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 中央区の歳末
中央区の歳末 中央区人形町は、江戸開府以来の歴史を持つ下町でももっとも古い町の一つです。人形浄瑠璃の人形遣いがこの町に多く住んだので、この名前がついたといわれます。
年の暮れにこの町を歩いていて、左の写真の縁起物店を見つけました。土地のとび職が造ったのでしょうか、丸太と合板で組みあげてありました。

中央区の歳末 縁起物店の中には、そのとび職でしょうか、はっぴを着た人が数人忙しく働いています。さっそく町の人が店に入ってきて、年末の縁起物を手にとって店主とやり取りをしていました。

人形町の通りには国旗が掲げられ、歳末の風にはためいていました。その下の街路を町の人がコートの襟を立てて通り過ぎました。

中央区の歳末 安産の神様として有名な水天宮は、江戸時代に有馬藩の殿様が久留米水天宮の分社を建てたのが始まりとされます。

もともとは名前のとおり水の神様でしたが、やがて安産の御利益が口コミで広まり、現在では「なさけありまの水天宮」として、安産、子授け、水難除け、渡航安全の神様となりました。

中央区の歳末 水天宮のご霊験で無事安産となった後、お礼参り、七五三参りにまたここを訪れる人も多いようです。

左の写真の赤ちゃんは、初お礼参りかと思います。
うららかな陽気で眠っているのでしょうか、乳母車から転落しそうでした。

毎月の「戌の日」は特にご利益があるとされ、参拝者が非常に多いそうです。

 一年の仕事の最後となる仕事納めは、12月28日か29日が多いようですが、その日は業務は午前中で終了の会社がかなりあります。
そのような会社でしょうか、たまたま通りかかった中央区のあるビルの前で、餅つきをしているのを見ました(下の写真)。

ビルの玄関前にビニールシートを敷いて、小さな天然石造りの臼を置いていました。 金髪の若手社員が威勢良く臼に杵を振り下ろし、臼の中の餅を中年の社員が慣れた手つきですばやくこねていました。

この一年の忙しいお仕事、まことにお疲れさまでした。

中央区の歳末


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(2015/12/30(水) 07:22)

 神宮外苑・観兵榎
 地下鉄銀座線の外苑前駅で下車し青山通りを少し歩くと、 四列の銀杏並木のある広い通りが北に向かって開けます。
銀杏並木通りのはるか先に見える丸屋根の聖徳記念絵画館に向かって歩いていくと、日の丸球場という広いグラウンドに突き当たります。
日の丸球場に沿って右に曲がると、道路の右側に高い樹木が繁った中に広場が見えてきました。

観兵榎

観兵榎 11月から12月にかけてのイチョウが黄葉する時期には銀杏並木通りは大変な人出となりますが、この森のあたりは訪れる人は少なく、広場はしんと静まりかえっていました。
森にはかし、なら、えのきなど落葉樹の巨木が多く、みごとに黄葉したこずえから初冬の陽光が広場のすみずみまでに降りそそいでいました。

観兵榎 広場の中央に大きな自然石の碑が立っているのが見えました。近寄ると、碑面には「御観兵榎」と刻まれてありました。
昔、この地には陸軍の「青山練兵場」がありました。当地で行われた観兵式の際に明治天皇の御座所が碑の後ろにある榎の木の近くに置かれたことから、この木が御観兵榎と呼ばれるようになりました。

観兵榎 「御観兵榎」石碑の書には、「伯爵西郷従道」と署名がしてありました。西郷従道は西郷隆盛の弟で、明治政府で陸軍卿、海軍大臣、内務大臣などの要職を務めた人です。

この石碑が立てられた当時からの榎は1995年に台風で倒れ、現在石碑の後ろにある榎はその後植樹された2代目とのことです。

観兵榎 明治神宮外苑は、関東大震災後の1926年(大正15年)に青山練兵場の跡地に創建されました。
その際は旧青山練兵場周辺の施設、樹木はあらかた撤去・伐採されましたが、この森の巨樹はそれを免れて現在まで存続してきたのでしょう。
百年の森の奥深くまで分け入って、初冬の陽光に映える黄葉を愛でました。

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(2015/12/28(月) 07:17)

