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 東京五輪を自転車で
谷垣さん 現在自民党の幹事長をしている谷垣禎一さんは、自転車好きの間では大変有名なヴェテランのサイクリストです。

谷垣さんの自宅の天井からは、10台もの高級自転車が吊られているそうです。しかし公務多忙でなかなか自転車で走るひまがないとか。左の写真は国会議事堂の前で愛用のバイクに乗った姿です。

 谷垣さんは現在68歳だそうですが、サイクリングのおかげで大変スリムなスタイルで風貌も引き締まっていますね。

さて、その谷垣さんが2020年開催予定の東京オリンピックに合わせた 「自転車特区」 構想を提言しました。

東京オリンピックコンパクトでエコロジカルなオリンピックを目指すからには、東京の都市交通を改革する必要がある。その際に自転車は交通大改革の主役になることができるとしています。

2020年東京五輪・パラリンピックの競技会場となる東京・お台場を 「自転車特区」 に指定し、未来を見据えた新交通システムの実験場にしようと提言しました。

 「都市の渋滞や排ガスは非常に大きな問題だ。自転車レーンやシェアサイクルを運用して自転車をもっと利用しやすくし、一種の交通インフラにすることで、公益の役割を担わせることができるのではないか」と述べていました。

ここで大いに参考になるのが前回のオリンピック開催地ロンドンの取り組みです。ロンドンはオリンピック開催が決まった2005年からオランダやドイツなどに比べて大きく遅れていた自転車施策に「気合いを入れて」取り組み、7年間をかけて五輪開催時までに市内に12本の「自転車スーパーハイウェイ」を通し、6,000台のシェアバイクを配置しました。

その結果、自転車の普及率は毎年10%ずつ増え、人口600万人の都市を「自転車シティ」に生まれ変わらせました。そして、ロンドンは見事に世界に誇れるエコ五輪を成功させました。

2020年に五輪を開催する東京は当然それを見習うべきでしょう。

ロンドン・ライド

徹底した安全策を 2009年11月15日朝、谷垣さんは、多摩川沿いの遊歩道でサイクリング中に対向してきた自転車との衝突事故で転倒し、顔面左目近くを縫う­けがをしました。幸いにも、相手の自転車のサイクリストはけががなくて済んだそうです。

谷垣さんほどのヴェテランサイクリストでも、このような事故にあうこともあります。

 現在の日本は8000万台以上の自転車が走り回っており、中国、米国に次ぐ世界第三位の自転車大国です。

ところがその日本は先進国の中で自転車事故が一位で、警察庁の調べによるとこの10年間で5倍以上も増えたそうです。

谷垣さんには、ぜひ自分の事故の経験をもとに、サイクリングの安全を徹底して追及する施策を推進していただきたいと思います。

ニュース | 固定リンク | トラックバック:0 | レス:0
(2014/10/31(金) 06:52)

 富士山は噴火する?
 日本を代表する高山富士山は、2013年6月には世界文化遺産に登録され、一段と世界に知られることになりました。その富士山は最近の研究で現在も活動する可能性が大きいのがわかりました。

富士山 富士山のもっとも新しい噴火は1707年、江戸時代の宝永4年のことです。噴火は2ヶ月間にわたり、2回の大爆発などで当時の江戸をはじめ各地で大きな災害となりました。

その後は富士山は噴火など大きな活動はしていませんが、明治23年4月、昭和14年10月には、富士山で地震が群発したということです。

富士山 富士山は、左の地図に見られるように、東京の西南西わずか100kmほどの交通要衝の地に位置しています。

現在私どもが仰ぎ見ている富士の山容は、約1万年前から噴火活動を開始した新富士火山というものだそうです。
富士山は、少なくとも地質学的には最近できたばかりの「若い火山」なのです。

浅間牧場 東日本大震災とその後静岡県東部で起きたM6.4の地震により、富士山のマグマ溜まりに噴火を起こしかねない大きな圧力がかかったそうです。

富士山地下の低周波地震の震源は以前は地下10数kmから20kmぐらいにありましたが、東日本大震災後は地下数kmのところまで上昇してきているということです。

富士山 日本のみならず世界中から登山者が集まる富士山には、避難所や避難シェルターなどが多数設けられています。
スバルライン(富士吉田)口側には、登山道に1つ、下山道に3つのシェルターがあります。

