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 北軽井沢散策(2)
 北軽井沢のバス停前にあった貸し自転車屋で自転車を借りましたが、そのとき貸し自転車屋のおやじさんがこの土地で評判のよいそば屋があると話していました。
北軽井沢のほうぼうを走ってお腹がすいたので、そのそば屋に立ち寄り、野菜天ぷらそばとビールでゆっくりと食事をしました。

北軽井沢北軽井沢は標高は草津とほぼ同じで1100メートルを超える高所にあります。

当日は晴れて日差しは強かったのですが、自転車でほうぼうを走り回っても汗をかくことはなく大変さわやかでした。

あたりにはすでに秋の気配がただよっており、途中で見かけた池の水面には赤とんぼが盛んに飛びかっていました。

北軽井沢は、もともと太古に浅間山の火山灰が降り積もったところで概して水が少なく、大きな川はありません。
下の写真のような広葉樹の森林が方々で見られましたが、それらは草津白根山麓の樹林とよく似ているようにおもわれます。大昔は、このような森林が北軽井沢全域を覆っていたのでしょう。

北軽井沢

この地域から少し浅間山の山腹を登ったところには天然のカラマツ林が広がっています。カラマツは日本特産の落葉針葉樹で、浅間山の天然カラマツの種から苗木がつくられ、各地へ植林されているそうです。

北軽井沢もともと森林が少なかった北軽井沢一帯は、大雨が降ると浅間山からの出水で土砂崩れなどの災害に見舞われることが多かったということです。

第二次大戦後、北軽井沢、軽井沢には盛んにカラマツが植林された結果、災害も少なくなったそうです。今では軽井沢の林のほとんどがカラマツの人工林で占められています。

北軽井沢の町に近くなったところで、古色のついたお堂を見つけました。近寄ると、お堂の前にたくさんの石造りの観音像が並べられています。六里ヶ原観音堂と呼ばれるお堂だそうです。

江戸中期、天明の浅間山の大噴火により、当時六里ヶ原と呼ばれた浅間北麓は交通の難所となってしまったそうです。そこで、道案内のための基点観音と99体の道しるべ観音が設置されました。現在ではそれらが皆この場所に集められたとのことです。

北軽井沢


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(2014/09/29(月) 16:53)

 北軽井沢散策
 草津のホテルをチェックアウトして草津町バス発着センターに行き、JRの軽井沢行き路線バスに乗って南の方向に移動します。

草津から軽井沢まで、直行すれば56分のバス行程ですが、今回はその中ほどにある北軽井沢で下車し、その界隈のひなびた風光を愛でることにしました。

北軽井沢

 北軽井沢は、北に草津白根山、南西に浅間山を望む風光明媚な高原地帯です。標高は1100m以上もあり、夏は大変涼しいですが冬は最低気温がマイナス20度以下になるそうです。

軽井沢町は、外国人や実業家の別荘地から次第に発展し、現在では大規模な商業施設を持つにぎやかなリゾートとなりました。それに対し、北軽井沢は学者、大学関係者などの村から出発したとのことで、現在でもひなびた別荘村の雰囲気があります。

バス停の前にあった貸し自転車屋で自転車を借りて、北軽井沢の高原に向かいました。

北軽井沢途中のある家で道を訊いたところ、その庭先でふとなにか魚を焼いているよい匂いがするのに気がつきました。

見ると、ちょうどお昼時だったので、岩魚と思われる魚をたくさん串にさして炭火で焼いています。牧場から自動車で3、40分ほども走ると深い沢があり、このような立派な岩魚がたくさん採れるのだそうです。

北軽井沢では、ところどころで下の写真のような沼や用水池を見かけました。浅間山の火山灰が降り積もったところで概して水が少ないので、このような池が必要なんでしょう。

池の周りを歩くと、蛍のすみかの泡が草葉のうらにたくさん付いていました。夜は蛍が乱舞してすばらしい景観になるでしょう。

標高1100メートルを超える高原なので、あたりにはすでに秋の気配がただよっており、池の水面には赤とんぼが盛んに飛びかっていました。

北軽井沢


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(2014/09/28(日) 10:41)

