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 鶏卵の品質が不安
 鶏卵は子供から老人まで食べる基本的な食材です。私の家は鶏卵をそれほど使う方ではありませんが、それでも2、3日に一度はたまごを使った料理をします。
私は近くの食品スーパーで食材を買うことが多いのですが、その鶏卵が最近次第に品質が悪くなってきているのに気がつきました。

パソコン 最近、買った鶏卵を袋に入れて家まで持って帰る途中に割れてしまうことが何度かありました。

このごろの鶏卵は以前より殻が薄いようで、ちょっとしたショックで割れてしまいます。料理に使うために鶏卵を割る際にも、その殻が薄くなっているのを感じ、こんな鶏卵を食べていていいのだろうかと思います。

パソコン また、中身の鶏卵の品質にも、最近は不満を感じます。料理に使うために鶏卵を割ってボウルなどにとると、黄身が高く盛り上がっておらず、だれて横に広がっていることが多いのです。左の写真のように黄身が崩れてだれていることがあります。
黄身の色も赤みが薄く白っぽくて、なにか力強さが感じられません。

 私は昔少年のころ、千葉の田舎で暮らしました。そのころは家の裏に鶏舎があり、15羽ほどの鶏を飼っていて、私がそれら鶏のエサやりなどをしていました。

ハードディスク 鶏は日中は鶏舎から出して裏庭で放し飼いにし、勝手に餌を探させます。鶏は裏庭中を走り回り、地面をつついてミミズなどを探したり、草の葉をついばんだりします。夕方には鶏たちをまた鶏舎に追い込んで餌を与えました。
十分運動をした鶏は、実に食欲旺盛で、なんでも大量に食べます。

パソコン 近くの田んぼでとってきたいなごやザリガニをそのまま与えると、鶏たちはいっせいにとびかかってたちまち食べつくします。
いなごやバッタはもちろんのこと、硬い殻をもったザリガニも飛びついてくちばしでこつんこつんとつついてばらばらにしてゆき、最後は全部胃の中に収めていまいます。

めんどりは毎日のように鶏卵を生むので、十分な栄養が必要です。卵の殻を毎日形成するには、カルシュウム分が欠かせません。

パソコン 家で料理した魚の頭、骨、あらなども、よく鶏にえさとして与えました。
魚の大きな頭も、鶏はくちばしでくわえたまま頭を大きく振って少しずつちぎってゆきます。小さくなった肉片は、くわえたまま地面をつつくようにして口の中に押し込みます。鶏は歯がないので、胃の一部に砂を保持し、そこで飲み込んだ食物を細かく砕くそうです。

15羽もの鶏たちは、鶏舎の中で私が与える餌を奪いあって走り回った」り、羽ばたいたりの大騒ぎになりました。

このようにして十分な運動と栄養をとった鶏から生まれた卵は、当然殻が固く、中身の黄身も高く盛り上がって赤みがかった色をしていました。もちろん、その味はこくがあってまさにたまごの味がしました。
やはり現在の大型鶏舎で工業製品のように生産される鶏卵では、昔の卵の品質は願うべくもないのでしょうか。

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(2016/10/11(火) 07:10)

 外来種カメが増殖中
 暑い暑いといっているうちに夏が終わり、9月になってようやく秋の気配がしてきました。私の家のあたりでは、例年、世田谷八幡宮が9月の初めに秋の例大祭を開催します。

涼しくなった夕方近くに、ぶらぶらと歩いてその世田谷八幡宮の秋祭りに行きました。ふと見ると、境内の一角で大きな平たい容器の中でカメの幼生を多数入れて売っていました。たしか、この業者は昨年もこの同じ場所でカメの子を売る店を開いていました。

容器の中のカメは、よく露店などで見かける緑色の小型の種類です。まるでペンキを塗ったように鮮やかな緑色の子ガメが、互いに重なるように容器の中を元気に動き回っていました。

アカミミガメ

 近寄ってよく見ると、子ガメは目の横、耳と思しき部分が赤い色がついています。これらはアメリカ合衆国南部原産の「アカミミガメ」という種類で、幼生は体色が緑であることから「ミドリガメ」とも呼ばれるそうです。

アカミミガメの幼生は、縁日やお祭りでおなじみのカメすくい、カメ釣りなどに利用されて子供たちに人気があるため、アメリカ合衆国南部など海外から大量に日本に輸入されています。

しかし、アカミミガメは、幼生は可愛らしくてもやがて成長して甲長が30㎝ほどにもなり、恐ろしいような姿になるので、飼い主がひそかに池や川などに遺棄する例が多いそうです。

下の写真は、私どもの家の近くにある馬事公苑の池で撮影したカメが甲羅干しをしている姿ですが、やはり目の横の部分に赤い色がついているので、アカミミガメであると思われます。

アカミミガメ

 アカミミガメは、成長して大型になり、生活力、繁殖力が強いので、池、川などにいる日本在来種のカメを次第に圧倒しつつあります。日本在来種のカメの卵を掘り出して食べてしまうことも多いそうです。