しかし、これらは落石よけのために作られたもので、噴石を避けるには強度が十分ではないということです。

 浅間山、阿蘇山などにある本格的な避難用シェルターは富士山にはありません。今後登山者がさらに飛躍的に増加すると思われる富士山には、噴石を避けるシェルターがぜひ必要になるでしょう。

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(2014/10/29(水) 06:36)

 軽井沢・白糸の滝
 浅間山鬼押出しの景観を見てから、北軽井沢のペンションで一泊しました。翌朝、ペンションの近くのバス停浅間牧場で路線バスに乗り、軽井沢の水の名所白糸の滝を目指しました。

白糸の滝白糸の滝は、左の地図に見られるように、草津町と軽井沢町の中間にあります。このあたりは浅間山から直線距離で7kmほどで、広大な浅間山麓に降った雨が伏流水となり、滝として地表に現れます。

浅間牧場バス停で路線バスに乗って、20分ほど山道を下って行くと白糸の滝下のバス停に着きました。

白糸の滝 道路の脇には、白糸の滝から出た水が岩をかむような勢いで流れ下っています。この渓流は湯川という川の源流の一つになり、その湯川はやがて千曲川に合流するそうです。

この日は幸い好天に恵まれ、真っ白にあわ立って流れ下る渓流に沿って、上流の白糸の滝に向かって渓流の冷気を楽しみつつゆっくりと歩きました。

 渓流沿いの山道を登っているうちに、次第に水の流れる音が大きくなってきました。渓流に沿った崖のいたるところから水がほとばしり出て、レースのカーテンのように白く崖を覆いながら下の渓流に流れ落ちています(下の写真)。

太古から繰り返し起こってきた浅間山の噴火のせいでしょうか、水を通さない地層が何層もできて、それらの間の透水層から伏流水が噴き出しているとのことです。

しばらく渓流の岸に立って、風を涼みながら、はじめて見る不思議な水の芸術に見とれていました。

白糸の滝

 山道をさらに登って行くと、急に目の前が大きく開けて陽の光がまぶしく差し込む空間に出ました。手前には池のように静かな水がたたえられており、その奥にはオペラハウスの舞台のように半円形の黒い岩の崖がめぐらされています(下の写真)。

その崖の最上部からは、さきほどの崖とおなじく白いレースのカーテンのように水の糸が無数にほとばしり出ています。これが軽井沢の名勝の一つ、白糸の滝です。

普通の滝は上流から川が流れてきて滝の断崖から落下するのですが、この滝は透水層から水が噴きだしてくるので、滝の上には草木が生い茂っています。滝の音もそれほど大きくなく、滝というよりは噴水のような趣きがありました。

白糸の滝



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(2014/10/28(火) 06:38)

 PC・デジタルカメラが売れない
 マイクロソフト社が2014年にWindows XPの技術サポートを終了したことから、利用者はその前にいっせいにWindows 7 など新しいOSを搭載したパソコンに移行しました。
その結果、個人向けのパソコンは一昨年度年間の出荷台数が789万台と過去最高となりました。しかし昨年度は、その反動が出てパソコンの年間出荷台数は減少に向かいました。

パソコン 民間の調査会社MM総研によると、本年4月から半年間の集計では国内での個人向けパソコンの出荷台数は255万台で、前年の同じ期間に比べて30%減少しました。

ここまでWindows XPパソコンを使ってきた人が多いことからわかるように、通常の用途では古いパソコンでも十分こなせる力をもっています。

タブレット端末最近ではスマートフォンやタブレット端末が普及し、出荷台数は2014年内にスマートフォンが10億台を超え、2017年にはタブレットが5億台にのぼるという予測もあります。

