梅の花憩いのとききく日記・ブログ
人気ランキング
  >> ホーム
  >> RSS1.0
プロフィール

yuttari7

Author:yuttari7
FC2ブログへようこそ!

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

 上野・不忍池 (2)
 東京・上野の不忍池の中にある弁天島から中道と呼ばれる遊歩道で不忍池の西岸に渡ることができます。中道は南北両方向にありますが、今回は南向きに歩き、湯島に近い不忍池西に出ることにしました。

不忍池の蓮池は、春から夏にかけて蓮の大きな葉で覆われ、8月ごろにはピンクや白の華麗な蓮の花が楽しめます。

上野・不忍池 その蓮も、やがて初冬になって寒さがつのるとともに大きな葉が徐々に黄ばんで勢いがなくなり、左の写真のように次第に枯れてきます。

池の中や岸辺などほうぼうに高く繁っているアシなどの水草も、10月末ごろから11月半ばにかけて黄褐色にかれてきます。

上野・不忍池この池はシベリアなど北方から渡ってくる水鳥の格好な越冬地になっており、この時期には雁など多数の水鳥でにぎわいます。

水鳥たちはここを根城にして都内のほかの池や湾岸まで翔んでいってえさをとるようです。雁の群にえさをやったところ、雁が大きな口を開けると口の中が赤いのが見えました。

上野・不忍池 池の中道を歩きながらあたりを見回すと、池の周辺はどこも秋の気配が濃くなっていました。

中道の両側には桜が植えられており、春の花見どきには歩きにくくなるほどの人出で賑わいます。しかし、この時期は桜はすでに黄葉が始まっており、葉の数もまばらになっています。

上野・不忍池 池の中道を渡って不忍池西に出てから池の南岸を少し東に歩くと、不忍池水上音楽堂があります。

昭和28年にオープンした野外音楽堂で、池を背にしたステージと約1000人の客席が造られています。
開閉式の屋根があるので、コンサートや集会などに便利に利用されています。


散策 | 固定リンク | トラックバック:0 | レス:0
(2017/11/19(日) 07:03)

 上野・不忍池
不忍池 不忍池(しのばずのいけ)は、上野公園の隣にあり、JR上野駅(しのばず口)から徒歩5分です。この一帯はかつては東京湾の一部でしたが、まわりが埋め立てられ、この池だけが残ったということです。

不忍池はこの界隈で貴重なオアシスとなっており、昔から下町庶民の憩いの場として親しまれてきました。

不忍池昔の不忍池はかなり大きかったということですが、次第に埋め立てられ、現在は周囲2Kmの池となっています。

一部が上野水上動物園として利用されており、残りはボート池、蓮池に区分されています。

池の蓮も水草も、次第に枯れて秋色が濃くなってきました。ボート池にも夏場の賑わいはなく、閑散としていました。

不忍池 上野公園下の不忍通りから池之端に出て、池の中央にある弁天島へ散歩道で渡ることができます。

弁天島には弁天堂があり、谷中七福神の一つである弁財天が祀られています。

弁財天は、もとは弁才天というインドにルーツのある水の神様で、芸術と技芸の神様でもあったそうです。

弁才天は、そのうちに弁財天と書いて商売繁盛の神様も兼ねるようになりました。この辺は、かなりてきとーなものですね(^_^)。以降、弁財天は江戸の商人たちの信仰も集めて現在に至っています。

お堂のまわりには、楽器の琵琶の形をした碑や琴の検校の碑などがたくさんあります。下の写真で左側が琴の八橋検校の碑、中央が日本舞踊の扇塚、右側が三味線家元の碑だそうです。現在でも、芸能界や花柳界の方々がここによくお参りに来るとのことです。

不忍池


散策 | 固定リンク | トラックバック:0 | レス:0
(2017/11/11(土) 07:03)

 次太夫堀公園の稲作
 世田谷区の西端、喜多見3丁目にある区立次太夫堀公園には、昔の世田谷の水田が復元設置されており、当時の水田・稲作の様子を現在にまで伝えています。

次太夫堀公園 公園のすぐ横を野川という大きな川が流れていますが、そこから水路で水を引き込んで、園内にかなり大きな水田が作られています。

春先には機械を使わない昔の方式で田起こしをし、その後苗を植えて稲作を始めます。

稲の植え付け、収穫などの農作業にはボランティアの皆さんが参加しているようです。

次太夫堀公園 稲の収穫は、現在はコンバインなどの農業機械で短時間で行われますが、昔は大変な作業が必要でした。

まず田んぼの稲を鎌で刈り取ります。次にそれを田んぼのあぜに作ったハザという丸太の棚にかけて、2週間ほど十分に乾燥させます。その後、乾燥した稲を農家の裏庭など作業場に運び込みます。

