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 箱根早雲寺・枯山水庭園
 戦国時代初期の武将北條早雲は、16世紀はじめに伊豆・相模を制圧しました。北條早雲は1519年9月に亡くなりましたが、その早雲の遺言により、北条二代氏綱が箱根湯本に早雲寺を創建しました。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐の際、当寺を含む一帯は焼き払われました。その後、江戸時代初期に北条氏が再興され、早雲寺の現在の本堂が再建されたということです(下の写真)。

箱根湯本

 創建当時は、早雲寺は関東随一の大寺といわれたそうです。箱根湯本の町は、もともと早雲寺の門前町として始まったとのことです。

しかし、現在では早雲寺の境内は狭くなり、江戸時代に再建された本堂があるのみです(下の写真)。

本堂内には、北条早雲の孫北条氏康の肖像画 「絹本著色北条氏康画像」 が展示されています。戦国時代に描かれたもので、神奈川県指定文化財になっています。

箱根湯本

 本堂の前に戻って、左側から本堂の裏ににまわると、早雲の三男北条幻庵の作といわれる枯山水庭園があります。

北条早雲の四男長綱は、和歌・連歌・茶道・庭園・一節切りなどに通じた教養ある人物で、幻庵と号しました。戦国時代初期を代表する文化人といわれ、さまざまな文化活動を行いました。

本堂の向かって左側に、「北条幻庵作枯山水香爐峯」 の標柱が立っていました(下の写真)。

箱根湯本

 この庭園は、裏山の斜面に大きな岩を配した造りで、鎌倉・室町期の禅寺の庭園様式を取り入れたものとされます。地味な庭園ですが、文化史上の価値が高いということで、史跡庭園に指定されています。

このあたりの裏山には、天然記念物のヒメハルゼミというのがいるそうです。しかし、裏山では方々でセミが鳴いており、どれがヒメハルゼミの声がなのかまったくわかりませんでした。

箱根湯本


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(2017/09/22(金) 07:11)

 北軽井沢・いのしし牧場 (2)
 インターネットで調べているうちに、北軽井沢に 「いのしし牧場」 があるのを知りました。貸し自転車屋のオヤジさんにだいたいの道筋を訊いて、そのいのしし牧場の方向に自転車で向かいました。

牧場に入っていくと、鉄柵で囲まれた大きなスペースの中にたくさんのいのししが歩き回ったり、寝転んだりしています。

そのスペースの高いところに鉄骨で組んだ通路がかかっており、私どもはそこからいのししの写真を撮ることができました。

この堂々たる体格のいのししくんは、顔を上げて私どもの方をにらんでいます。その風貌が、西遊記の猪八戒を思わせます。

北軽井沢

 いのししの中には、目が合うと、私どものほうに突進してくるものもいます。いのししは足が短いですが、草木が茂った山中でも時速40kmくらいのスピードで突進するそうです。

牧場は鉄柵で囲まれた大きなスペースですが、その内部は飼っているいのししの種類に応じてやはり鉄柵でいくつかに区分してあります。

こちらの区画に入っているいのししは、体つきが丸く太っており、体毛も上の写真のいのししより細く柔らかいように見えます(下の写真)。

イノブタといういのししと豚の交雑種があるそうですが、この区画ではそのイノブタを飼っているようです。

いのしし牧場

 通常、野生のいのししのオスと豚のメスを交尾させるとイノブタが生まれます。野生のいのししは繁殖期は年に一回ですが、イノブタは周年繁殖で季節を問わず1年中繁殖可能です。

イノブタの肉は、豚の肉のように脂くさくなく、歯ごたえがあっておいしいそうです。私も、昔、神奈川県厚木市の近くの温泉宿でイノブタの肉を食べたことがありましたが、現在ではそれがどのような味だったかは覚えていません。

下の写真は、小さい子供を連れたメスいのししです。このいのししも、ご覧のようになんとなくでっぷりと太っていて毛並みも薄く光っているので、イノブタと思われます。

私は昔子供のころ千葉県の田舎にいましたが、そのころ近所の農家で豚を飼っていました。その豚の子供は毛の色が白でしたが、このイノブタの子供は体毛がご覧のように赤褐色です。体つきも、豚の子供とちがって野生のいのししの子供に近いようです。