 箱根湿生花園(2)
 箱根湿生花園内にはかなり広い池がほうぼうにあり、太古からの湿原の魚類や水生昆虫などを観察することができます。
ここでは蝶などの昆虫をはじめ動物はすべて採取・捕獲が禁止されているので、クロアゲハなどが安心して人の近くに飛び回っていました。

箱根湿生花園

箱根湿生花園箱根湿生花園には大きな温室がありますが、その温室はたくさんの種類の食虫植物をそろえているのでも有名です。

左の写真は、ウツボカズラというスマトラなどの熱帯地方原産の食虫植物だそうです。
垂れ下がった葉の先が伸びてその先端が膨らんで袋状になりますが、その袋の中から蜜が分泌されます。

虫がその蜜に引き寄せられて集まり、袋の中に入るともう出ることができず、やがて袋の中の水に落ちるという仕掛けになっています。

そのほかに、モウセンゴケなど葉からねばねばした液体を分泌して虫をとらえる酒類の食虫植物も栽培されています。

湿生花園南側には、昔の仙石原湿原植生をよみがえらすために設けられた復元区があります。ここでは、17年前から毎年年明け早々に野火が放たれてきました。それにより、乾燥化が進んだ草原に、しだいに昔のように湿生植物が復活してきました。

現在では、下の写真のようにノハナショウブやオミナエシが咲き乱れるようになり、その下にはミズゴケ、モウセンゴケが増加しつつあるそうです。復元区の中にも遊歩道がつくられ、昔からの湿原の植生が観察できるようになっています。

箱根湿生花園


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(2014/09/27(土) 10:16)

 箱根湿生花園
 現在の箱根芦ノ湖の北には、5000年ほど前までは大きな湖があったそうです。その後、その一帯で乾燥化が進んで現在の仙石原ができましたが、昔の湖の名残で方々に湿原があります。

その中の仙石原湿原植物群落は、昭和9年に国の天然記念物に指定されました。面積が17ヘクタールもある広大な湿原です。

箱根湿生花園その一角が箱根町によって整備され、「箱根湿生花園」として公開されています。
これは、日本で初めての湿原植物園だそうです。
旅館からバスでポーラ美術館に行った帰りに、この箱根湿生花園を訪れました。

箱根火山の最高峰神山(かみやま)は、数万年前の噴火の際、大きな湖水をつくりました。

箱根湿生花園その湖水が干上がってできた高原仙石原は、かなり標高があるため、高山性の湿生植物の宝庫となりました。

箱根湿生花園には、仙石原の湿生植物の他に、日本の各地に点在している湿地帯の植物200種、草原や林、高山植物1100種が集められました。
さらに、珍しい外国の山草も集められました。

現在では園内に合計約1700種の植物があるそうです。園内はよく整備されていて、写真のような幅広い木道で園内のすみずみまで歩き回ることができます。
園路は、低地から高山へ、初期の湿原から発達した湿原へと順に植物を見てまわるようになっています。

箱根湿生花園

木道は幅が広く平坦なため、車椅子でも安心して通ることができます。園内で、車椅子を付き添いの方が押して歩く姿を目にしました。
箱根も、最近は温泉地というよりは総合保養リゾートというイメージが強くなりました。

湿生花園内部には、仙石原湿原の原風景を思わせる広い沼がそのままで残されています。沼にはあし、ホテイアオイなど水草が生い茂り、池面はヒツジグサなどの浮き草で覆われています。
標高700mの高原の秋は早く、あたりには色鮮やかな赤とんぼがさかんに飛び交っていました。

箱根湿生花園


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(2014/09/25(木) 22:31)