インターネットのメールをチェックするとかウェブサイトを閲覧するのが主体の利用者は、次第にパソコンを使わなくなってきているそうです。

スマートフォン また海外の景気低迷やスマートフォンの普及の影響で世界のデジタルカメラ市場が大幅に縮小しています。

デジタルカメラ世界第2位のニコンが発表した本年4月から6月までのデジカメ部門の売り上げは1347億円にとどまり、前の年の同じ時期を28%下回りました。

世田谷の農地 特に、コンパクトデジタルカメラと呼ばれる小型低価格のカメラは、スマートフォンともろに競合することになり、売上が大幅に落ち込んでいます。

スマートフォンでは撮った写真をその場でメールに添付して送信したり、twitter や FaceBook などのSNSに掲載ができるなどの利便性があり、利用者にうけています。

 パソコンについては、これまではマイクロソフト社が新しいOSを発表するたびにパソコンを買い換えてきた熱心な利用者が多かったのですが、今後は普通の家電製品と同じように「壊れたら買う」という需要が中心になりそうです。

パソコンと並んで IT 産業を牽引してきたトデジタルカメラについては、今後はコンパクトデジタルカメラというジャンルは大幅に減少し、メーカーはデジタル一眼レフなど高級機種を推進して行くことになるでしょう。

I T・エネルギー | 固定リンク | トラックバック:0 | レス:0
(2014/10/26(日) 06:59)

 広島城址
 数年前の秋、所用ではじめて広島市を訪れました。泊まったビジネスホテルのマネージャーが近くに広島城があると教えてくれたので、仕事の相間に行ってみました。
ホテルから15分ほど歩くと、太い街路の北の方向に、中国山脈でしょうか山並みが見えてきました。その方向にさらに歩いて行くと、突然視界が開けて、道路の向こう側に城楼の屋根が見えてきました。

広島城址 戦国時代の末期に作られた広島城は、山岳地帯ではなく平地に建てられた「平城」でした。そのため、現在ではこのように市街地の中になってしまったのです。

さらに近寄ってみると、ご覧のように城楼はしっかりとした高い石垣の上に建てられており、その下には幅広い立派なお堀がめぐらされていました。

広島城址 安芸広島城は、1590(天正18)年に毛利輝元によって建てられました。秀吉の聚楽第をまねたといわれる壮大な城構で、特に天守閣は安定感のある五重五階で桃山建築の粋とされました。

現在では天守閣や上記の城楼など一部が復元されています。その他の広大な城地は公園となっています。

広島城址 広島城は、その後度重なる戦乱にも大きな被害を受けることもなく生き残り、明治維新以降はここに陸軍の大本営が置かれていました。

1945年8月、広島城天守閣は原爆の直撃にあい、一度ふわっと浮き上がってから一挙に崩壊したそうです。石垣の一部には原爆で焼けただれた跡が残っているとのことです。

1952(昭和32)年に大天守部分のみが外観復興されて、現在では広島城資料館として利用されています。広島城築城の経緯、江戸期の武士の生活や城下町のくらし、武具、広島の歴史や文化などにかかわる様々な企画展示を行っています。

天守閣は、城地の西北端の最も高いところにあり、幅広いお堀を見下ろしています。私どもが行ったのは10月末で、お堀の強い風が黄ばみかけた桜の葉を抜けて天守閣に向かって吹き上げていました。

広島城址


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(2014/10/25(土) 06:50)

 浅間・鬼押し出し (2)
 浅間鬼押出しの遊歩道は何本かありますが、私どもが歩いた奥の院参道コースは長さ1200m、所要時間は約30分です。

鬼押し出し 遊歩道を少し南側に下がったところに、「炎観音」を祀ったお堂があります。天明の大噴火で亡くなった多数の人々の霊を慰めるためのお堂です。

お堂の奥、溶岩の崖の際に、石造りの炎観音像がありました。私どももこのお堂の綱を引いて大鈴を鳴らし、200年前に亡くなった人々にお祈りをささげました。

鬼押し出し  お休み処の近くの小高いところに、大きな鐘をつるした鐘つき堂がありました。これもやはり、浅間の大噴火の犠牲者を供養するものです。
この鐘は自由につけるとのことなので、私どももお堂に上がって搗かせていただきました。重い鐘の音が溶岩高原に拡がるのに聴き入りました。

