梅の花憩いのとききく日記・ブログ
人気ランキング
  >> ホーム
  >> RSS1.0
プロフィール

yuttari7

Author:yuttari7
FC2ブログへようこそ!

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

 新宿御苑 2月
 御苑の大温室から外に出ると、2月の冷たい風が吹き付けました。あわててコートの襟を合わせ、日向に出て歩き始めました。御苑の木々もこの時期にはほとんどが葉を落として冬ごもりの姿になっています。

この時期には御苑の中にある多数の建物がはっきりと見えるようになります。第二次大戦終戦前は、新宿御苑は一般には公開されておらず、皇族の行事や散策やスポーツの場として使われていました。内外の要人を迎えて、大温室の花々を楽しんでいただいたりしたそうです。

その際の休憩施設として、下の写真の御休所が建てられました。19世紀末のアメリカで流行したカントリーハウスの様式による、明るい木造洋館です。この建物は、平成13年のみどりの日から一般公開されるようになりました。

御苑休憩所

大温室 新宿御苑の中には広大な芝生広場がいくつもあります。
その一つの真ん中あたりまで歩いていって、周囲の冬景色をぐるりと見回しました。

さいわい晴天に恵まれ、広場の周りに立っている多数の巨木がよく見えました。左の写真の大樹は枝ぶりから見てケヤキでしょうか。冬空を圧するような存在感があります。

 下の写真は前記御休所のとなりにあったもので、環境省新宿御苑管理事務所という建物だそうです。
つい最近、この建物は既存の管理事務所を低環境負荷型の施設に改修されました。建物正面には透過型の太陽光発電パネルや太陽熱集熱器を設置し、さらに冷却レンガブロックによる自然の気化熱を利用した冷房も試みています。

御苑休憩所

大温室御苑創建時にはその周囲はほとんどなにもなかったそうです。その後新宿が副都心になって、御苑の周りは高層オフィスビルや大型マンションが多数建築されました。

こちらのビルの屋上には高い無線通信のアンテナが立っています。少し遠くにあるビルなので、早春のかすみのためか青みがかって見えました。

 新宿御苑内には昔からいくつかの茶亭が置かれていました。それらのうち「楽羽亭」は太平洋戦争の中で焼失しましたが、昭和62年に国民公園としての現代の新宿御苑にふさわしい設計で新築されました。
楽羽亭の前の道沿いには、秋になると見事な菊壇がしつらえられ、菊を鑑賞する皆さんで大いに賑わいます。

御苑休憩所

散策 | 固定リンク | トラックバック:0 | レス:0
(2015/02/27(金) 07:13)

 中川一政美術館へ
真鶴 ケープ真鶴に戻る崖道のそばにはスイセンがたくさん植えられており、私どもが行ったときはちょうど花盛りでした。
海中の名勝三ツ石をバックに、崖道のスイセンの花をパチリと撮影しました。

北陸の海岸からスイセンの花だよりが届きましたが、あの寒さ厳しい海岸でいち早く咲くとは元気なものです。

真鶴 早春の花くスイセンは、私どもに元気を与えてくれます。
ケープ真鶴に戻り展望台から大海原を見下ろすと、三ツ石と伊豆半島の間、はるか遠くに青くかすむ小島が見えました。熱海から東に10kmの相模灘にある初島です。

天気がよく海が静かなときは、ここから伊豆大島の島影が見えるということです。

真鶴早春の温暖な海岸の楽しさを満喫し、ケープ真鶴を後にして次の目的地中川一政美術館を目指しました。
その中川一政美術館にバスで行こうとバス停で調べると、ほんの少し前にバスが出てしまったのがわかりました。

美術館は、ケープ真鶴から歩いても20分ほどのところにあるそうです。

真鶴 そこで、真鶴半島の尾根道をのんびりと歩き出しました。

道筋はうっそうと繁った自然林ですが、その樹間からはるか下方に真鶴半島に打ち寄せる波が白く砕けるのが見えました(上の写真)。

温暖な真鶴半島のことで、道筋にはさまざまな潅木が茂っています。アオキの葉の間から赤い実が見えました。

真鶴 中川一政美術館が近くなったところに駐車場をかねた公園があったので、缶コーヒーを飲んで一休みしました。

公園は高台にあるので、その縁に立つと真鶴半島の海岸が広々と見渡せます。
そこに、終戦後間もなくのころの総理大臣片山哲さんが書いた「愛真鶴岬」の漢詩碑が立っていました。

散策 | 固定リンク | トラックバック:0 | レス:0
(2015/02/25(水) 06:55)

 王子神社
王子神社 JR王子駅前にある音無親水公園の北側に王子神社という神社があります。JR王子駅から歩いて3分のところです。

同神社の言い伝えでは創建は平安中期11世紀、源義家が奥州征伐に向かったころとされています。14世紀には紀州熊野三社から王子大神を勧請し、「王子神社」と呼ばれるようになりました。

王子神社 由緒ある当神社の境内には昔から巨木が生い茂っており、「太田道灌雨宿りの椎」という樹もあったそうですが、残念ながら戦災で焼失しました。

ただひとつ残ったのが、左の写真の「王子神社のイチョウ」です。1923年(大正12年)に行われた実測では、目通り幹囲は6mを超え、高さは20m近くであったということです。
このイチョウは現在東京都の天然記念物に指定されています。

 戦国時代に関東を支配下に治めた北条氏は、当神社を篤く崇敬し、朱印状を授与して当神社の社領を安堵しました。

その後江戸時代を開いた徳川家康公は、当神社に朱印地二百石を寄進し、将軍家祈願所と定めました。それ以降、当神社は歴代の将軍の崇敬を得て「王子権現」の名称で江戸名所の1つとなりました。

昭和20年(1945年)、 戦災で当神社の社殿は焼け落ちました。その後、昭和39年、昭和57年の二回の造営により黒漆塗りに金箔をほどこした権現造りの社殿が再建されました。

王子神社

王子神社 王子神社の境内には「関神社」という末社があります。 百人一首で知られる蝉丸公を祭神としています。
蝉丸公は姉君のために「かもじ・かつら」を考案したということから、「音曲諸芸道の神」、「髪の祖神」と崇敬を集めているということです。
関神社には理容業関係者や床山などの皆さんがよく参拝にくるそうです。

散策 | 固定リンク | トラックバック:0 | レス:0
(2015/02/23(月) 07:31)

copyright © 2005 憩いのとき all rights reserved.
Powered by FC2ブログ. / PHPウェブログシステム3 / ネットマニア