 クリスマス点景
 近くの世田谷区深沢の住宅地で下の写真のクリスマス・デコレーションを見かけました。サンタさんと7人の小人たちという童話があるそうですが、その人形でしょうか。冬の陽光が明るく当たるベランダに、鮮やかな紅白の服を着て勢ぞろいです。手作りのデコレーションで子供たちにクリスマスの夢を届けます。

クリスマス点景

クリスマス点景 左は、田園都市線桜新町駅の近くの住宅地で見かけたクリスマス・デコレーションで、石の門柱に赤い服を着たサンタさんの人形を吊るしてありました。

サンタさん、今年もいよいよ出番真近ですね。トナカイのそりは、もう準備できましたか。世界中の子供たちへのプレゼントも、大量に積み込んでください。

クリスマス点景 私の家の近くにある馬の公園馬事公苑では、この時期には本年の行事はあらかた終わり、広い苑内は入場者も少なく静かに年末を迎えようとしています。
馬事公苑には木馬がところどころに置いてありますが、その一つの上に赤い服を着たサンタさんがまたがっていました。
木馬くんもこれが本年最後のおつとめですね。

クリスマス点景 一年を通じて明るい話題の少なかった今年ですが、それでもクリスマスから年末にかけてのこの時期は、最後のかき入れどきということで盛り場の商店は活気付きます。

左の写真の店では、キティちゃん人形やどらえもんを山と積み上げ、サンタの服を着た店主が声を枯らして客を呼んでいました。

クリスマス点景 世田谷区立羽根木公園の反対側にある広場では、広場の中のテーブルに子供たちが12、3人座り、そのまわりに父兄たちが集まっていました。
テーブルには白いクロスがかけられており、テーブルに座った子供たちの前にはおいしそうなケーキが並べられています。どうやら、これからクリスマス・パーティでもするようです。

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(2015/12/26(土) 07:35)

 大宮八幡宮・花笠祭り
大宮神社 大宮八幡宮は鎌倉時代に興された由緒ある神社で、秩父の大宮、足立の大宮とともに武蔵の国の三大宮と呼ばれます。
京王井の頭線の西永福駅から歩いて10分ほどのところにあります。

大宮八幡宮の境内は大変広壮で、東京都内では明治神宮、靖国神社に次ぐ広さがあるそうです。

大宮神社 約900年前の平安初期に源頼義・義家父子が奥州討伐に出征する際に、この地で八幡大神に戦勝を祈願しました。その祈願がかない、源頼義・義家父子は奥州を平定して京に凱旋しましたが、その後1063年に京都・石清水八幡宮より御分霊をいただいてここ大宮に神社を創建しました。それが、大宮八幡宮の始まりとされます。

大宮神社 毎年12月の中旬に大宮八幡宮の境内で「杉並花笠祭り」が開催されます。この祭りは山形県の後援で行われ、神社の表参道には山形の農産物や特産品の露店が立ち並び、いも煮や山形地酒もふるまわれます。午前、午後の2回、西永福商店街から大宮八幡宮社殿前までの参道で花笠踊りのパレードがにぎやかに行われます。

大宮神社 この祭りは本年で第25回で、杉並の年末のイベントとして有名です。

杉並花笠祭りは、山形の花笠まつりと同じように、花笠音頭にのって踊ります。北国の実りのときを祝う明るく華やかな踊りです。
その踊りに出演したお嬢さんたちが集まっていたので、一枚写真をとらせていただきました。

大宮神社 大宮八幡宮から善福寺川を渡ったところに、都立和田堀公園があります。善福寺川に沿う形で広がっており、周辺一帯は杉並区内で最も緑が多い地域で春には桜の名所として多くの来訪者で賑わいます。
園内の和田堀池には美しい小島がありますが、このあたりにはカワセミが生息しており、それを撮影する人をよく見かけます。

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(2015/12/24(木) 07:24)

 武蔵御岳神社(2)
 武蔵御岳山は、標高が929mもあり、東京近郊の山として人気の高い高尾山(599m)をはるかにしのぎます。ケーブルカーで登った御岳山駅も標高が830mもありますが、そこからさらに神社を目指して登って行くと、本格的な山地の表情が現れてきました。

ケーブルカー御岳山駅で降りてしばらくは山中の緩い登り道が続きます。やがて赤い鳥居が見えてきましたが、このあたりは周囲の紅葉がちょうど見ごろになっていて、参拝客がみな足を止めて感嘆の声をあげていました(下の写真)。

