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 マドリード・オリエンテ広場
 スペイン・マドリードの中央にある王宮前には、オリエンテ広場という大きな広場があります。この広場は王宮の東側に位置することから、オリエンテ(東)広場と名づけられたそうです。

現在のオリエンテ広場は1941年に設計されたもので、広場の両端には下の写真のように美しい自然林が置かれています。それらの内側には、フランス式整形庭園を思わせる庭園があり、そこには多数の白大理石で造られたスペイン王たちの彫像が配されています。

オリエンテ広場

 オリエンテ広場に入り、方々歩き回って見ていると、ギターの音色が聞えました。その方向に行ってみると、若いギタリストが黒い箱の上に座ってギターを奏でていました。

その箱にはアンプとスピーカーが入っているようで、その音をバックにしてギターを演奏しているようです。このような 「カラオケ」 方式は、その後ヨーロッパ各地で若いストリート・ミュージシャンたちが利用しているのを目にしました。

やはり、ギター、マンドリン、バイオリンなどの楽器では、雑踏の中や屋外では音量が不足するので、こういう方法をとっているのでしょう。

オリエンテ広場

 このギタリストの演奏をしばらく聴いていると、相当な腕前であるのがわかったので、近寄って財布のコインを探しはじめました。すると、ギタリストは開けておいた自分のギターケースが風で閉まっているのに気がつき、それを開けてこちらを見ました(^_^)。

そこで、私はそのケースの中にお金を入れて、スペインの作曲家ロドリーゴの名曲 《アランフェス協奏曲》 をリクエストしました。

オリエンテ広場 左の写真は、オリエンテ広場にあった無名戦士碑です。碑裏の説明がスペイン語でわかりませんでしたが、1936年から始まったスペイン内戦の死者を弔うものかと思います。

戦争はどれも悲惨ですが、同じ民族が血を流し合う大規模な内戦は特にすさまじいものです。

アメリカ人作家アーネスト・ヘミングウェイは義勇兵としてスペイン内戦の人民戦線側に参加しました。

 スペイン内戦では、やがてドイツ、イタリアの支援を受けた右翼側が優勢となり、ついに1939年に首都マドリードが陥落してスペインにフランコ将軍の独裁政権が誕生しました。

ヘミングウェイは、パリに帰って国際義勇軍の経験をもとに長編小説 『誰がために鐘は鳴る』 を執筆し、1940年に発表しました。

この地区には、マドリード王宮のほかにオペラ座、セルバンテスのモニュメントがあるスペイン広場などマドリードの観光名所が多数集中しています。観光客を乗せた赤い大型観光バスが、オリエンテ広場の横の道路を曲がってスペイン広場の方向に走って行きました。

オリエンテ広場


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(2017/05/25(木) 06:54)

 スペイン旅行 ・ マドリード王宮 (2)
 スペインの首都マドリードにあるマドリード王宮は、歴代のスペイン王が暮らしてきた王宮で、オリエンテ宮ともよばれます。

マドリード地下鉄のオペラ駅で下車し、広大なオリエンテ広場を通りぬけるとマドリード王宮の正面に出ました(下の写真)。

マドリード王宮

 17世紀後半に入ると、スペインはなおヨーロッパの強国の一つではありましたが、次第にイングランド、オランダ(ネーデルラント連邦共和国)、フランスなどに圧迫されるようになっていました。

その時期の1683年にフランスのブルボン家出身のフェリペ5世が即位しました。フェリペ5世は、スペインの国威発揚のために、フランスのヴェルサイユ宮殿をモデルとした大宮殿の建設に着手しました。

そのマドリード王宮を正面から見ると、上の写真のように横幅が広い大理石造りでヴェルサイユ宮殿によく似ています。

マドリード王宮 王宮前のオリエンテ広場に、フェリペ5世の父フェリペ4世の騎馬銅像がありました(左の写真)。後ろ足で立ち上がった馬に乗り、手には笏のような短い棒を持っています。

フェリペ4世は、例のヴェラスケスの名画 「王女様」 に描かれている顔がとても長い王様で、マルガリータ王女のお父さんです。

 私どもは、残念ながら時間の関係でマドリード王宮には入れませんでしたが、王宮内部にはディエゴ・ベラスケス、カラヴァッジオ、フランシスコ・デ・ゴヤなどの傑作絵画が多数飾られているそうです。

現在では、2800室もある広大な宮殿のうちの50室が観光客に解放されており、マドリード観光の人気スポットの一つになっています。王宮内の見学は、残念ながら写真撮影不可だそうです。

マドリード王宮

 王宮内への入口は、下の写真のように衛兵たちによって警護されています。王宮は現在は国の重要施設なので、この入口から入場する際には衛兵によって荷物の検査が行われます。

