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 天主閣からの展望
大阪城 桜門を入ると、北の方向に大阪城の天守閣が高々とそびえていました。昭和に入ってから市民の募金活動が始まり、1931年にその資金で天守閣が再建されました。

復興された天守閣は、初層から第四層までは白漆喰壁とし、第五層は初代天守閣の絵図に従って黒漆に金箔で虎や鶴を描いています。

大阪城 天守閣の入口に、古めかしい青銅製の大砲が展示されてありました。明治になってから時報を大阪の街に伝えるのに利用されたものです。毎日正午に放たれた空砲の轟音は、「お城のドン」として大阪の名物の一つになりました。

大正末期には、時計が普及して空砲の時報は必要がなくなり行われなくなりました。

大阪城 現在の天守閣は、2階から7階までは歴史博物館、8階は展望台になっております。展望台に登ると、生駒、六甲などの周辺の山々から大阪湾までが見渡せます。
東北の方向を望むと、天守閣のシンボル、巨大な金の鯱(しゃちほこ)が見えました。「平成の大改修」で金張りもリフレッシュしたとのことで、春の陽を浴びて輝いていました。

大阪城 金鯱のすぐ下に拡がる大きな水面は、大阪城貯水池です。明治政府は、大阪市内でもっとも高い大阪城本丸に貯水池を設け、そこに淀川から水を上げて1895年から市内に上水の供給を開始しました。

太い上水鉄管が城の地下をくぐって西側に抜けており、現在でも一日あたり2万トンほどを配水しているそうです。

大阪城 展望台から大阪城公園の中に銅張り屋根の堂々たる建物が見えました。「大阪市立修道館」というもので、東京都の武道館と同じように柔道、剣道、なぎなた、弓道その他武道の普及振興のために昭和38年に設立されました。

大阪市民はだれでも武道を練習したいと思ったときに予約なしで利用できるそうです。

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(2015/04/30(木) 06:55)

 桜のデパート
河津桜 世田谷の馬事公苑は、苑内の至るところにさまざまな桜が林のように植えられており、春のシーズンには方々からの花見客で賑わいます。

数年前、ここに本州一の早咲き桜として有名な「河津桜」が植えられました。例年3月はじめから元気に咲き始め、濃いピンクの可愛らしい花を樹いっぱいにつけます。

やまざくら 馬事公苑には日本に古来からある桜 ヤマザクラも多数植えられています(左の写真)。

ヤマザクラにもいくつか品種があるようですが、よく見るのはソメイヨシノよりやや色が薄いもので、開花と同時に葉が芽吹くのが特徴です。

和歌で知られている奈良県吉野の桜は、ほとんどがこのヤマザクラだそうです。

大島桜 オオシマザクラは野生種のサクラの一種で、生長すると高さは15mにも達します。3月から4月にかけ、淡い芳香をもつ白い花をつけます。

花は花弁の形が明確で、花芯のおしべが金色をしており、全体として気品があって昔から庭木として利用されてきました。オオシマザクラの花は丈夫で長期間にわたって咲きます。

 現在日本中で花見の対象になっている桜は、80パーセントほどが「ソメイヨシノ」です。ソメイヨシノは、江戸時代に上記オオシマザクラとエドヒガンを掛け合わせて作られたということです。

オオシマザクラから整った花弁の形と金色の花芯を受け継ぎ、薄いピンクの気品ある桜が誕生しました。開花時には葉は芽吹かず、樹全体が細かい花で覆われ、まさに日本の春を代表する豪華な姿になります。

ソメイヨシノ

 花弁の枚数が多い八重桜は、上記ヤマザクラやソメイヨシノに比べて開花期が1~2週間ほど後になります。八重桜の一種フゲンゾウは室町時代から存在していたということです。

花は大きめで花の色も濃いものが多く、ヴォリューム感があって豪華です。海外では、ソメイヨシノより八重桜を好む向きが多いそうです。

花弁の枚数が多いためか、開花してから散るまでの日数が長く、長期間にわたって豪華な花が楽しめます。

八重桜


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(2015/04/28(火) 07:03)