武蔵御岳神社

武蔵御岳神社 神社に向かって歩いて行くうちに、道は次第にけわしい上り坂になりました。
行く手にひときわ大きなかえでの木がそそり立っていました。葉の一枚一枚も普通のかえでより大きく、初冬の陽光を浴びて燃えるように輝いていました。
このあたりはすでに標高は900mに近くなっていますが、やはり高地の紅葉は平地とは違います。

武蔵御岳神社 そのあたりに多数ある宿坊は、もともとは神社の神職などの住居だったのですが、やがて神社の参拝者、信仰登山の方々も宿泊させるようになり、現在ではハイキング客や一般観光客も受け入れています。
宿坊の主人は、今も全員が御師と呼ばれる代々世襲の神職で、武蔵御嶽神社の神主の資格を持っているそうです。

武蔵御岳神社 宿坊の中には特別の格式をもつものもあるそうで、上の写真のように堂々たる神社のような門にしめ縄を下げた宿坊もいくつか目にしました。
大きな宿坊の庭に、写真のかえでの巨木が立っていました。樹高は20m近くもありそうです。かえでの木の向こう側から陽がさして、かえでの木全体が真っ赤に燃えるようでした。

 そこから少し歩いて行くと、東側に大きく開けた崖際に出ました。とりどりの色に染まった東側の山々がにすぐ眼下に連なって伸びていました。その向こうには、JR青梅線沿線の青梅市や立川市でしょうか、大きな市街が広がっています(下の写真)。
よく晴れた日には、御岳山の頂上からは、都心の高層ビル、スカイツリーや横浜ランドマークタワーなども見ることができるということです。

武蔵御岳神社

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(2015/12/22(火) 06:59)

 世田谷ボロ市2015暮れ
世田谷ボロ市 世田谷では作業着の繕いやわらじの補強に利用するボロが安く売られる市が江戸時代から開かれており、 いつしかボロ市と呼ばれるようになりました。
昔はボロ市では主として近郷の農村が必要とする農耕具、古着市、正月用品などが売られていたのですが、最近は食料品、衣料・装身具、おもちゃ、骨董などの店が中心です。

 上の写真の骨董店は、どこから集めてきたのか、和人形、中国の人形、狼のブロンズ像、花瓶に紅茶セットといった雑多な品々を、道路わきに開いた狭い店いっぱいに並べていました。

骨董の類は、当然ながら、年月を経ても商品価値がそれほど低くならないものが販売の中心にbなります。陶磁器や鉄器、銅器、次いでガラス器、木製品などが数多く店頭に並べられます。

世田谷ボロ市

 ある横丁に開店した骨董店で、背の高い外国人が店先に立って店主と話し合っているのを目にしました。その様子を数人のカメラマンが近くから撮影しています。どうやら外国人のレポーターが世田谷ボロ市を取材するテレビ番組のようです。

外国人のレポーターはかなり日本語が達者なようで、店頭の骨董品をてにとっては使い方などを店主に訊ねていました。

世田谷ボロ市

世田谷ボロ市 ボロ市は、上記のように江戸時代の古着やぼろなどを売買する市がルーツだそうです。それ以来、現在に至るまで和服、襦袢、帯止めなどの和装品が多く売買されています。

左は昔の暖簾(のれん)などを販売する店で、和人形などの骨董品も売っています。女性の人形が暖簾をあけて出てきたようですね。

 ボロ市の通りをしばらく歩いていると、なんと昔の大型帆船の模型を多数並べて販売している店を見つけました。帆船の模型はみななかなか精巧なつくりで、甲板に立てた長いマストに帆桁を多数取り付け、白いキャンバスで作った帆を張っています。

大型帆船の模型は昔から根強い人気があり、現在でも模型完成品、模型キットなどがインターネットで販売されています。それらの帆船模型マニアが持っていたものが持ち主が亡くなった後に世田谷ボロ市など骨董市で販売されることが多いようです。

世田谷ボロ市

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(2015/12/20(日) 07:01)

 年末の目黒不動
目黒不動 東急目黒線不動前駅の近くにある目黒不動尊は、古くから浅草の浅草寺と並んで東京の庶民信仰の中心になっています。

目黒不動尊は関東ではもっとも古い不動霊場であり、熊本の木原不動尊、千葉の成田不動尊と併せて日本三大不動と呼ばれるそうです。年末の目黒不動尊に参拝に行きました。

目黒不動 古くから「目黒不動尊」と呼ばれているのは、同じ境内にある泰叡山瀧泉寺という天台宗のお寺の不動堂です。江戸時代以降、庶民の間に不動信仰が盛り上がり、瀧泉寺の不動堂に行楽を兼ねて参拝する人が大変多くなりました。現在では、瀧泉寺というお寺の名前より「目黒不動尊」のほうがはるかに有名になっています。