衛兵たちは月に一度交代しているとのことで、その衛兵交代式がイギリスのバッキンガム宮殿の衛兵交代式と同じように観光客たちの大人気イヴェントになっています。

衛兵交代式は当日の正午に行われますが、それを見るために11時過ぎから観光客が長蛇の列をつくるそうです。

マドリード王宮

 王宮の南側にすぐ隣接して、尖塔をもつドームと鐘楼がそびえているのが見えました。マドリードの守護神といわれる聖女アルムデナを祭るアルムデナ寺院です(下の写真)。

この寺院の建築はネオ・バロック様式で、華麗なバロック様式の王宮とはややイメージが異なります。ドームと鐘楼の屋根が青灰色で、非常にエグゾティックな印象があります。

2005年5月には、この寺院で当時のフェリペ皇太子(現在のスペイン国王)の結婚式が行われました。フェリペ皇太子は身長2m近い体格で、1992年のバルセロナオリンピックではヨットの選手として出場しました。

マドリード王宮


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(2017/05/09(火) 07:23)

 オーストリア大統領選
 4月4日に行われたオーストリア大統領選でリベラル系・緑の党のファン・デア・ベレン元党首が勝利しました。投票終了後の暫定予測でベレン候補の得票率が53パーセント、それに対し対抗馬の極右・自由党のホーファー候補は46パーセントとわずか7ポイントの僅差でした。

オーストリアでは、近年中東や北アフリカから大勢の難民が流入し、社会問題化していました、反難民を訴える極右・自由党が多くの国民の支持を得て接戦になりましたが、リベラル系が僅差で勝利を収めました。

オーストリアは、概して温和で保守的な国民性です。そのオーストリアの大統領選で極右政党がここまで国民の支持を伸ばしたことで、難民・テロ問題の深刻さがうかがわれます。

オーストリア航空

 オーストリアは音楽の都とされる首都ウィーンをはじめ、芸術・文化資産で有名です。また、オーストリア国内にはウィーンやザルツブルク、グラーツの旧市街のほか、山岳鉄道や湖水地方など、バラエティーに富んだ9つのユネスコ世界文化遺産が登録されています。

下の写真のシェーンブルン宮殿は、ハプスブルク家の夏の離宮でマリア・テレジアとその子供達が過ごした部屋です。シェーンブルン宮殿にある1441室のうちもっとも重要な約40室が一般公開されています。

オーストリア航空

 オーストリア航空は1989年から成田 - ウィーン線を運航しており、私どもも数年前にその飛行機でウィーン、ザルツブルグを訪れました。オーストリア航空の成田 - ウィーン線は、16年夏ダイヤでは1日1便で運航していました。

オーストリア航空は2016年9月4日の成田発ウィーン行き便を最後に、日本路線から撤退すると発表しました。

日本旅行業協会(JATA)によると、2013年に日本からオーストリアを訪れた人は25万9184人でした。同年に日本からドイツへは71万1529人、フランスへは68万2384人が訪れているのと比較すると、やはりオーストリアは小さい国なので、航空機の利用者は少なくなっています。

オーストリア航空では円安による不採算をはじめとする収益性、日本市場の将来性やマーケットの状況を考慮して成田 - ウィーン線廃止を決定したそうです。

オーストリア航空

オーストリア航空はルフトハンザ・ドイツ航空の傘下に入っているため、9月4日以降の予約についてはルフトハンザ・ドイツ航空(LH)や同じグループのスイス・インターナショナル・エアラインズ(LX)などの他社便に振り替える予定です。

 ウィーン - 成田線の運休後、日本からウィーンへ向かうには、羽田へシフトしたANAとルフトハンザのドイツ路線の利用が主力になります。

首都圏では、ANAが羽田からフランクフルトへ1日2便、ミュンヘンへ1日1便、成田からデュッセルドルフへ1日1往復運航しています。
ルフトハンザも、羽田と成田からフランクフルトへ1日1便ずつ、羽田からミュンヘンへ1日1便運航しています。

これらの路線を利用した場合、羽田からミュンヘン経由は、羽田を午後0時30分に出発するNH217便でミュンヘン経由でウィーンへは総所要時間は14時間10分となります。

運休となった成田-ウィーン直行便では12時間でウィーンに到着するので、現在では2時間から3時間程度余分にかかるようになりました。

オーストリア航空


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(2017/04/23(日) 07:38)

 スペイン旅行 ・ マドリード王宮
 スペインの首都マドリードのダウンタウン西部に、長い歴史を誇るスペイン王室の王宮(オリエンテ宮)があります。その近くにはオペラ座、スペイン広場などもあり、マドリード観光の中心になっています。

マドリードの市部の人口は約350万人ですが、マドリード地下鉄(メトロ)は世界の地下鉄の路線長で10位以内の規模を持っています。

宿泊したホテルのすぐ近くにある駅でそのメトロに乗ってオペラ駅で下車し、マドリード王宮に向かいました。

マドリード王宮

漱石の跡 メトロのオペラ駅で下車して地上に出てくると、駅前の広場に大きな銅像が立っています。近寄ると、銅像の足元に"Isabel Ⅱ" と記されてありました。

コロンブスのアメリカ発見を支援したイザベル女王とは別人で、19世紀中ごろ、ナポレオンのスペイン侵略以降の混迷期の女王イザベル2世の銅像でした。

 スペインでは1868年に共和主義者がクーデターを起こしましたが、それにより、この女王は王位を追われたとのことです。この広場は、女王の名をとってイザベル2世広場と呼ばれます。

