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 リンドバーグの墓
 最近、テレビでアメリカの飛行家チャールス・リンドバーグの番組を目にしました。リンドバーグは1927年に単発プロペラ機でニューヨーク・パリ間の大西洋単独無着陸飛行を行った人です。

昔、ワシントンの国立航空宇宙博物館に行ったとき、リンドバーグが乗った単発機スピリット・オブ・セントルイス号の実機が大きな展示室の天井に吊り下げられていたのを思い出しました(下の写真)。

リンドバーグの飛行機

 インターネットで調べると、リンドバーグは第二次世界大戦後の1953年に自分の大西洋単独無着陸飛行について書いた "The Spirit of St. Louis" という本を出版しました。

著書はまもなく日本語に翻訳されましたが、その題名は 『翼よ、あれがパリの灯だ』 とされたので、日本ではこの題名で有名になりました。

 1927年5月、リンドバーグは、自分が設計した単発機に乗ってニューヨーク・ロングアイランドの飛行場を飛び立ちました。

カナダ沖の大西洋上を東の方向に飛行し、11時間後には1100マイルを飛行して北米大陸の東端であるカナダ・ニューファウンド島のセントジョーンズ上空を通過しました。

ここから先は大西洋の海原が広がるのみで、予定では東に1980マイル飛行するとアイルランド南端に出るはずです。リンドバーグは、飛行高度、羅針方位、エンジンの回転数などを今一度確認し、意を決してスピリット・オブ・セントルイス号を東の方向に進めました。

リンドバーグの飛行機

 強い西風に乗って、スピリット・オブ・セントルイス号は予定より2時間以上も早くアイルランド南端のディングル湾に到達しました。

ニューヨークの飛行場を飛び立って34時間後、スピリット・オブ・セントルイス号は大西洋を渡ってパリのル・ブルジェ飛行場に着陸しました。

リンドバーグは、1929年に駐メキシコ大使の娘アン・モローと結婚し、翌年長男が誕生しました。しかし、3年後の1932年にその長男が誘拐され、殺害されました。

その事件の後、リンドバーグは次第に人間不信から厭世的になり、太平洋戦争終了後は妻アンとともにハワイ・マウイ島に建築した別荘で暮らすことが多くなりました。

70歳を過ぎたころリンドバーグはがんに冒され、1974年夏、医者から余命がいくばくもないと告げられました。リンドバーグは、病院で延命治療を受けるより愛するマウイ島で最後を迎えるほうを選び、8月にアメリカ本土を去ってマウイ島の別荘に入りました。

リンドバーグの飛行機

リンドバーグは直ちに自分の葬式の仕方を周囲に指示しました。墓はマウイの石灰岩を積み上げて作り、その中央に自名を刻んだ金属のプレートを置くことにしました(上の写真)。

まもなく、リンドバーグは8月25日に72歳の生涯を終えました。その葬式はマウイ古来の様式で行われ、島の4人のコーラスが 「天使のお迎え」 というハワイアンソングを唄って故人を葬送したそうです。


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(2017/08/25(金) 07:23)

 テームズ川・宝島のパブ
 ロンドン観光の一日、テームズ川の西岸から大時計塔ビッグベンがあるので有名なウェストミンスター橋を渡ってテームズ川東岸に行き、大観覧車ロンドン・アイの近くに来ました。

下の写真は、そのあたりからウェストミンスター橋の一つ下流のハンガーフォード橋を撮影したものです。手前に鉄道橋があり、その向こう側にゴールデン・ジュビリー・ブリッジという歩道橋があります。

先日行われた世界陸上ロンドン大会のマラソン競技は、このあたりのテームズ河畔をはじめ、ロンドン市内を4周するコースで行われました。マラソン競技の実況中継でご覧になった方も多いでしょう。

テームズ川のパブ

 テームズ川の中を見ると、右側、ロンドン・アイのすぐ下に最近できたウォータールー・ミレニアム・ピアという船着場があります。この辺はテームズ川クルージング観光の目玉とされる建物が多く、大型の観光船がテームズ川にかかるたくさんの橋をくぐって行き交っています。