 羽根木プレーパーク (2)
プレイパーク 羽根木公園内、梅園と反対側のところにある 「プレーパーク」 は、子供たちが自由に使える遊び場です。

プレーパークには管理事務所になっている小屋がありますが、そこにはだれかが持ってきたポンコツピアノが置かれてあります。ピアノの上手な女の子が楽譜を見ながらなにか弾いていました。

プレイパーク プレーパークの中ではさまざまな子供の遊びが行われています。左の写真は「ベーゴマ」という縁が角ばった鉄製のこまを洗面器の上に張ったシートの中で闘わせる遊びです。

ベーゴマはシート中央部、底の部分で高速で回転し、縁の角が互いにぶつかり合います。相手のこまを弾き飛ばしたほうが勝ちになります。

プレイパーク ベーゴマの周りに細い紐を巻き、それを洗面器に張ったシートの中に勢いよく投げ入れて紐を引くと、ベーゴマは高速で回転し始めます。

こちらでは、小学校4年生ぐらいの男の子たちが大声を挙げながら勝負を競っていました。勝ち上がった子に、他の子が挑戦します。みな真剣な表情で熱中していました。

プレイパーク 公園内ではありますが、ここではプレイリーダーの監督のもと、焚き火をするのが認められています。その焚き火に黒い鉄製の「お玉」のようなものがかけられていました。

お玉の中には砂糖を少量の水で溶いたものが入っていて次第に沸き立ってきました。これは「カルメ焼き」というお菓子を作っているのです。

プレイパーク お玉の中で砂糖水が沸騰したら、少量の重曹を加えて手早くかき混ぜます。重曹が熱分解して炭酸ガスが発生し、大きく発泡したら、火からおろして冷やすと軽石状の焼き菓子が出来あがります。

子供たちの父兄のどなたかが昔使ったお玉をここに持ち込み、子供たちにカルメの作り方を伝授したのでしょう。

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(2015/04/26(日) 06:56)

 渉成園印月池
 私どもが京都の名園渉成園に行ったのは3月下旬で、春が遅い京都でもソメイヨシノが咲き始める時期でした。
渉成園の中心をなす園池印月池の渉成園入口側のほとりに立ち、広々とした池の面と新緑に萌えはじめた対岸の林を見渡しました。写真中央にかかっている橋は侵雪橋(しんせつきょう)と呼ばれ、北大島に向かう回遊路になっています。

渉成園印月池

 印月池には鴨、白鷺などの水鳥が遊び、その周囲に広がる林には四季の彩りが鮮やかです。新幹線京都駅から歩いて10分足らずのところにこのような名園があるのは、さすが京都というほかありません。

渉成園印月池

深沢の桜 京都駅のタクシー運転手さんは、お客に「それほど時間はないが、この近くにどこかよいところはないだろうか」といわれると、たいていこの渉成園に案内するそうです。

江戸後期の歴史家、文人頼山陽もこの渉成園の景観を愛でてしばしば来園し、印月池や園内の建物など「渉成園十三景」を選定しました。

渉成園印月池 印月池中に造られた南大島という小島は、昔ここにあったとされる建物の名前から臥龍堂とも呼ばれています。

この小島の岸辺にある多層石塔(左の写真)は渉成園のルーツを造った左大臣源融(みなもとのとおる)を供養するもので、これも上記頼山陽によって渉成園十三景の一つに選定されています。

渉成園印月池 印月池の北側の岸辺から、池小島にかかる侵雪橋を撮影しました。この橋の上から望む庭園の景観もすばらしく、来園者が橋の上から盛んにあたりを撮影していました。
この侵雪橋も江戸時代の文人頼山陽によって渉成園十三景の一つに選定されています。
岸辺に植えられているかえでの若葉が秋の紅葉のように鮮やかに色づいていました。

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(2015/04/24(金) 06:43)

 大阪城内に入る
大阪城 大阪城は、豊臣秀吉によって1598年に築城されました。その城郭は1615年の大阪夏の陣で大半が焼失し、その後、徳川幕府によってまったく別の城が再建されました。

