです。

湯河原梅林

湯河原梅林 幕山のふもとに造成された広大な梅林には、各種の梅が4000本も植えられています。梅林が造られたのはそれほど古くないそうですが、梅林の大きさは有名な熱海の梅林をはるかにしのぐということです。

この湯河原梅林では、毎年1月末から3月はじめまで「梅の宴」というイベントが開かれます。

湯河原梅林 その時期は普通200円の入場料が必要なのですが、私どもが行ったときは、梅の開花がやや遅れているとのことで、無料で梅林に入場できました。
2月末から3月初めまでは、梅林がライトアップされ、夜の梅見が楽しめるということです。今回は、梅が本格的に開花していないためか、来園者もまだ多くありませんでした。

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(2016/02/26(金) 06:52)

 河津ループ橋
河津川 伊豆急河津町に着き、駅前の観光案内所で説明を聞いてから、修善寺行きの路線バスに乗って北に向かいました。

私どもの最初の目的地は、昔から文学作品にたびたび登場しているので有名な旧天城トンネルです。

バスは河津川に沿って北上して行き、まもなく湯ヶ野を通過しました。

 湯ヶ野は、川端康成の小説 『伊豆の踊り子』 にも出てくる古くから知られた温泉郷です。そこから先は、次第に山が深くなりました。
やがて、河津七滝にかかる手前に巨大な河津ループ橋が見えてきました(下の写真)。これは、正式には七滝(ななだる)高架橋といい、国道414号線の高低差を2重ラセン状のループで接続する高架橋です。

この橋が昭和56年に建設された結果、伊豆東海岸からの天城越えが非常に楽になり、河津ループ橋自体も新らしい観光名所になりました。

ループ橋

ループ橋 河津ループ橋は、全長1054m、高さ45m、直径80mもある巨大な二重ループ構造です。ループ橋の上部から見下ろすと、橋の上を通っている自動車やバスがおもちゃの車のように小さく見えます。
路線バスは、ループ橋を通って河津七滝沿いの国道を登ってゆき、やがて旧天城トンネルより少し高い場所に出ました。

トンネルへ 旧天城トンネルより少し高いところにある水生地下バス停で下車しました。
そこから渓流沿いの林道に出て、早春の天城の景観を楽しみながら歩き、1.8km先にある旧天城トンネルに向かいました。
林道は舗装されていませんが十分な幅があり、林道のはるか下方を流れる川の水音を聞きながら快適な森林浴を楽しみました。

トンネルへ 松本清張の短編小説 『天城越え』 は、1959年、清張が50歳のときの作品です。清張が売れっ子作家になって連載に追いまくられる間に書いたものです。

主人公の少年は下田からひたすら山道を北の方向に登り、やっと天城トンネルを通過して湯ヶ島側に入ってきました。このあたりの山道を歩いたのでしょうか。

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(2016/02/24(水) 06:56)

 梅開花・世田谷
 昨2015年暮れから本年はじめにかけては暖かい日々が続き、これでは梅も桜も開花が例年よりかなり早まるかと思われました。
ところが1月の末から2月には関東地方は一転して気温が低くなり、東京でもかなりの降雪がありました。
その影響か、東京では梅の開花が例年より遅くなり、ここに来てようやくほうぼうの公園などで見事な梅の花が見られるようになりました。

下の写真は前回東京オリンピックが行われた駒沢オリンピック公園にある梅林です。紅白の花が咲きほこる梅林のなかを、家族連れがゆっくりと散歩していました。滝の水が流れ落ちるように咲くしだれ梅に下には多数の人が集まっていました。

駒沢公園

 馬の公園として知られる世田谷区の馬事公苑にも、かなり大きな梅林があります。ここでは紅梅がまとまって植えられている一角が特に華やかで、このシーズンには多数の梅見客が集まります。

馬事公苑では、本年は白梅のほうは今ひとつの咲き方でしたが、幸いなことにこの紅梅のほうは実に見事な花をつけており、遠くから見てもそのあたりの一角が燃えるように輝いていました。

馬事公苑

 馬事公苑から南に向かって歩き、環状8号道路をわたってきぬた公園に着きました。ここではほうぼうに梅の木が植えられていますが、特に中央広場には50本ほどの梅林があり、毎年豪華な花を咲かせます。

梅林の横にある東屋(あずまや)で休みながら、満開の梅林の中を見渡しました。ただよってくる梅の香を愛でながら、広場の自動販売機で買った熱いお茶をゆっくりと飲みました。