上の写真の左端、川の反対側には2隻の客船が停泊しています。後で調べてわかったのですが、それらのうち右側の白い客船はタターシャル・キャッスルという船でレストランとして使われているということです。

テームズ川のパブ

 写真でもっとも左側の青い船は、テームズに浮かぶパブとして利用されているもので、ヒスパニオラ号という名前だそうです。

ヒスパニオラとは、西インド諸島中部にあり、キューバ島に次ぐ面積を有する大島だそうです。1492年にコロンブスによって発見されました。

たしか、誰でも知っているR.L.スティーブンソンの小説 『宝島』 で、南海に宝探しに行く一行が乗った船がヒスパニオラという名前でした。

ロンドン観光の一夜、テームズ川に浮かぶ船のパブでグラスを傾けて宝探しのロマンを楽しむのもよろしいかと思います。

    
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(2017/08/13(日) 07:24)

 アムステルダム・ミュージアム広場
 アムステルダム美術館でレンブラント、フェルメールンなどの名画を鑑賞したのち、美術館に隣接する 「ミュージアム広場」 に向かって歩き始めました。

道路の両側には、空をかくすほど高い落葉樹の並木が続いていました。アムステルダムは北緯52.3度にあり、日本の北海道よりはるか北、サハリンの北部くらいの位置です。

その北国アムステルダムにもようやく春が訪れ、高い街路樹の枝には鮮やかな新緑が萌えていました。

ミュージアム広場

 ミュージアム広場の入口のあたりには、アムステルダムでよく見るクラシックな赤レンガの建物が多数建ち並んでいました(下の写真)。

よく見ると、それら建物には同じようなサイズの窓が連なっており、アパートのように思われます。

このような建物では、断熱性も悪く、密閉性もよくなく、アムステルダムの厳しい冬は過ごしにくいでしょう。また、内部の部屋も狭く、生活はあまり快適とは思われません。

それでも、パリ、ロンドンなどヨーロッパの大都市、アメリカの大都市の下町では、このような古いアパートをよく見かけます。日本の大都市ではほとんど考えられないことです。

ミュージアム広場

 アムステルダム美術館付近に広がる住宅地を抜けて、ミュージアム広場という大きな広場の入口に着きました。

この地区には美術館や博物館が多数設置されているので、それらの中央部にあるこの広場に 「ミュージアム広場」 の名がつけられました。

ミュージアム広場は、 アムステルダム美術館(王立博物館)の南、ゴッホ美術館の東側に位置します。広場の周辺にはカフェが多数あり、私どもはカフェの日よけ傘の下でコーヒーを飲んで一休みしました。

ミュージアム広場

 そのあたりで歩いてきた方向を振り返ると、アムステルダム美術館の巨大なファサード(正面)がそびえていました(下の写真)。

アムステルダムは大きな川の河口付近を埋め立てて造成された都市で、街中どこも広い空き地がほとんどありません。ミュージアム広場はそのアムステルダムでは最大の広場で、大規模なイベント、祝典などはここで行われることが多いとのことです。

ここには大きなプールがありますが、冬にはそれがアイススケートリンクとなり、若い市民たちで賑わうそうです。

ミュージアム広場


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(2017/07/20(木) 07:35)

 マドリード・スペイン広場 (2)
 スペイン・マドリードの観光名所スペイン広場に着と、その奥に巨大なセルヴァンテスのモニュメントが立っているのが見えました。モニュメントの下には、セルヴァンテスの著書 『ドン・キホーテ』 の登場人物ドン・キホーテと従者サンチョ・パンザの銅像が置かれてありました。

大劇作家ウィリアム・シェークスピアは1600年に傑作 『ハムレット』 を発表しましたが、セルヴァンテスの 『ドン・キホーテ』 はその4年ほど後に書かれたものです。

スペイン中部ラ・マンチャの小村の領主であったドン・キホーテは、中世騎士物語を夢中になって読みふけったあまり、現実と物語との区別がつかなくなってしまいました。

とうとう意を決して、ドン・キホーテは先祖伝来の破れ甲冑に身を固め、ロシナンテというやせ馬に乗って旅に出ます。

自分の屋敷の雑用をしていたサンチョ・パンザという農夫には、「お前を島の王にしてやろう」 と言い含めてこの旅に従わせました。

ドン・キホーテ

 長い槍を持って遠くに見える巨人(実は風車)を指しているのでしょうか、馬上のやせたドン・キホーテと、ロバに乗った肥ったサンチョ・パンザのコンビがユーモラスです(^_^)。