目黒不動 境内の広場に、「甘藷先生」として有名な江戸時代の学者青木昆陽の石碑がありました。
青木昆陽は、元禄11年(1698年)生まれで江戸時代中期に活躍した儒学者、蘭学者です。目黒不動尊では、毎年10月28日の縁日には、昆陽の10月12日の命日を偲んで甘藷まつりが開かれ、多くの参拝客でにぎわいます。

なんてん 同じ広場、勢至堂の前に作曲家本居長世の記念碑がありました。碑面には、本居が作曲した童謡「十五夜お月さん」の譜が刻まれてありました。
本居長世は、東京音楽学校のピアノ科の教授をしながら盛んに童謡などの作曲活動をしました。
本居は目黒不動のそばに住んでいたので、この碑が立てられました。

目黒不動 仁王門の先に不動尊本堂に登る大石段がありますが、その下左側に「独鈷(どっこ)の滝」という小さな滝が落ちており、その滝の下が池になっています。
今から1200年前、伝教大師最澄の弟子慈覚大師がこの瀧泉寺を開いたとき、大師が持っていた独鈷(どっこ)を投げたところその場所から滝泉が湧き出したとされます。

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(2015/12/18(金) 06:42)

 東京のクリスマスツリー
クリスマスツリー 東京銀座の宝飾店ミキモトは、この時期になると店頭に大きなクリスマスツリーを立てていました。銀ブラを楽しむ人々は、このシーズンはそのツリーの前にたたずんでクリスマスを祝いました。
ところがミキモト本店は建て替えをすることになり、ジャンボクリスマスツリーの展示は昨シーズンが最後となりました。

クリスマスツリー 今年からは、銀座通りでミキモトの隣の山野楽器がクリスマスツリーを継承することになりました。
山野楽器の社長と幼稚園から大学まで一緒だった長嶋一茂さんのすすめによって継承をきめたそうです。
山野楽器の店頭に立てられた新クリスマスツリーは青色LEDをふんだんに使った新感覚のデコレーションだそうです。

なんてん 私の最寄駅の駅前には、毎年、イルミネーションつきの大きなクリスマスツリーを立てていました。このもみの木は群馬県の森から伐りだされた樹齢30年ぐらいのものだそうです。
数年前の11月末のある日、駅を出たところ、ちょうどそのクリスマスツリーをクレーンで立てて、クレーンの上から盛んに飾りつけをしていました。

クリスマスツリー クリスマスツリーの飾りつけがある程度進むと、豆電球を点灯し、少し離れたところから見てまたいろいろと調整します。
担当の業者さんがクレーンに乗ったり降りたりして忙しく働いていましたが、その奥さんが現場で細かい作業を手伝っていました。
奥さんと子供さんをクリスマスツリーの前で記念撮影させていただきました。

クリスマスツリー 次の日に駅前を通ったところ、広場にみごとなイルミネーションつきのクリスマスツリーが設置されていました。ツリーの一番上には大きな赤いリボンが飾られていました。
しかし、その後、このクリスマスツリーは立てられないことになりました。森の大樹を伐ってツリーに使うのは環境保護の観点から好ましくないのでしょう。

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(2015/12/16(水) 07:02)

 世田谷の冬もみじ
ハナミズキ 私は旅行・四季の花などの写真サイト花景ギャラリーも運営しています。その中から世田谷の冬もみじをご紹介します。
ハナミズキの葉は他に先がけて紅葉し、同時に色あざやかな赤い実をつけます。1912年に東京市からサクラの苗木をアメリカに贈りましたが、その後アメリカからハナミズキの苗が日本に贈られました。

さくら それについで、サクラの紅葉が始まります。
桜の葉はまず黄色くなり、その後赤く変わっていきます。従って、桜の紅葉は真紅にならず、明るく華やかさな赤黄色になります。
緑の葉が直接あざやかな真紅となるかえでとは、対照的です。
世田谷では公園や街路に桜が多数あり、晩秋には明るい紅葉になります。