大阪城の正門である大手門はそのときに創建されたもので、現在の大阪城公園の南西隅、大手前芝生広場から橋で外堀を渡ったところにあります。

大阪城 場外から大手門に至る幅の広い道路には、両側に黒松の並木があるので有名です。

本丸の石垣は豊臣時代よりさらに高く積み上げられて、徳川幕府の威信を天下に示す造りになりました。
本丸と二の丸、西の丸との間には内堀があります。大手門の近くでは、内堀は深く掘り下げた空堀になっています。

大阪城 大阪冬の陣、夏の陣の経験から、徳川家康は堀の幅を豊臣時代の2倍にし、その深さも2倍にしたとのことです。

これらの大工事には、国中の大名たちが動員され、10年以上の歳月を要したそうです。

こうして築かれた大阪城は、その後250年にもわたって徳川幕府の西国経営の中心拠点になりました。

 また、徳川家康は豊臣時代の石垣をすべて覆い隠す形で巨大な石垣をあらたに建造しました。それらに使われた花崗岩などの石材は大阪に近い加茂、六甲や瀬戸内海の島々から調達されたということです。

巨大な切石で組み上げられた石垣は、下の写真のように上部になるほど傾斜が急になるみごとな「扇」の曲線を描いています。

大阪城

大阪城 大阪城内に時代を感じさせる巨大な建造物がありました。旧陸軍第四師団司令部庁舎を歴史博物館として利用していたとのことですが、2001年に新大阪城天守閣に大阪歴史博物館が開館したので、現在ではこちらは利用されていないそうです。

大阪大空襲にも破壊されなかった歴史的建造物です。

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(2015/04/22(水) 06:43)

 航空機事故相次ぐ
 昨2014年から本2015年にかけて世界各地で相次いで大型旅客機の事故が起こり、多数の人命が失われました。
亡くなられた方々のご冥福を深くお祈りいたします。

プレイパーク 2014年3月8日、クアラルンプールから中国北京に向かっていたマレーシア航空のボーイング777がタイランド湾上空で消息を絶ちました。
必死の捜査にもかかわらず、現在に至るまで同機の機体は発見されていません。

 同機の乗客乗員合わせて239名は死亡したと推測されます。

それから4ヶ月たった2014年7月17日、同じマレーシア航空のボーイング777がウクライナ東部上空を飛行中に何者かが発射したミサイルにより撃墜されました。この事故により、乗客乗員合わせて298名が死亡しました。事故の真相は、現在も調査中です。

プレイパーク 2014年7月23日、台湾から出発したトランスアジア航空のATR72(ターボプロップ型機)が澎湖島馬公空港で着陸に失敗し、乗客乗員合わせて49名が死亡しました。

プレイパーク 2014年7月24日にアフリカ西部からアルジェリアの首都アルジェへと向かっていた小型ジェット旅客機マクドネル・ダグラスMD-88が墜落し、乗客乗員合わせて116名が死亡しました。事故の原因は現在調査中です。

プレイパーク 2014年12月28日、ジャワ島からシンガポールに向かっていたエアアジア社のエアバスA320がジャワ海に墜落しました。この事故により、乗客乗員合わせて162名が死亡しました。当時の悪天候が事故の原因と推測されています。

 2015年2月4日、台北の空港から金門島に向けて出発したトランスアジア航空のATR72(ターボプロップ型機)が、離陸直後に両方のエンジンが停止し、空港近くの水路に墜落しました。この事故で、乗客乗員合わせて43名が死亡しました。
プレイパーク 2015年3月24日、バルセロナからドイツ・デュッセルドルフに向かっていたドイツ・ジャーマンウイングスのエアバスA320がフランス南東部のアルプス地方に墜落しました。
 なんと精神を病んだ副操縦士による意図的な操縦による墜落と推測されます。この事故により、乗客乗員合わせて150名が死亡しました。