それを憂慮して、アカミミガメなど外来種のカメの販売、流通を規制しようという動きが始まったそうです。

販売業者は、ペット愛好者にアカミミガメなど外来種のカメはいずれ成長して大型になるので安易に飼育しないように教えてほしいものです。

アカミミガメ 私の家の近くで道路に面した軒先に水槽を置いてアカミミガメを長年飼育している人がいます。
もう10年以上飼育しているので、アカミミガメは大きく成長し、甲長が30㎝ほどになったものもいます。
しかし、この水槽の中で長年元気に育ってきたのですから、アカミミガメというのは非常に生命力が強いのでしょう。

アカミミガメ カメを飼っている水槽は、家の外に置いてあるので、冬は氷が張るくらいに水温が低下するでしょう。
アメリカ南部原産のアカミミガメはその冬の寒さに耐えるのでしょうか。

逆に夏は、水槽は強い陽光があたる場所に置いてあるので、小さい水槽の水温は30度以上にまで上昇すると思われます。

 飼い主は真夏には水槽に小さなよしずをかけて直射日光を遮っていますが、それでも水槽の水はお湯のようになるでしょう。

その過酷な環境の中で、アカミミガメくんたちは10年以上も生き延びて次第に大型に成長しています。その生命力の強さには驚きますが、それにしてもこのようにしてカメを飼うのはいかがなものかと思います。

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(2016/09/17(土) 06:30)

 夏季五輪のマラソン
 前回2012年のオリンピックは、イギリスの首都ロンドンで7月27日から開催されました。ロンドンは日本でいえば北海道の北に位置し、8月の平均最高気温は22.3度とのことで、真夏の開催でも参加したアスリートの皆さんは暑さに苦しむことはそれほどなかったと思われます。

ロンドンでのマラソン競技は、テームズ河畔などロンドン市街の狭いエリアを3周するという珍しいコースが使われました。エリザベス女王の居城バッキンガム宮殿から東にのびる 「ザ・マル」という大通りでスタート・ゴールが行われました。

ロンドンオリンピック ザ・マル(左の写真)は、バッキンガム宮殿前の広場から聖ジェームズ公園の北側を通ってウェストミンスターのトラファルガー広場に達する大通りです。
ご覧のように通りの幅は非常に広く、見通す限りまっすぐに伸びています。
両側に亭々たるプラタナスの大木が並んでいる大通りをランナーたちがゴールに向かって疾走しました。

 今回、2016年のリオ・オリンピックは、南米でははじめての大会で、シドニーオリンピック以来の南半球での開催になりました。

南半球ですから、私どもが暮らす北半球とはシーズンが逆になり、オリンピックが開かれる8月は北半球でいえば真冬になります。

リオデジャネイロは南半球の南緯25.6度に位置します。オリンピックの期間の気候は、台湾の南部にある都市高雄市(北緯23度)の冬とほぼ同じくらいといえるでしょう。
下のグラフで太い赤線はリオの平均最高気温を、細い赤線は東京の平均最高気温を示します。リオの8月の平均最高気温は25度ぐらいとのことで、マラソンランナーたちにとっては比較的楽な気温となりそうです。

リオオリンピック

超小型電動車 しかし、上記のような涼しい気温は、実は夏季オリンピックでは多くないのです。

2004年のアテネオリンピックでは、野口みずき選手が女子マラソンの金メダルを獲得しました。

8月の平均最高気温が33.5度と東京よりさらに高いアテネのことで、女子マラソンレースは夕方から行われたそうです。

北京オリンピック アテネでは夕方になっても気温はあまり下がらず、女子マラソンレース中に倒れる選手が続出しました。

アテネの次回、2008年に行われた北京オリンピックでは、マラソンレースが早朝7時半から行われましたが、それにもかかわらず途中棄権した選手がかなりの数にのぼりました。北京の平均最高気温は30.9度だそうです。

東京オリンピック さて、リオの次に2020年に開催される東京では、真夏は大変暑さが厳しく、赤道直下の都市クアラルンプル (マレーシア)より平均最高気温が高くなります。

その東京で8月に開催するのですから、大会での男子マラソン、女子マラソンは大変過酷なレースになることでしょう。きめ細かな暑さ対策が必要です。

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(2016/08/14(日) 07:23)

 地下式津波シェルター
5年前の2011年3月にはマグニチュード9の巨大地震が東北地方沖合いで発生し、東北地方で深甚なる被害が発生しました。この大災害で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

津波シェルター 津波の恐れがあるときには、ともかく高所に避難するのが肝要です。
海岸近くに小高い丘などがある地域では、そこに向かって走るのが命を救うことになります。
大阪市では、海岸近くのビルと契約して津波の際は近隣の住民を受け入れるようにしているそうです。

津波シェルター 太平洋沿岸の市町村では、海岸に津波が襲ってきたときに備えて避難タワーを整備する動きが多いそうです。高層ビルや高台が少ない地域で、「人工の高台」として国が推奨し、沿岸部の自治体で設置が進められています。