鬼押し出し 橋の向こうに、浅間山観音堂が建てられています。この観音堂も天明大噴火の犠牲者を供養するものだそうです。
この観音堂は、東京・上野にある寛永寺の浅間別院という位置づけにあるということです。寛永寺にあった聖観世音菩薩が、この観音堂のご本尊としてまつられています。

鬼押し出し 天明当時の人々は、浅間火口で鬼が暴れたために岩の塊が押出されたと考えたそうです。鬼押出し園の中には、方々に左の写真のような鬼の人形が置かれてあります。
よく見ると、なかなか可愛い顔をしていますね。手に持っている棍棒に「家内安全」と書かれているのが愉快です。

鬼押し出し 鬼押出し園の中を一通り見て外に出たころから、空模様がかなり怪しくなってきました。2500メートルを越える高山は天気の変化が激しいようです。

振り返ると、鬼押出しの上空には黒い雲が立ち込め、そこから竜巻のような黒雲が地面に向かって伸びていました。

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(2014/10/23(木) 06:35)

 世田谷の農地 (3)
世田谷の農地 環状8号線の近くの住宅地で、かなり広い農地を見つけました。半分ぐらいを植木に使っており、残りを畑とビニールハウスにしているようです。

左の写真の老人が先代のご主人で、現在は息子さんが経営しているとのことです。畑で採れた野菜などは、ほとんど家の門のところで近隣の皆さんに販売しているそうです。

世田谷の農地世田谷の農家は、現在はこのように農と植木屋の兼営をしているところが多いようです。

畑の真ん中に大きな四角い井戸がありました。木の蓋がしてあって、その上にやはり木製のつるべが置いてありました。井戸の上には簡単な屋根が作ってあり、その下にはとうもろこしを乾燥したものなどを吊るしてありました。

浅間牧場 私は千葉県の田舎で生まれましたが、その地でも畑の中にこのような井戸が作られていたのを思い出しました。

井戸の横には手押し式の井戸ポンプがありました。家庭用のポンプより大型のものですが、かなり年期が入っていました。

東京で万一大地震が起こったときは、ここにくれば水を分けてもらえると思いました。

世田谷の農地 この農家では大きな角を持つオスヤギを飼っていました。

私も昔千葉の田舎にいたころヤギを飼っていました。ヤギは非常に食欲が旺盛で、野原で長い綱をつけてつないでおくと、動ける範囲の草をすべて食べつくしてしまいます。
この農家でも畑の草や野菜くずなどをこのヤギに食べさせているのでしょうか。

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(2014/10/22(水) 06:47)

 上野・不忍池
不忍池 不忍池(しのばずのいけ)は、上野公園の隣にあり、JR上野駅(しのばず口)から徒歩5分です。この一帯はかつては東京湾の一部でしたが、まわりが埋め立てられ、この池だけが残ったということです。

不忍池はこの界隈で貴重なオアシスとなっており、昔から下町庶民の憩いの場として親しまれてきました。

不忍池昔の不忍池はかなり大きかったということですが、次第に埋め立てられ、現在は周囲2Kmの池となっています。

一部が上野水上動物園として利用されており、残りはボート池、蓮池に区分されています。

池の蓮も水草も、次第に枯れて秋色が濃くなってきました。ボート池にも夏場の賑わいはなく、閑散としていました。

不忍池 上野公園下の不忍通りから池之端に出て、池の中央にある弁天島へ散歩道で渡ることができます。

弁天島には弁天堂があり、谷中七福神の一つである弁財天が祀られています。

弁財天は、もとは弁才天というインドにルーツのある水の神様で、芸術と技芸の神様でもあったそうです。

弁才天は、そのうちに弁財天と書いて商売繁盛の神様も兼ねるようになりました。この辺は、かなりてきとーなものですね(^_^)。以降、弁財天は江戸の商人たちの信仰も集めて現在に至っています。