さらに本年4月14日には、広島空港で韓国アシアナ航空のエアバスA320が着陸に失敗し、滑走路手前のレーダー設備を破壊した後、滑走路からそれて着陸した事故が発生しました。一歩間違えば、機体は大破炎上する恐れがあったということです。

これら痛ましい大事故の原因を究明し、しかるべき再発防止策を早く講じていただきたいと思います。


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(2015/04/20(月) 07:16)

 羽根木プレーパーク
プレイパーク 羽根木公園内、梅園と反対側のところに 「プレーパーク」 という子供たちの遊び場があります。緩やかな斜面に大きな樹木がまばらに立っている場所で、子供たちが自由に使えるようになっています。

こちらのボクちゃんたちは、立ち木の間に大きな網を張り、蟻地獄のように網の底からよじ登って遊んでいます。

プレイパーク皆様も、子供のころこのような原っぱで落とし穴を掘ったり、小屋を作ったり、木の枝にブランコを吊ったりして遊んだことがあったでしょう。

各プレーパークには常駐のリーダーがいて、父兄のボランティアとともに子供たちの原っぱ遊びを指導しています。その指導のもと、子供たちは遊び心を発揮して楽しんでいます。

プレイパーク プレーパーク内には、リーダーの指導で、ご覧のようにボランティアと子供たちが廃木材などを利用して高い台を作ったり、立ち木の間にロープを張ったりしています。

父兄たちが下からハラハラしながら見上げる中、子供たちは高い台によじ登ったり、立ち木の間に張り巡らしたロープを渡ったりしていました。

プレイパーク 公園内ではありますが、ここではプレイリーダーの監督のもと、焚き火をするのが認められています。子供たちの火いじりはほかでは厳禁ですが、ここではそれを体験できます。

今後、東京圏でも大地震など災害の脅威が高まるとされます。そのような事態に備えて子供たちに焚き火などを経験させるのも意味があるでしょう。

プレイパーク そばで見ていると、ほとんど子供がそれまで焚き火をしたことがないようです。
紙などを焚きつけて次に燃えやすい木の葉などをその上に乗せて火を大きくするという基本をまったく知りません。

ようやく焚き火ができたら、フライパンと鍋をのせ、野外料理にチャレンジです。この経験もいつか役に立つでしょう。

散策 | 固定リンク | トラックバック:0 | レス:0
(2015/04/18(土) 06:37)

 東本願寺・渉成園
渉成園 東本願寺のすぐ近くに京都の名園渉成園があります。渉成園は東本願寺の飛地境内地で、周囲にからたちが植えてあったことから枳殻邸(きこくてい)ともよばれており、国の名勝に指定されています。

JR京都駅から歩いて10分足らずという至便の地で、どの季節も名園の風光を愛でる参観者でにぎわっています

渉成園 2006年から、庭園施設の維持・保全のため、参観者に寄付金での協力を呼びかけています。500円以上の寄付をされた方には、渉成園ガイドブックが提供されます。

当園は東本願寺の歴代門首の隠居所でもあるとのことで、門を入ると住居風の建物があり、「大谷」の表札がかかっていました。

渉成園 行く手に大きな池が見えてきました。渉成園は、印月池という園池を中心とした池泉回遊式庭園になっています。

渉成園の広い庭園内には梅、桜、楓、藤などの銘木が多数配されていますが、私どもが行ったときはまだ遅咲きの紅梅が咲いており、早咲きの桜とともに来園者の目を引いていました。

渉成園 園内印月池の西南に面して、漱枕居(そうちんきょ)という小さな丸木柱造りの茶室がありました(左の写真)。渉成園内には、この漱枕居を含めて3つの茶室があるそうです。

漱枕居はご覧のように岸辺から半ば池に乗り出すように建てられており、かつてはここから小舟を出して舟遊びをしたということです。

渉成園 当園の中心印月池は、平安時代の初期に左大臣源融(みなもとのとおる)が造った別荘六条河原苑の遺構といわれます。源融は、嵯峨天皇の皇子で源氏物語の主人公光源氏のモデルとされる人です。

江戸時代の初め、三代将軍徳川家光によりこの印月池と周辺の土地が東本願寺に寄進されたということです。

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(2015/04/16(木) 07:16)