きぬた

 小田急線梅が丘駅の西側にある小さな山全体が、世田谷区立羽根木公園です。羽根木公園は都内有数の梅の名所で、毎年2月中旬からこの公園で梅祭りが開かれます。

羽根木公園では、山の斜面いたるところに、紅梅、白梅などさまざまな種類の梅が植えられています。梅の木の下では、お客さんたちが思い思いに散歩したり、ビニルシートを敷いた上に座ってお菓子などを食べたりしていました。

羽根木

 東京都世田谷区の烏山川は世田谷区北烏山に水源があるとされ、かつては三軒茶屋の先、三宿池尻にまで至る大きな川だったようです。
現在はその大部分が暗渠となり川の姿はほとんど私どもには見えなくなりましたが、その暗渠の上部が整備され、烏山川緑道として世田谷区民の憩いの場になっています。

地域の皆さんのボランティア活動によるものでしょうか、緑道の中にはさまざまな植栽や草花が植えられています。このシーズンは、緑道の各所や緑道沿いの庭にある梅の花を楽しむことができます。

緑道

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(2016/02/22(月) 07:16)

 森鴎外・観潮楼
観潮楼 森鴎外の旧宅が、文京区千駄木、鴎外文学ゆかりの団子坂の上にあります。地下鉄千代田線千駄木駅から徒歩3分ほどです。森鴎外は、この家に30年間住み、大正11年に60歳で亡くなりました。
昔は、秋にはこの坂の両側に菊人形の店が立ち並び、そこを訪れる客相手に団子を売る店が繁盛したとのことです。

観潮楼 二階にあった書斎から東京湾が遠望されたことから、鴎外がこの家を観潮楼と名づけました。
この家は、現在は区立鴎外記念本郷図書館となっています。1階には鴎外記念室が設けられており、鴎外の自筆原稿、手紙、日記や鴎外の作品が掲載された雑誌、鴎外愛用の身の回りの品々などが展示されています。

観潮楼 鴎外記念室の入り口の壁に、鴎外のレリーフが置かれてありました。確か、昔の郵便切手にこのレリーフの写真が使われていたような記憶があります。
鴎外記念室の中には、鴎外の石像がありました。鴎外がアンデルセンの小説 『即興詩人』 の翻訳により読者人気投票で1位になったのを記念して出版社が作成したものだそうです。

観潮楼 鴎外記念室の外にはさほど広くない庭がありますが、これは鴎外が住んでいた当時の観潮楼の庭を復元したものだそうです。
鴎外は軍医の最高位である軍医総監にまで昇進した人ですが、その家の庭は案外に質素でこじんまりとしたつくりでした。
鴎外は、この庭の沙羅の木(ナツツバキ)を大層愛してその詩を書きました。

観潮楼 その詩を作家永井荷風が額に書いたものが鴎外記念室に掲げられていましたが、観潮楼の庭にはその額の文字を刻んだ石碑が置かれてありました。

荷風は観潮楼をしばしば訪れていて、荷風の日記 『断腸亭日乗』 に鴎外が晩年病気になり、やがて亡くなって葬式を行なった様子が記録されています。

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(2016/02/20(土) 07:22)

 青ガエルくん引退
 東京渋谷駅田園都市線出口からすぐ、ハチ公像の近くに緑色の可愛らしい電車車両が置かれています。東急東横線、田園都市線に使われた「5000系」の車両を観光案内所に利用したものです。

5000系車両はその愛らしいスタイルから青ガエルと呼ばれたことから、「青ガエル観光案内所」として親しまれています。観光案内所の中は当時の電車の内装そのままになっています。

旧玉電

 1945年に太平洋戦争が終了した後、1950年代に入ると日本各地で戦後復興が本格的に始まりました。その時期には、東京首都圏での通勤輸送力の強化・通勤電車のスピードアップが強く要望されました。東急電鉄は、5000系という新型車両を開発し、まず東京渋谷・横浜間を接続する東急東横線に投入しました。

5000系の車体は、18メートル級3扉に大型化したにもかかわらず、モノコック構造の採用により自重は在来車の約3分の2までに軽量化するのに成功しました。主電動機は国産の出力110キロワットモーターを用い、駆動方式は当時としては少なかった直角カルダンを採用しました。

ペット水 電車のスピードアップに伴い、ブレーキ方式もアメリカから技術導入した「発電ブレーキ方式」が本採用になりました。
ブレーキをかけたときにモーターから発生する電力を車両床下に設置した「抵抗器」で熱エネルギーとして吸収する方式です。
このブレーキ方式は、その後多くの電車車両で採用されて行きました。

 5000系車両は東急線からは1986(昭和61)年に引退し、その一部が九州・熊本電鉄に譲渡されました。各地で第二の人生を歩んでいた5000系車両はしだいに引退し、2015年3月以降、5000系車両の生き残りはこの熊本電鉄5101A号車ただ1両のみとなっていました。