いわな

 野生のいのししの子供は、食用の瓜(うり)を連想させる横縞があるので、瓜坊(うりぼう)とよばれます。このイノブタの子供たちも、下の写真のように、少々ぼやけていますがやはり横縞があり、野生のいのししの子孫であるのがわかります。

鉄骨で組んだ通路から牧場の人がえさを投げると、これら瓜坊たちが土煙を上げて飛んできました。瓜坊たちは、やはり人間の子供と同じで非常にすばしこいので、写真を撮るのにだいぶ苦労しました。

いのしし


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(2017/09/14(木) 07:12)

 箱根・ポーラ美術館 (2)
 1883年、43歳のとき、モネはセーヌ川下流のジベルニーに移り住みました。以降、その近くの農村風景、水辺の風景、ノルマンディのルーアン大聖堂などを、制作のテーマとして取り上げるようになりました。

そのころから積みわらの微妙な光と影を描くようになり、30点にものぼる 「積みわら」 の連作が生まれました。下の絵画は 「ジベルニーの積みわら」 という作品で、1884年、モネ44歳のときの作です。

初期の 「積みわら」 は、積みわらとその周りの樹木、野原などをいっしょに描いた作品が多いようです。後期になると、積みわらだけを取り上げ、そのデリケートな色彩の変化を追及した作品が多くなります。

ポーラ美術館

 モネは、ロンドンのテムズ川に立ち込める霧が周囲の風景にどのように影響を及ぼすかに深い興味をいだき、ロンドンを訪れたそうです。その結果が、テムズ川にかかる橋の連作、そしてこの 「国会議事堂」 の連作として、現在に残っています。

モネのロンドン滞在は、1899年から1905年にいたるまで、数度にわたりました。「国会議事堂」 の連作は、点数は数えたことはありませんが10点以上あるかと思われます。

ポーラ美術館にあるのは、下図の 「国会議事堂 バラ色のシンフォニー」 という作品です。ロンドン・テムズ河畔の国会議事堂が、朝焼けの霧の中、青いシルエットを浮かばせている構図です。1900年、モネが60歳のときの作品です。

ポーラ美術館

 ポール・セザンヌは、モネとほぼ同じ年に生まれ、1874年の第1回印象派展にも出展しました。しかし、やがてモネの印象派手法とは一線を画する幾何学的なフォルムの創造に没頭しはじめました。後世のピカソなどキュビスム作家は、セザンヌの影響を強く受けたとされます。

セザンヌは、生涯に60点以上もの静物画を制作したといわれます。世間から認められない時代が長く続いたので、手近にある静物を描いたのでしょうか。しかしその結果、現在では静物画の名作といえばまずセザンヌの名前があげられるようになりました。

下の作品は、セザンヌが54歳ごろ制作した 「砂糖つぼ、梨とテーブルクロス」 と題された静物画です。セザンヌは、洋ナシの形状の面白さに惹かれ、静物画によくとりあげました。それら対象物の形状ももちろんのこと、色彩のあざやかさも目を奪われるばかりです。

ポーラ美術館


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(2017/09/08(金) 07:56)

 箱根湯本・早雲寺
 小田急ロマンスカーの終点箱根湯本駅は早川の渓谷の脇にあり、駅前を通る道路はその渓谷に沿って続いています。

箱根湯本駅前から道路を渡ると、すぐ早川の渓谷にかかる橋の上に出ます。岩石の層理のために階段のようになった川床を、早川の急流が白くしぶきをあげながら駆け下ります(下の写真)。