 世田谷区深沢散策
深沢散策 知らない人はいない漫画「サザエさん」の作者長谷川町子さんは、東急田園都市線桜新町駅近くの通りに住んでいました。その通りは現在では「サザエさん」通りと呼ばれます。

その縁で数年前の春、サザエさん一家の銅像が桜新町駅前に設置されました。以来、毎日ファンの方々がたくさん来て一家の写真を撮っています。

深沢散策 桜新町駅からサザエさん通りを抜けて深沢の住宅地に入ったところに、「無原罪の聖母宣教女会」派のカトリック修道院があります(左の写真)。

庭園はさほど広くありませんが、自然の湧水でできた池を中心にして昔の世田谷をしのばせる造りになっており、いかにもカトリック修道院らしい静かな空間です。

深沢散策 深沢の住宅地の中をさらに駒沢公園の方向に歩くと、駒沢通り沿いの深沢6丁目に医王寺というお寺があります。
江戸時代の初めに建立された由緒ある真言宗のお寺で、玉川八十八カ所霊場の第34番札所になっているそうです。

戦災にあい本堂などが焼失しましたが、昭和38年(1968年)に再建されました。

深沢散策 深沢の住宅地から抜けて駒沢通りに出たところに、日本体育大学という由緒ある体育系大学があります。
近年は、オリンピックの体育競技や新年の箱根駅伝などでめざましい活躍をしています。

日本体育大学は数年前に校舎を新築し、ご覧のように駒沢通りから堂々たるキャンパスをみることができます。

深沢散策医王寺の少し先に、華やかな造りの不動堂がありました。正しくは深沢不動教会といいますが、ふつう深沢不動という名で親しまれています。医王寺に昔からあった不動堂が、この深沢不動のルーツだそうです。
なにか、お不動様の縁の日なのか、狛犬に飾りのついた綱を張ってありました。春の青空を背景に、ピンクの飾りが風にそよいでいました。

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(2015/04/14(火) 06:58)

 桜開花・大阪城公園 (2)
大阪城公園 青屋門から入ってから、本丸の南側を大きく回って大阪城公園の南西の端に来ました。
この近くに大阪城の正門である大手門があり、そのすぐ内側に多聞櫓(たもんやぐら)という長屋形式の巨大な構造物が置かれています。

写真の大きな黒い門を通って、西の丸庭園に入りました。ここは有料で公開されています。

大阪城公園 西の丸は、本丸に次いで重要な場所とされ、太閤秀吉の死後秀吉の正妻北の政所(ねね)が住んだそうです。
その広大なスペースが、現在では公園として整備され西の丸庭園として公開されました。

庭園内では、大阪市民らしい方々、私どものような観光客のほかに、外国人観光客の姿もほうぼうで見かけました。

大阪城公園 西の丸庭園には600本あまりのソメイヨシノが植えられており、天守閣の景観もあいまって大阪きっての桜の名所になっています。

庭園内にはぼんぼりなど多数の照明設備があり、夕方からのライトアップによって西の丸庭園内の桜がまた昼間とは違う趣きで楽しめるということで人気を集めています。

 桜を見上げながら歩いていくと、広場いっぱいに桜が植えられたところがあり、それらの木の下にたくさんビニールシートが広げられていました。観桜ナイターに備えて場所取りをしているのでしょう。

ふと見ると、この場所に不似合いな背広・ネクタイ姿の若い男性が二人で地面にビニールシートを張ってピンのようなもので固定しています。
どうやら、会社の花見を夕方からここでするので、今からお二人でその場所取りをしているようです。

大阪城公園

大阪城公園 本丸の西側からお堀越しに天守閣の写真を撮影しました。
このあたりまで来ると、天守閣にかなり近付くので、ご覧のように一段と大阪城の存在感が大きくなります。

好天に恵まれて、大阪城公園内の桜は時間を追って開いているようで、みごとに咲いた桜越しの天守閣の姿に感銘をうけました。

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(2015/04/12(日) 16:35)

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