次太夫堀公園 左の写真は足踏脱穀機と呼ばれるもので、直径約50cmほどの円筒型の胴に逆V字型の針金を植えてあります。
踏み板を踏むと円筒型の胴が回転するので、稲の穂先を胴に当てて脱穀します。

明治時代に開発されましたが、その後全体の型や扱き歯などが改良されて大正時代に急速に普及しました。

次太夫堀公園 左の写真は唐箕(とうみ)という農機具で、脱穀された穀物ともみがらなどを手廻しの風車の風で選別するものです。じょうご状の部分から穀物を少量ずつ投下し、そこに風を吹き付ける仕掛けになっています。

明治時代に中国から導入されたものですが、一般の農家に広く普及したのは大正時代と言われています。



散策 | 固定リンク | トラックバック:0 | レス:0
(2017/11/09(木) 06:54)

 世田谷の農地 (3)
世田谷の農地 環状8号線の近くの住宅地で、かなり広い農地を見つけました。半分ぐらいを植木に使っており、残りを畑とビニールハウスにしているようです。

左の写真の老人が先代のご主人で、現在は息子さんが経営しているとのことです。畑で採れた野菜などは、ほとんど家の門のところで近隣の皆さんに販売しているそうです。

世田谷の農地世田谷の農家は、現在はこのように農と植木屋の兼営をしているところが多いようです。

畑の真ん中に大きな四角い井戸がありました。木の蓋がしてあって、その上にやはり木製のつるべが置いてありました。井戸の上には簡単な屋根が作ってあり、その下にはとうもろこしを乾燥したものなどを吊るしてありました。

浅間牧場 私は千葉県の田舎で生まれましたが、その地でも畑の中にこのような井戸が作られていたのを思い出しました。

井戸の横には手押し式の井戸ポンプがありました。家庭用のポンプより大型のものですが、かなり年期が入っていました。

東京で万一大地震が起こったときは、ここにくれば水を分けてもらえると思いました。

世田谷の農地 この農家では大きな角を持つオスヤギを飼っていました。

私も昔千葉の田舎にいたころヤギを飼っていました。ヤギは非常に食欲が旺盛で、野原で長い綱をつけてつないでおくと、動ける範囲の草をすべて食べつくしてしまいます。
この農家でも畑の草や野菜くずなどをこのヤギに食べさせているのでしょうか。


散策 | 固定リンク | トラックバック:0 | レス:0
(2017/11/01(水) 06:47)

 次太夫堀公園
 世田谷区の西端、喜多見3丁目に区立次太夫堀公園があります。次太夫堀の名は、代官小泉次太夫が江戸幕府開設前後に開削した農業用水に由来するとのことです。

次太夫堀公園は、古い民家を3軒移築した民家園を中心に、水田、水路、広場などから構成されています。公園のすぐ横を野川という大きな川(下の写真)が流れており、まだ公園の内外に世田谷の田園情緒が残っています。

次太夫堀公園

次太夫堀公園 「生きている古民家」 を今に伝えるのをテーマにしているとのことで、囲炉裏には毎日火が焚かれ、家の中や軒下には民具が置かれています。

野川側から公園に入ったところに、昔の農作業小屋を復元した建物があり、ざる、かご、鍬、ひしゃくなど当時の農機具、農具などが展示されていました(左の写真)。

次太夫堀公園また唐箕(とうみ)という昔の農機具もありました(左の写真)。

唐箕は、穀物を脱穀し、さらに脱穀された穀物ともみがらなどを手廻しの風車の風で選別する農機具です。
写真上部にあるじょうご状の部分から穀物を少量ずつ投下し、そこに風車をハンドルで回転させて風を吹き付ける仕掛けになっています。

次太夫堀公園 左の写真の農家は、江戸時代後期から世田谷区喜多見にあった民家を移築したもので、養蚕を行うのに適した構造になっています。

屋根の頂部に、囲炉裏の煙を逃がすための高窓が付いています。その煙で建物内部の部材やわらぶき屋根の裏側が燻蒸されるので、虫がつかず、長持ちするのだそうです。

古民家の座敷に上がり、この地域に産するお茶をいただくこともできます。井戸水を囲炉裏の鉄瓶で沸かして淹れたお茶は、格別の味です。

夏はこの座敷は風が抜けるのでとても涼しく、お茶をいただきながらつい長時間休んでしまいます。
 
散策 | 固定リンク | トラックバック:0 | レス:0
(2017/10/30(月) 06:57)

次のページ
copyright © 2005 憩いのとき all rights reserved.
Powered by FC2ブログ. / PHPウェブログシステム3 / ネットマニア