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 次太夫堀公園・昔の酒屋
 世田谷区の西端、野川のほとり喜多見3丁目に区立次太夫堀公園があります。園内には昔の民家がいくつか集められていますが、下の写真の建物は、やはりこの地にあった旧城田家の主屋だそうです。

酒屋 その建物の道路に面したほうに「さかや」の看板が出ていました(左の写真)。

昔の田舎には、このような半農半商の家がよくありました。
私の生まれ故郷(千葉県九十九里地方)では実家の近くに土地の人に「油屋」と呼ばれた家がありましたが、これは昔その家が油屋を兼営していた名残だったのでしょう。

酒屋この建物に入ると土間には酒の甕(かめ)や大徳利などがたくさん並べられており、上がり框には帳場らしいものも置かれています。

お酒の需要は昔も今もそれほど変わりません。明治時代ごろの農村にもこのような酒屋がほうぼうにあって、土地のお酒好きの皆さんのお役にたっていたのでしょう。

酒屋 家の中には、酒樽、徳利、升などの商売道具が置かれてありました(下の写真左)。
写真の左端は酒樽から酒をくみ出して徳利などに分ける道具のようで、たしか私も子供のころ町の酒屋で見たことがありました。
あまりリッチではないお客は、自分の家から小さな徳利をここに持ってきてその日に飲む分のお酒を買い求めたのです。

酒屋 家の中には甕(かめ)が多数あり、その横には漆を塗った流しのようなものもありました。
ここで酒を小分けしたのでしょうか(左の写真)。

家の奥のほうには、当時の商家で使われた生活道具がたくさん展示されていました。
床の間には行灯(あんどん)が置かれてあり、その前には小さな書机がありました。


散策 | 固定リンク | トラックバック:0 | レス:0
(2014/11/28(金) 06:51)

 神社の秋祭り (2)
神社の秋祭り 私どもの近所に昔の世田谷村の鎮守さまを思わせる素朴な神社があります。私もこの神社の氏子になっています。

この神社は例年10月半ば、体育の日の前後に秋の例大祭を行っています。

こんな小さな神社のお祭りにもかなりの数の露店が出ており、近所の子供たちが集まって露店めぐりをしていました。

神社には舞台があり、例大祭のときはさまざまな演芸が奉納されます。

先ほどまで神社のお神輿が街に繰り出していましたが、その後ろについて車の中で演奏していた祭ばやしのグループが、今度は舞台に上がり、笛太鼓、音曲でにぎやかに演芸をはじめました(下の写真)。

神社の秋祭り

次いで、若者中心の和太鼓のグループが舞台に登場しました。そろいのはっぴで舞台の前にずらりと並び、掛け声勇ましくいっせいに大太鼓を打ち鳴らし始めました(下の写真)。

このグループは世田谷のこの地区に本拠があるらしく、いつか近くの馬事公苑で行われたイベントにも出演したのを見かけました。

神社の秋祭り

神社の秋祭り次はこの街にある日本舞踊教室の皆さんが出てきました(左の写真)。出演された皆さんは、かなり年期が入っているようでなかなかの踊りでした。

この祭りでは、少女たちの日本舞踊を上演することもありますが、そちらも可愛らしく見ていて楽しいものです。やはり神社の秋祭りとあれば、日本舞踊はつき物なのでしょう。

最後は、熟年男性中心のカントリーミュージックのバンドです。この人たちは毎年この祭りの舞台に出ているので、この土地では有名なグループのようです(下の写真)。

ボーカルの男性はもう70歳に近いのではないかと思われますが、まだまだ元気な声を張り上げて熱演していました。

神社の秋祭り


季節・年中行事 | 固定リンク | トラックバック:0 | レス:0
(2014/11/27(木) 07:02)

 原爆ドーム・平和公園
 このたび所用で広島を訪れたので、仕事が終わってからさっそく原爆ドームに向かいました。原爆ドームの前でお祈りをした後、川に沿ってさらに南側に行くと、五重構造の高い慰霊塔がありました。

平和公園 当時、広島市内で多数の学生・生徒が働いていましたが、そのうち女子生徒多数を含む6000余人が被爆死しました。それらを悼んで、1967年に広島県動員学徒犠牲者の会によってこの動員学徒慰霊塔が建立されました。

慰霊塔は、高さ12mの巨大な鉄骨建築で、有田焼の陶板で仕上げられています。

平和公園太田川のほとり、原爆の爆心直下にあたる地点に平和記念公園が開設されました。

公園の中央に、原爆死没者慰霊碑があります。U字形の慰霊碑の前に立つと、慰霊碑の屋根の下から遠くに《平和の灯》の炎が揺らいでいるのが見えました。そのはるか先に原爆ドームが澄んだ秋空をバックに立っていました。

平和公園 園内には上記の原爆死没者慰霊碑をはじめ、広島平和記念資料館やモニュメントなど多数の建物、施設があります。

写真は、屋根の上に 《原爆の子の像》 が置かれているお堂で、2歳の時に被爆した女性が10年後に原爆による白血病で亡くなったのを悼み、全国から寄せられた募金で建立されたとのことです。

平和公園 平和公園の中には 「原爆の子の像」 という彫像がありますが、その下には有名な千羽鶴を飾る場所があります。

世界各地から平和やの願いをこめて毎年多数の千羽鶴がここに送られてきます。

その量はなんど年間10トンにもなるということで、やむを得ず、毎年供養の上で焼却しているそうです。


国内旅行 | 固定リンク | トラックバック:0 | レス:0
(2014/11/25(火) 07:14)

 次太夫堀公園の名主屋敷
名主屋敷 世田谷区の西端、野川のほとり喜多見3丁目に区立次太夫堀公園があります。

民家園の中には屋敷門を持ち、回りに塀をめぐらした立派な建物があります。これは、喜多見にあった江戸時代の名主の屋敷を移築したものです。

名主とは、郡奉行や代官のもとで村落の長として村政を統轄した役人だそうです。

名主屋敷名主は代々村の中に構えた屋敷に住み、領主側と百姓側の接点を勤めました。

名主屋敷の門(上の写真)から入るとすぐ、さすがに名主屋敷らしくしっかりとした造りの土蔵が見えました。土蔵の厚い壁は漆喰で塗り固められており、周囲で火災が起こっても熱は内部まで伝わらず収蔵した品々を守りました。

現在は、この土蔵の中には当時の村の生活に実際に使用された各種の民具がたくさん集められて展示されています。

門から広場を隔てて、大きな母屋がありました(下の写真)。玄関には式台がついており、園内のわらぶき農家とは格の違いを感じさせます。

母屋のいくつかの部屋には、機織機(はたおりき)が置いてありました。また、建物の屋根には囲炉裏からの煙を屋根裏に通す煙り出しの小屋根がついており、その時代には養蚕が行われていたのがわかります。

名主屋敷

名主屋敷左の写真は、この建物の中にあった機織機です。これらは綿糸から布を織るのに使うもので、そのための綿糸はこの地の畠で栽培した綿花からつむいだとのことです。その糸をつむぐ様子も、この建物の中に展示されていました。

当時はこのようにして村単位の自給自足に近い生活をしていたのでしょう。

散策 | 固定リンク | トラックバック:0 | レス:0
(2014/11/16(日) 06:21)

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