私どもが行ったときは、広場の花壇には色とりどりのチューリップがちょうど花盛りでした。そのチューリップの花が広がる向こうに、ドン・キホーテとサンチョ・パンザ主従の銅像が立っていました(下の写真)。

私どものような観光客やスペイン各地からのお上りさんと思われる人々が、ドン・キホーテ主従の銅像を盛んに撮影していました。

ドン・キホーテ

 実は、私は小説 『ドン・キホーテ』 をきちんと読んだことがありません。何度か読み始めましたが、正直な話、この小説は読みやすいものではありません。読んでいるうちに、くどい言い回しなどに嫌気がさして途中で投げ出してしまうのです。

『ドン・キホーテ』 は、聖書についで多くの国で翻訳して読まれている小説だとか、過去の文学作品の人気投票一位とかいう話をよく聞きますが、やはり文学作品としての芸術性のほかに現代にまで通ずる普遍的な人間性を描いたのが評価されているのでしょう。

ペイン広場

太陽光発電 セルヴァンテスのモニュメントの最上部には、地球を思わせる石の球があり。その下には数人の人物像が置かれてありました。よく見ると、スカートをはいた女性たちの像のようです。

小説 『ドン・キホーテ』 中にはさまざまな女性が登場しますが、上記の女性像はそれら小説中の女性たちを示すものでしょうか。


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(2017/07/12(水) 06:57)

 アムステルダム美術館
 私どもは、ロンドンを経由してオランダ・アムステルダムに着きました。空港で 「アムステルダムカード」 を購入しましたが、それには公共交通機関が追加料金なしで乗れる交通券が付いてきました。

今朝は、この交通券を使って市内南西部の美術館地区に行こうと思います。ホテル前にあったトラム(市電)停留所で2番という線に乗って、10分ほどで王立博物館(アムステルダム美術館)の前に着きました。

アムステルダム美術館は、1885年に建てられたヨーロッパ初の美術館とのことで、ツインタワーを有する荘重な建築です。

アムステルダム美術館

 しかし、現在この美術館は6年越しの大改修をしていて、フィリップス棟という区画だけが公開されているということです。そのため、この正面からは入場できないとのことでした。

そこで、また市電に乗って一つ前の停留所まで引き返し、その近くに設けられてある仮入口から入場することにしました。

市電の停留所から少し歩くと、アムステルダム美術館の建物が見えてきました。下の写真に見られるように、赤レンガ造りの重厚な建築で、現代の建築に比べて窓が少なくその面積も小さいようです。

アムステルダム美術館

 アムステルダム美術館は、現在は下の写真のアーチ門が仮入口になっているようです。門の両側に現在の展示を知らせるのぼりが立っていましたが、そこにはオランダ語が書かれていて私どもにはよくわかりません。どうやらレンブラントなどの名作の展示をしているようです。

私どもは朝一番でホテルを出てここに来たので、この仮入口のあたりには並んで入場を待っている人はだれもいませんでした。

アムステルダム美術館

 美術館がオープンするまで少し時間があったので、この仮入口のあたりをぶらぶらと歩き回りました。仮入口に入場者の行列がないので、別に美術館の入口で待っている必要はなかったのです。

仮入口内側の鉄柵の近くには、ヴィーナス像かと思われる彫像が置かれていました。鏡を手に取って自分の顔を映している像です。

下の写真で彫像の奥に見えるのは、美術館の外にあるアパートと思われる建物です。その建物も、アムステルダム美術館と同じく赤レンガで造られていました。

アムステルダム美術館

 鉄パイプで造られたアーチの上に植物が這い上がっていました。バラかと思われるのですが、まだ一つも花は咲いていませんでした。イギリスやオランダなどの北国では、普通のバラは東京より2ヶ月ほども咲くのが遅れるそうです。

それでも、この北国にもようやく春が訪れ、新緑が萌え始めたのを見ることができました。

アムステルダム美術館


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(2017/06/18(日) 07:18)

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