 しかし、防災の専門家の一部は、「避難タワーは住宅地に近いため誘導効果をもちやすい。しかし、避難タワーの中には耐久性、高さともに安全性に問題があるものもあり、想定以上の津波が来た場合、相当の犠牲者を生む危険性がある」と警告しています。

津波シェルター 最近は、家族など少人数の津波対策として左の写真のようなプラスティック製のシェルターが開発されてきました。軽量で津波に巻き込まれてもすぐに海面に浮き上がるので、その後救助がくるまで中でしのぐことができるそうです。

4名タイプは本体寸法が直径1.2mで48万円で販売されているということです。

 上の写真のものは、一家4人が1週間ほど内部に避難、救助を待つ形を想定しているということです。底部分は二重床になっており、携帯トイレや1週間分ほどの携行食糧は収納できるそうです。

しかし、海岸筋には漁民など多数の人々が日常の仕事をしているので、数十人が逃げ遅れて取り残される事態も考えられます。

津波シェルター そこで、海岸の近くにしっかりとした防水構造を持つ地下式津波シェルターを設置したらどうかと思います。
津波の際はシェルターの出入り口には数トン以上の水圧がかかります。通常の密閉扉などは簡単に突破されてしまいます。

津波シェルター そこで、津波シェルターの出入り口は潜水艦のハッチ(上の写真)と同じような堅固な構造にする必要があるでしょう。
海岸の近くに住んでいる人は、万が一の津波に備えて自分たち家族がいち早くシェルターに避難できるように貴重品や非常食、飲料水など最低限のものをかばんに入れておきましょう。

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(2016/03/13(日) 06:53)

 旧玉電と青ガエル
 1907年(明治40年)に渋谷区道玄坂上と世田谷区二子玉川園駅を結ぶ電鉄「玉川線」が運行を始めました。その後、玉川線は途中の世田谷区三軒茶屋駅と下高井戸駅の間を結ぶ路線も開通しました、

玉川線は当初は砂利輸送が主な仕事でしたが、やがて沿線人口の増加につれて地域輸送が主体になりました。

旧玉電 渋谷道玄坂上と二子玉川間の玉川線は、玉川通り(国道246号)を通行しました。左の写真は現在の駒沢公園の近くを走行中の玉川電車の姿です。
しかし、昭和30年代以降の高度成長期には自動車交通の渋滞に巻き込まれて運行が困難になり、ついに1969年(昭和44年)に廃止されました。

 世田谷区三軒茶屋駅と下高井戸駅の間を結ぶ路線は、専用軌道が整備されてその後も存続し、現在の世田谷線になりました。

玉川線末期に使用された車両のうち87 - 90号は、それほど使用しないまま1970年に江ノ島鎌倉観光(現・江ノ島電鉄)に譲渡され、同社の600形として使用されました。

同電車は江ノ電では一番大きな車両として活躍しましたが、新型車両の導入に伴い、1990年(平成2年)に引退しました。その江ノ島電鉄601Fの601号(元2代目87号)は世田谷区宮坂区民センター(世田谷線宮の坂駅前)に一般公開されています(下の写真)。

旧玉電

 1969年に渋谷区道玄坂上と世田谷区二子玉川園駅間の玉川線が廃止された後、1977年には地下鉄「新多摩川線」が開通しました。2000年にはその電鉄の名称は「田園都市線」に統一されました。

渋谷駅田園都市線出口からすぐ、ハチ公の近くに緑色の電車が置かれています。旧玉川線の最後に使われた「5000系」の車両を観光案内所に利用したものです。5000系車両はその愛らしいスタイルから青ガエルと呼ばれたことから、「青ガエル観光案内所」として親しまれています。観光案内所の中は当時の電車の内装そのままになっています。

旧玉電

 5000系車両は1977年(昭和52年)より長野電鉄への譲渡が開始されました。デハ5001号(下の写真)は譲渡先の上田交通で1993年に廃車となった後、静態保存のため東急に返却されました。

その後、同車両は、車体後部をカットし、台車や床下機器を取り外され、2006年(平成18年)10月26日から渋谷駅ハチ公口で昔の渋谷駅の写真とともに展示されています。

旧多摩電

 5000系車両は東急線からは1986(昭和61)年に引退し、その一部が九州・熊本電鉄に譲渡されました。各地で第二の人生を歩んでいた5000系車両はしだいに引退し、2015年3月以降、5000系車両の生き残りはこの熊本電鉄5101A号車ただ1両のみとなっていました。

 しかし熊本電鉄は、2016年1月8日、老朽化のため5101A号車「青ガエル」(下の写真)を2月14日に引退させると発表しました。

この最後の「青ガエル」は、今後の運転は1月10日から2月14日の間の7日間が予定されています。引退後、この「最後の1両」は熊本電鉄の北熊本駅で保存される予定だそうです。

旧玉電

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(2016/01/15(金) 07:10)

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