お堂のまわりには、楽器の琵琶の形をした碑や琴の検校の碑などがたくさんあります。下の写真で左側が琴の八橋検校の碑、中央が日本舞踊の扇塚、右側が三味線家元の碑だそうです。現在でも、芸能界や花柳界の方々がここによくお参りに来るとのことです。

不忍池


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(2014/10/20(月) 11:03)

 世田谷の農地 (2)
 私は日ごろ健康維持のために環状8号線道路内外を中心に世田谷の各地を広く歩き回っています。そのあたりには田園を思わせる緑と水辺が残っており、季節に応じて変る表情が人の心を和ませます。

世田谷の農地

世田谷の農地 散歩をしているうちに、思わぬところで広大な農地を見かけることがあります。

上の写真の農地では、広い畑の隅々まで使って各種の夏野菜を栽培していました。
畑のすぐ外は住宅地で、大きなマンションなどが立ち並んでいます。畑で採れた野菜を畑の横の道路端に設けた小屋に並べて販売していました。

世田谷の農地野菜はどれも朝採りで鮮度がすばらしいので、飛ぶように売れてしまいます。

環状8号線の外側の畑でそばを栽培しているのを見つけました。そばは広い畑を必要とするので、東京ではほどんど見ることはありません。
かなり前のことですが、この近くで赤い花の咲くそばを栽培しているのを見かけました。

世田谷の農地 こちらの畑では、今年になってからブルーベリーを栽培し始めたということです。まだ木が小さいですが、来年は少し成るだろうといっていました。

世田谷の畑では、キウイやイチジクなどを栽培しているのもよく見ます。やはり大都会の高い地価の畑で栽培しているので、なるべく単価の高い作物を植えているのでしょう。

 
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(2014/10/19(日) 06:59)

 浅間・鬼押し出し
鬼押し出し 自動車でしばらく西に向かって走ると、行く手に浅間の巨大な山容が見えてきました。
残念ながら山頂には厚い雲がかかっていましたが、2560メートルの高山なので、雲がかかることが多いそうです。

浅間山は天明3年(1783年)に大噴火を起こし、流れ出た大量の溶岩が岩のかたまりとなって斜面を埋めました。

 浅間山の北の山麓を走る浅間ハイウェイ沿いにある鬼押出し園は、その溶岩原野に造成した観光公園です、

売店で買った冷たいお茶を飲みながら、園内の遊歩道を歩き始めました。園内の遊歩道にもさまざまなコースがありますが、私どもは「奥の院参道コース(1200m)」を歩きました。

見渡すかぎりの溶岩原野の中に、ところどころ赤い神社のような建物が見えました。やはり、浅間山の大噴火以来の歴史を感じます。

鬼押し出し

鬼押し出し 遊歩道の両側には、ありとあらゆる形をした奇岩が折り重なるように続いていますが、それらの間からいろいろな植物が健気に顔を出しています。

左は溶岩を割って生えてきた「石割の松」という名の松で、樹齢は約80年にもなっているそうです。このような植物が長い年月をかけ溶岩原野を森林に変えて行くのでしょう。

 天明3年(1783年)の大噴火では、溶岩流と火砕流が発生し、北側に流下しました。それにより、現在の群馬県側に幅3km、長さ12kmの溶岩原野ができました。当時は、これは浅間火口で鬼が暴れたためとされ、溶岩原野を鬼の押出しと呼びました。

鬼押出しの遊歩道はその溶岩原野に造ったもので、もっとも長いコースは2.7kmもあります。私どもが歩いた奥の院参道コースは長さ1200m、所要時間は約30分です。

鬼押し出し

鬼押し出し 溶岩原野には小さいビルくらいの溶岩のかたまりがごろごろとしており、長い年月の間にそれらからおもわず声をあげるような景観が生まれました。

気がつくと、小鳥のさえずりが聞こえません。火山性のガスで小鳥が寄り付かないのでしょうか。小鳥がいないせいか、いたるところにバッタが翔びまわっていました。


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(2014/10/17(金) 08:00)

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