 この最後の「青ガエル」は、ついに本年2月14日に最後の運行を終え、引退式を行いました。同日は、青ガエルの愛らしい姿を惜しむ鉄道ファンたちが熊本電鉄に集まり、大変な盛り上がりになったそうです。

引退後、この最後の青ガエルくんは熊本電鉄の北熊本駅で静態保存される予定とのことです。

旧玉電

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(2016/02/18(木) 07:36)

 ペット水の賞味期限
ペット水 2011年3月11日にはマグニチュード9の巨大地震が東北地方沖合いで発生し、東北地方で多数の家屋の倒壊、津波、原発の崩壊などの深甚なる被害が発生しました。
私どもは、個人レベルでもそれらの地震に対する備えをしようと思います。その場合、まず最初に必要なのが最低限の飲料水を確保・備蓄することでしょう。

 成人は最低でも一日1リットルの飲料水が必要とのことです。私どもは、2人の家庭なので、一日2リットルの飲料水が必要になります。
大災害に備えてその飲料水を10日分確保するには、何らかの方法で20リットル分の備蓄が必要になります。

私どもは、近所にあるドラッグストアで2リットル入りペットボトルの水をときどき買って、家の風呂場に備蓄しています。ペットボトルの水は、密封してあるので2年間水質を保てるそうです。

ペット水 安売りのペットボトル水を見かけると買い増して、平均して1ヶ月に1本ぐらいずつ増やしてきました。
最近ペットボトルを数えたところ、すでに13本になっていました。
そのように備蓄していて2年間の賞味期限を過ぎたペットボトル水は、もう飲用にはできないので、万一の時には顔を洗うなど雑用水に使います。

ペット水 もっとも古いペットボトル水の賞味期限を探すと、ようやく上の写真のように裏のラベルに「賞味期限はキャップに記載」と書いてあるのを見つけました。キャップには6桁の数字が印字されていましたが、最初の2桁が西暦年号の下2桁を示しているようです。
このペットボトル水は、賞味期限をすでに1年も過ぎてしまっていました。

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(2016/02/16(火) 07:28)

 伊豆急で河津町へ
 私どもは、このところ毎年2月には方々の海岸地方の暖地を訪れていますが、今年は最近非常に人気の高い河津桜をぜひ見ようと東伊豆の河津・下田に行くことに決めました。

横浜から伊豆急の特急踊り子号に乗り、伊豆半島の東海岸線に沿って南下します。踊り子号の車両は、東側に面した座席が広いガラス窓に向いて配置されて海の景観を楽しめるようになっていました。

伊豆急

 伊東に近い場所だったと思いますが、下の写真の黒い列車が止まっているのを目にしました。伊豆急では、海側に向かって並ぶパノラマシートや展望車両を併設した観光列車「リゾート21」を運行しています。リゾート21は、ウィークデイは普通列車として熱海~伊豆急下田間を走らせているようです。

リゾート21を下田に来航した黒船に見立てて塗装した列車が、この「伊豆急黒船号」です。全国でも黒色塗装の列車は珍しいそうです。

伊豆急

 またしばらく下田に向かって走ったところで、今度は車体を斜め方向に赤く塗装した列車が線路脇に止まっているのを目にしました。「伊豆急アルファ・リゾート21号」というもので、リゾート21の内装や座席の質感をさらにグレードアップした列車だそうです。

アルファ・リゾート21号では、山側の座席からも海の景色が楽しめるように座席を少し高く設置しています。

平日は普通列車として熱海~伊豆急下田間を運行し、特定の土休日には特急列車として東京~伊豆急下田間を運行しています。

伊豆急

伊豆急 伊豆熱川駅の少し手前で、車窓の海の景観が突然立ち込める白い水蒸気で遮られました。

見ると、海側の傾斜地に大きなやぐらが立っていて、そこから大量の湯煙がわいています。やぐらの下からは熱湯が湧いているのが見えます。横に、「玉の湯源泉 自噴100℃」という看板が立っていました。

伊豆急 ここから出た熱湯を、この地域の方々の旅館・ホテルに供給しているとのことです。熱川には、高温自噴泉が多いそうです。

そこからしばらく行くと、また電車の線路わきから大量の白い蒸気が立ちのぼっているのが見えました。電車がその源泉の蒸気をかいくぐって走っているように感じました。

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(2016/02/14(日) 07:38)