 里神楽 / 世田谷八幡
里神楽 私どもの家の近くにある世田谷八幡宮には神楽殿があり、毎年の例大祭の際に江戸里神楽を上演しています。

神楽はもと宮中で行われていた行事ですが、やがて民間でも演じられるようになりました。それを里神楽といい、現在でも各地で上演されています。本神社では東京の若山社中というグループが出演しています。

里神楽私も神楽が好きで世田谷八幡宮の神楽を毎年見ていますが、江戸里神楽の演目は20以上あるそうで、毎年違う演目の里神楽が上演されるので興趣がつきません。

今年上演されたのは『三筒男神』という演目で、イザナギの命が黄泉の国から戻って体を清めると三柱の神々が誕生したという内容だそうです。

里神楽ほの暗い神楽舞台の中で、鮮やかな朱色の衣をまとったイザナギがさまざまな小道具を使いながらストーリーを展開します。それに二人の脇役が加わって、二十分ほどにわたって熱演していました。

神楽の細かいストーリーはよくわかりませんが、それでも舞台の前の広場に立って終わりまで楽しみました。

里神楽里神楽は、舞台上の舞はもちろんのことですが、それを盛りたてる神楽囃子(はやし)も非常に大事です。

今回の若山社中の囃(はやし)方は、太鼓一人、小太鼓一人、笛一人という簡素な構成でしたが、白髪の囃方のたたく太鼓がすばらしくテンポがよくて、さすが年季が入っていると思わせました。


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(2014/09/24(水) 07:34)

 奉納相撲/ 世田谷八幡宮
 八幡様は武道の神様なので、剣道、相撲などの道場が併設されていることがあります。ここ世田谷八幡宮の境内には立派な相撲土俵があり、秋の例大祭には奉納相撲が行われます。

当八幡宮の奉納相撲は、江戸時代には「江戸三大相撲」の一つといわれたそうです。その伝統でしょうか、この地域には相撲が盛んな学校、大学が多く、高校や大学の相撲選手権でも活躍しているようです。

奉納相撲/ 世田谷八幡宮世田谷八幡宮では毎年例大祭の前日の土曜日は宵宮祭ということで奉納相撲や演芸が行われます。

最初に宮司が祝詞をあげ、ついで土俵の四周を塩で清めて出場者の無事を祈ります。
その後この神社の近くにある東京農大相撲部の皆さんが、団体戦、個人戦を見せてくれました。

奉納相撲/ 世田谷八幡宮奉納相撲の前に世田谷八幡の氏子代表の方があいさつをしましたが、その中で、奉納相撲は祭りの余興ではなく神事の一環であると強調していたのが印象的でした。

昔は、奉納相撲は世田谷八幡近隣地区の対抗戦の形式で行われたそうです。奉納相撲の勝敗で来年の豊作、凶作を占ったとのことです。

奉納相撲は、大相撲とは違って行司の掛け声で一発立ち合いです。さばく行司も、やはり東京農大相撲部の役員のようでした。

熱戦ののち、行司が勝ち力士の名前を高らかに告げます。秋晴れのもと、満員の観客からは盛んな拍手喝采がおくられました。

奉納相撲/ 世田谷八幡宮


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(2014/09/23(火) 12:20)

 お祭りで金魚すくい
中国系食材 秋祭りのシーズンたけなわです。世田谷八幡宮は、ふだんは静かですが、例大祭などのお祭りのときと暮れ・お正月には大賑わいとなります。

この男の子は、江戸時代以来の祭りの姿でお父さんの肩の上に乗り大きな声をあげてはしゃいでいました。
やはり、お祭りには子供たちの姿がよく似合いますね。

中国系食材お祭りの人出をチャンスとみて、大鳥居の前から本殿の近くまでさまざまな露店がひしめくように並びます。

この女の子は祭りの露店でアンパンマンの笠を買ってもらったのでしょうか。
世田谷八幡の境内を歩き回ってくたびれたようで、ベンチに座ってお菓子をぱくぱくと食べていました。