鮎釣りでしょうか、釣り人たちが、その急流の中にまで入って長い釣竿を振っていました。釣竿を勢いよく振うたびに、釣竿が強い真夏の陽光を反射してきらりと光りました。

箱根湯本

 戦国時代に伊豆を支配した北条氏五代の菩提寺として有名な箱根早雲寺は、箱根湯本の駅から歩いて10分ほどのところにあります。

箱根湯本駅を出て早川の渓谷にかかる橋を渡り、少し歩いて箱根湯本町役場のところから急な山道に入りました。

やがて広い街道に出て、それを箱根の夏景色を楽しみながらしばらく歩くと早雲寺の前に出ました。下の写真は、早雲寺の山門です。

戦国時代初期の武将北條早雲は、16世紀はじめに伊豆・相模を制圧しました。早雲は箱根・湯本の地を愛し、しばしば訪れたそうです。

箱根湯本

 北條早雲は1519年9月に亡くなりましたが、その早雲の遺言により、北条二代氏綱が箱根湯本に早雲寺を創建しました。

早雲寺は臨済宗大徳寺派の禅寺で、最盛時には本堂のほかに十を超える塔頭があり、さらに僧侶の寮舎が多数建ち並んでいました。

当時は、早雲寺は関東随一の大寺といわれたそうです。箱根湯本の町は、もともと早雲寺の門前町として始まったとのことです。

四代氏政のとき豊臣秀吉の小田原攻めにあい、早雲寺の堂宇は焼き払われました。その後、江戸時代になって再建されましたが、現在では江戸時代に再建された本堂があるのみです(下の写真)。

箱根湯本

 山門の左側には鐘楼があり、大きな古い梵鐘が吊されています。早雲寺創建当時からの鐘で、現在県の重要文化財に指定されています。

豊臣秀吉が北條氏を攻めて小田原に押し寄せたとき、石垣山に有名な一夜城を造りましたが、その際この鐘は一夜城に持って行かれ、軍勢の陣鐘として使われたといわれます。

早雲寺の境内には、豊臣秀吉が小田原攻めをしたときに使ったとされる井戸も残っているそうです。400年以上前から使われている井戸ということになります。

箱根湯本


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(2017/09/06(水) 06:47)

 北軽井沢・いのしし牧場
 群馬県草津と軽井沢の間にある北軽井沢は、北に草津白根山、南西に浅間山を望む風光明媚な高原地帯です。

軽井沢町は、外国人や実業家の別荘地から次第に発展し、現在では大規模な商業施設を持つにぎやかなリゾートとなりました。それに対し、北軽井沢は学者、大学関係者などの村から出発したとのことで、現在でもひなびた別荘村の雰囲気があります。

北軽井沢

 北軽井沢バス停の前にあった貸し自転車屋で自転車を借りて、北軽井沢の高原散策に向かいました。

インターネットで調べているうちに、北軽井沢に 「いのしし牧場」 があるのを知りました。貸し自転車屋のオヤジさんにだいたいの道筋を訊いて、そのいのしし牧場の方向に自転車で向かいました。

草原やまばらな雑木林の広がる北軽井沢の高原を、さわやかな晩夏の風に吹かれながら20分ほども自転車で走ると、道端の大きな自然石に白ペンキで 「いのしし牧場」 と書かれてあるのを見つけました。

いのしし牧場

 牧場の入口で挨拶して写真撮影の許可をいただきましたが、ふとその玄関先でなにか魚を焼いているよい匂いがするのに気がつきました。

見ると、ちょうどお昼どきだったので、イワナと思われる魚をたくさん串にさして赤い炭火で焼いています。

いのしし牧場から自動車で2、30分ほども走ると深い沢があり、このような立派なイワナがたくさん採れるのだそうです。

それにしても、釣ってきた大きなイワナを昼食に塩焼きにしてたくさん食べるとは、私ども都会に住む者にはなんともうらやましい限りです。

いわな

 いのしし牧場の奥のほうに歩いて行くと、草原の向こうに赤くさびた鉄柵で囲まれた大きなスペースが見えてきました。

さらに近づくと、鉄柵の中に褐色をしたいのししが歩き回っているのが見えました。体長は1.5メートルほどでしょうか。私どもが近寄るのに気がついたようで、こちらに向き直って身構えています。

いのしし


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(2017/09/04(月) 07:26)

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