 湯島聖堂 (2)
湯島聖堂 東京・御茶ノ水 湯島聖堂の本体は、境内の北東、小高い丘を長い石段で登った上にあります。
今回は受験を控えた2月はじめに行ったので、大学や高校を受験すると思われる若者たちが多数参拝にきていました。
もう少し年上と思われる人の姿もみられましたが、公務員試験や司法試験を受験する方々でしょうか。

 儒学者林羅山が湯島聖堂のルーツである孔子廟を建てたとき、儒学に造詣が深かった五代将軍綱吉がそれを 「大成殿」 と名付けるように命じたということです。以来、湯島聖堂の中心である孔子廟は、大成殿と呼ばれています(下の写真)。

上記石段を登ると杏壇門と呼ばれる大きな門がありますが、その中に前庭と呼ばれる中庭があり、その奥に大成殿がそびえているのが見えます。杏壇門、大成殿をはじめ、聖堂内の建物は、みな独特の渋い青緑色に塗装されています。

湯島聖堂

 大成殿は間口20m、奥行14mの長方形の建物で、青緑色エナメルペイントで塗装されています。大成殿内部は土,日曜,祝日には公開しているとのことですが、今回は残念ながらお堂の扉は閉まっていました。

大成殿内部には、孔子の聖像が中央の神龕(厨子)に収められており、その左右には孟子、曾子、顔子、子思のの四賢人の像が置かれているということです。

大成殿の屋根大棟の左右両端には、お城の鯱のような像が置かれています。鬼犾頭(きぎんとう)という霊獣の像(鋳銅製)で、頭から潮を噴き上げ、大成殿を火災から守っているとのことです。

大屋根の下のほうには、鬼龍子(きりゅうし)という霊獣の像(鋳銅製)が載せられています。猫科の猛獣に似ているそうで、牙をむいてあたりを睥睨しています。

湯島聖堂

湯島聖堂 儒学の聖堂とあって、大成殿の近くには 「学問成就」、「合格祈願」 などと書かれた絵馬がたくさんかけられていました。
中学校の担任の先生が自分のクラスの全員が無事に卒業できるようにと祈念して書いた絵馬も奉納されていました。
外国人が英語で書き込んだ絵馬や中国語の絵馬ももいくつか見られました。

湯島聖堂 少し先に歩くと、巨大な孔子の銅像が立っていました。台湾の有志の方々から寄贈されたもので、高さ4.5mもあり、世界最大の孔子銅像だそうです。
孔子銅像の後ろには、楷樹(カイノキ)の大樹が植えられております。この木は、中国山東省の孔子墓所にある楷樹の種子を持ち帰り、その苗から育てられたものとのことです。

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(2016/02/12(金) 06:50)

 早春の花々
スイセン 私は旅行・四季の花などの写真サイト花景ギャラリーも運営しています。その中から早春の時期に咲く花々を掲載します。

水仙は、冬の初めから薄緑の剣のような葉を勢いよく伸ばし、年末ごろから他の花々に先駆けて白い可憐な花を咲かせます。
植えっぱなしでまったく世話をしなくても、このように見事に咲いてくれます。

ろうばい ろうばいは、早咲きの梅が咲く前、12月の末から翌年2月にかけて咲きます。マンサクよりもさらに早く咲くのですから、まさに冬に咲く花木の代表格です。
ろうばいは、半透明でにぶいツヤのあるクリーム色の花びらがあたかも蝋細工のようであり、且つ臘月(ろうげつ)と呼ばれる旧暦12月に咲くためにこの名がついたともいわれます。

さざんか サザンカは、年末から翌年2月にかけて花の少ない時期にみごとな花を咲かせる貴重な花木です。
ツバキ科ツバキ属の耐寒性常緑高木で、ツバキよりやや小さい花をつけます。 花色には桃色、赤、白等があり、日当たりのよい暖かい場所で元気に咲きます。
サザンカの花は、つばきと違って花弁がバラバラになって散ります。

まんさく 早咲きの梅よりやや遅れてマンサクが咲き始めます。毎年、この明るい色の花が咲くと、早春が到来したのを実感します。
「マンサク」とは春先に「まず咲く」ということからできた名前だそうです。
マンサクの花に近寄って見ると、写真のように薄黄色の細い花びらが毛糸くずのようにねじれながら伸びているのがわかります。

ふくじゅそう 本格的な春のおとづれをいち早く告げるとされる梅には、早咲きと遅咲きの2種類があります。
早咲きの梅とほぼ同時期に咲くのが、福寿草です。一面の枯野原の中から突然力強い花芽を突き上げ、その先に寒さを吹き飛ばすように鮮やかな金色の花をつけます。新春のめでたい花とされるのがうなずけます。

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(2016/02/10(水) 07:30)

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