なんてん 家の近くの烏山川緑道を散歩していたとき、なんてんの植え込みが紅葉しているのを見かけました。
なんてんは、晩秋から初冬にかけて赤色の小球形の果実を多数つけます。
なんてんは、初冬には葉が次第に色づき、やがてつやのあるみごとな紅葉になります。縁起の良い木とされ、よく正月の飾り物に使われます。

うるしの葉 日本古来の「漆器」は、うるしの樹液を何層にも塗り重ねて制作します。そのうるしの木は、日本中の山地に自生していますが、肌に触れるとかぶれることが多いので注意が必要です。
私も何度かうるしにかぶれてひどい目にあいました。
うるしの葉は、秋が深まるとまず「黄葉」となり、その後次第に深みのある美しい紅葉になります。

かえで 環状8号線道路に近い高台に、瀬田4丁目広場という世田谷区が管理する屋敷があります。

その屋敷にカエデがたくさんあったのを覚えていたので、行ってみました。

運良く紅葉のタイミングはぴったりで、おまけにうまい具合に西日が当たってくれたので、真紅の紅葉が輝いていました。

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(2015/12/14(月) 06:55)

 警備犬のニュース
 今から11年前の2004年に新潟県中越地震が起こり、中越各地で大きな被害が発生しました、その際、山崩れで乗用車のなかに閉じ込められた母子が警視庁の警備犬の活躍により発見されたのを記憶している方は多いことでしょう。
その警備犬「レスター号」(雄、ジャーマンシェパード)が、12月4日、老衰により13歳で死亡したそうです。
レスター号はその後も2008年の中国・四川大地震などに出動し、国内外で行方不明者の捜索などに活躍しました。警視庁は、レスター号の功績をたたえ、警備犬としては異例の告別式を行いました。

警備犬 私は知らなかったのですが、警察の捜査に利用される犬には警察犬と警備犬があるそうです。
警察犬は犯人のにおいを追跡し、ときに犯人に噛み付きますが、警備犬はにおいから爆発物を見つけたり、災害現場で生存者を捜索したりします。
犬は、人間の5000倍以上の嗅覚と約10倍の聴覚を持つそうです。

 中越地震で救出された男児優太君の祖母ミハルさんは、「孫の命を救ってくれて本当に感謝しています。亡くなってしまったことを知り、つらい気持ちでいます」と語ったそうです。優太君は現在、中学2年生で柔道部の練習に打ち込み、元気に過ごしているということです。

警備犬 話はかわりますが、来年の嘱託警察犬を選ぶ茨城県警の審査に初めて小型犬が合格しました。
昨年までは審査犬の審査は大型7犬種のみで競いましたが、今年から出場制限が撤廃されました。

小型犬は体力は劣りますが、飼育費用が少なく、災害時にがれきの隙間に入ったりできる良さがあり、また威圧感がないので犯人や住民に警戒されず捜索できるそうです。

 そのチビワンちゃん、トイプードルのアンズ(メス、2歳、上の写真)は、2015年12月8日、茨城県警の審査会で「足跡追及」の部に出場、みごとな成績で合格しました。県警が小型犬を嘱託警察犬にするのは初めてで、1年間、遺留品や行方不明者の捜索に加わるそうです。

シェパードは体重が約40kgもありますが、アンズちゃんは2.5kgしかありません。訓練中に猫と間違われてトンビに襲われそうになったこともあったそうです。しかし、アンズは歩幅は小さいが足は速く、狭い側溝に入って遺留品を見つけることもできるということです。

ハクビシン プードルは泳ぎが得意で、もともとは鴨猟の回収犬として用いられていました。プードルにはいくつかの種類があり、「スタンダードプードル」は大型犬で、レトリーバーに近いくらいのものもあります。第二次世界大戦では、救助犬としても活躍しました。

左の写真は近くのきぬた公園で撮影したスタンダードプードルです。犬が立ち上がると飼い主さんの胸くらいにまでになります。

警備犬 18世紀後半には愛玩用として「トイ・プードル」という小型犬が開発されました。

プードルは2008年度にはジャパンケネルクラブの犬籍簿登録数が全犬種中第1位となりましたが、その内訳は小型の「トイプードル」が大多数だったそうです。

登録犬種でプードルに続く第2位はチワワ、第3位はダックスフンドでした。

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(2015/12/12(土) 06:56)

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