中国系食材境内の露店の中に昔懐かしい金魚すくいをみつけました。
赤い帽子をかぶったボクちゃんが真剣な表情で小さい網(ポイというそうです)で金魚を追っていました。ボクちゃんはなかなかの腕前のようでした。

私も子供のころよく金魚すくいにチャレンジしましたが、網がすぐ破れてすくえなくなった記憶があります(涙)。

日本一の金魚産地である大和郡山市が、「全国金魚すくい選手権大会」を毎年8月の第3日曜日に開催しているということです。
今年で大会も20回を重ね、 これまでに約1万6千人の選手たちが熱戦を繰り広げてきたとか。 本年度のチャンピオンは、3分間でなんと45匹もすくい上げたそうです。

でも私どもがやってみると、とてもそのチャンピオンのようにはいかず、すぐにあえなくギブアップです。それでも何匹かすくえたら、その金魚はポリ袋に入れてあまり揺らさないで家に持ち帰りましょう。金魚は案外丈夫なもので、大事に飼えば10年ぐらい生きるそうです。

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(2014/09/22(月) 11:18)

 セ・リーグ戦終了まじか
駒沢給水塔

 日本プロ野球セ・リーグ9月19日(金)の巨人-ヤクルトの一戦は、巨人が6-3でヤクルトに勝ちました。これで巨人は2位広島カープスに6ゲーム差をつけ、リーグ優勝までのマジックは6にまで減少しました。

ここまでくれば、本年のセ・リーグペナントレースは読売巨人軍が95パーセントがた優勝を手にするといってよいでしょう。巨人ファンの皆さま、まずは本年はおめでとうございます。

広島カープス春先は広島カープスの勢いがすばらしく、本年は久しぶりにリーグ優勝が期待できるかと思われました。

特に、打線の中心エルドレッドが驚異的なペースでホームランを量産し、相手チームの恐怖の的になりました。

しかし、交流戦のあたりから次第に負けが込み始め、巨人にトップを譲りました。

タイガースまた、阪神タイガースはやはり交流戦ではよい成績をあげられませんでしたが、夏から秋のはじめにかけては外人2人のバッティングなどにより猛チャージをかけ、巨人にあと0,5ゲーム差までに追い上げました。

しかし、その後は勢いががくんと落ち込み、広島カープスにも抜かれて3位に後退しました。例年タイガースは9月に成績が落ち込むことが多いそうです。

巨人はこれまでの総得点はリーグで下から2番目、チーム打率はリーグで最下位という貧打だったそうです。しかし、チームの総失点はリーグで最少、投手の防御率もリーグで一番とのことで、少ない得点を投手陣の働きとバックの堅守で守りきって勝ってきたといえるでしょう。

しかし、ペナントレースの後にはCSの戦いがあります。広島カープス、阪神タイガースの両チームは、この短期決戦で貧打巨人に一泡を吹かせる活躍を見せていただきたいものです。
 
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(2014/09/20(土) 08:20)

 世田谷八幡宮例大祭
世田谷八幡宮 世田谷八幡宮は、戦国時代の16世紀に当時の世田谷領主吉良頼康が創建したといわれます。吉良氏は武道の神様である八幡大神をうやまい、八播神社を世田谷にいくつも建立しています。

道路に面して建てられている赤い大鳥居を通ると、参道の先にもうひとつ石造りの鳥居があります。

世田谷八幡宮石鳥居に向かって右側には小さな池があり、そこから小川が流れるように造ってあります。小川のほとりに赤い鳥居があり、その奥に小川を渡る赤い小橋があります。

その橋を渡ったところに「厳島神社」という小さな祠が置かれてあります。安芸宮島の厳島神社の神霊を勧請したものだそうです。

大鳥居をくぐると、高い樹木に囲まれて薄暗い中に高い石階段が伸びています。それを登ると広場があり、その正面に世田谷八幡宮の本殿がそびえています。大分県の宇佐神宮が全国の八幡宮の総本山とされますが、この世田谷八幡宮もまた宇佐神宮の分社だそうです。