オペラ座の先、広大なオリエンテ広場の向こうに、壮大なマドリード王宮が見えてきました。フランスのヴェルサイユ宮殿と同じような横に広いつくりで、宮殿中央部の奥に大きなドームが見えます。
フランスのブルボン家出身のフェリペ5世という王様の命令で宮殿の建築がはじまり、30年を費やして完成したとのことです。

スペインは、樹木が少ないかわりに良質の石材を多く産出します。そのため、この王宮のような建築が多くなったのでしょう。マドリード・バラハス空港に着陸する少し前に、地上の山間に円形の石切り場がいくつか見えたのを思い出しました。

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 独裁者フランコ将軍がが1975年に死んだ後、スペインは立憲王制となりましたが、現在の王一族はこの宮殿には住んでおらず、郊外にあるマドリード王宮より小さなサルスエラ宮殿で暮らしているそうです。

現在では、2800室の広大な宮殿のうちの50室が観光客に解放されているそうです。宮殿には、ヴェラスケス、ゴヤの絵画をはじめ、見事な天井画、豪華な内装・調度、タペストリーなどがあるとのことです。

王宮前にあるオリエンテ広場という広場に、フェリペ4世の騎馬銅像がありました(下の写真)。フェリペ4世というと、例のヴェラスケスの 「王女様」 などの名画に描かれている顔がとても長い王様です。ヴェラスケスの描いた 「王女様」 のお父さんです。

紺碧のイベリアの空をバックに、しゃくを手にして馬上から前方を見つめている銅像でした。スペイン人は銅像が大好きらしく、大多数の広場にはなにか銅像が立っています。

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(2017/04/21(金) 07:33)

 ソフィア王妃記念美術館 (3)
 数年前の3月中旬、私どもはスペインの首都マドリードに旅行し、ピカソの名画 《ゲルニカ》 を展示しているので有名なソフィア王妃記念美術館を訪れました。

ソフィア王妃とは、現在のスペイン王室の王妃だそうです。その名を冠して1992年にオープンされたこの美術館には、20世紀のスペインを代表する絵画が集結しています。

私どもは、その日、朝早く地下鉄でアトーチャ駅に着き、そこから歩いてこのソフィア王妃記念美術館に入りました。数時間後、美術館内部の鑑賞を終えて出口に向かうところで、ふと窓の外を見ると、今朝通ってきたアトーチャ駅の駅舎が大きく見えました。

アトーチャ駅は、東京でいえば東京駅に当たる中央駅で、マドリード市内の地下鉄も長距離電車もここに集中しています。

青空文庫

ソフィア王妃記念美術館 ソフィア王妃美術館の入口には、ご覧のようなガラス張りのエレベーターが2基外付けされています。
ソフィア王妃美術館の建物は、昔は大きな病院であったとのことで、数百年の伝統のある建物です。その建物の外側にこのような超近代的なエレベーターをとりつけるというので、建築当時は大変論議がかまびすしかったそうです。

しかし現在では、これらもマドリードの名所のひとつとして市民にも観光客にも受け入れられるようになりました。

美術館内の1階の窓から外を見ると、美術館前の広場、隣の王立音楽院、美術館入場者の行列や観光客などがよく見えます。

ソフィア王妃記念美術館

ソフィア王妃美術館のすぐ横に、王立音楽院があります(下の写真)。この音楽院は、特にピアノ、ギターの分野で優れた卒業生を輩出していることで知られています。

スペインの大作曲家マヌエル・デ・ファリャやチェリスト・指揮者パブロ・カザルスも、この音楽院を卒業しました。

日本のピアニスト熊本マリさんも、ここのピアノ科で学びました。さらにギターについては、日本人のギタリストでここのギター科で研鑽を積んだ人は数え切れないほどです。

私どもにとっても、昨晩遅く市内のフラメンコ・タブラオで聴いたギターの音色がこの音楽院から聞えてくるように思われます。

ソフィア王妃記念美術館

 美術館前の広場を出て、またアトーチャ駅に向かって歩き始めました。ふと道路の向こう側を見ると、下の写真の大きな建物がありました。後で調べると、スペインの農林水産省のようでした。なお、この建物のすぐ北側は、王立植物園になっています。

スペイン人はなにしろ銅像が大好きなようで、官庁などの大きな建物は、たいてい国旗を掲げると同時に屋根にこのような銅像をのせています。日本の農林水産省などの官庁の建物で、このようなクラシックな銅像を飾っている例は聞いたことはありません。

ソフィア王妃記念美術館


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(2017/03/30(木) 07:45)

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