世田谷八幡宮本殿は、下の写真のようにかなりの大きさがあり、なかなか堂々とした造りです。

世田谷八幡宮

世田谷八幡宮では毎年9月15日ごろの土日に秋の例大祭を開催しています。土曜日は宵宮祭ということで、奉納相撲や演芸が行われます。

日曜日は本祭で、神事のほかに神楽などが上演されます。また、各町会などの神輿がここで御祓いを受けた後、町に向かって繰り出します。

世田谷八幡宮大石段下にお祓い所が設けられており、そこに神社の神主さんが待機していました。

次々に到着する各町会などの神輿をここでお祓いして道中の無事を祈ってから、町に向かって送り出します。

各町会の役員の皆さんや神輿をかつぐ子供たちも、神妙な表情で神主さんのお祓いを受けていました。

世田谷八幡宮日ごろ静かな世田谷八幡宮の境内ですが、例大祭のときはいたるところ飲食店などさまざまな露店が設置されて、親子づれで賑わいます。

昔懐かしい金魚すくいも出店して子供たちの人気を呼んでいました。私も子供のころよく金魚すくいにチャレンジしましたが、網がすぐ破れてすくえなくなった記憶があります(涙)。

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(2014/09/19(金) 07:01)

 箱根・ポーラ美術館 (2)
 1883年、43歳のとき、モネはセーヌ川下流のジベルニーに移り住みました。以降、その近くの農村風景、水辺の風景、ノルマンディのルーアン大聖堂などを、制作のテーマとして取り上げるようになりました。

そのころから積みわらの微妙な光と影を描くようになり、30点にものぼる「積みわら」の連作が生まれました。下の絵画は「ジベルニーの積みわら」という作品で、1884年、モネ44歳のときの作です。

初期の「積みわら」は、積みわらとその周りの樹木、野原などをいっしょに描いた作品が多いようです。後期になると、積みわらだけを取り上げ、そのデリケートな色彩の変化を追及した作品が多くなります。

ポーラ美術館

 モネは、ロンドンのテムズ川に立ち込める霧が周囲の風景にどのように影響を及ぼすかに深い興味をいだき、ロンドンを訪れたそうです。その結果が、テムズ川にかかる橋の連作、そしてこの「国会議事堂」の連作として、現在に残っています。

モネのロンドン滞在は、1899年から1905年にいたるまで、数度にわたりました。「国会議事堂」の連作は、点数は数えたことはありませんが10点以上あるかと思われます。

ポーラ美術館にあるのは、下図の「国会議事堂 バラ色のシンフォニー」という作品です。ロンドン・テムズ河畔の国会議事堂が、朝焼けの霧の中、青いシルエットを浮かばせている構図です。1900年、モネが60歳のときの作品です。

ポーラ美術館

 ポール・セザンヌは、モネとほぼ同じ年に生まれ、1874年の第1回印象派展にも出展しました。しかし、やがてモネの印象派手法とは一線を画する幾何学的なフォルムの創造に没頭しはじめました。後世のピカソなどキュビスム作家は、セザンヌの影響を強く受けたとされます。

セザンヌは、生涯に60点以上もの静物画を制作したといわれます。世間から認められない時代が長く続いたので、手近にある静物を描いたのでしょうか。しかしその結果、現在では静物画の名作といえばまずセザンヌの名前があげられるようになりました。

下の作品は、セザンヌが54歳ごろ制作した「砂糖つぼ、梨とテーブルクロス」と題された静物画です。セザンヌは、洋ナシの形状の面白さに惹かれ、静物画によくとりあげました。それら対象物の形状ももちろんのこと、色彩のあざやかさも目を奪われるばかりです。

ポーラ美術館


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(2014/09/18(木) 07:56)

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