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 清澄庭園の秋
 清澄庭園は江東区清澄にある都立の公園で、地下鉄大江戸線の清澄白河駅から歩いて5分ほどのところにあります。

もとは江戸時代の長者紀ノ国屋文左衛門の別邸でしたが、その後三菱財閥の創始者岩崎弥太郎がそれを買取り、深川親睦園として利用しました。

清澄庭園は1923年に起こった関東大震災で大被害をうけ邸宅も焼失しましたが、その後東京市が修復を行い、現在は東京都の名勝に指定されています。

清澄庭園

 清澄庭園は園内に設けられた広い池(大泉水)を中心とする回遊式林泉庭園です。庭の建設当初は近くを流れる隅田川の水を引きこんで大泉水を維持していたそうです。

その大泉水には三つの中島が築かれてあり、池の岸からそれらには橋で渡れるようになっています。

大泉水のほとりには「涼亭」という銅板葺数奇屋建築の平屋があります。1909年(明治42年)に建てられたこの建物は、現在は東京都選定歴史的建造物に選定され、各種集会の施設として利用されています。

清澄庭園

 清澄庭園は中島を持つ広い大泉水が中心にあり、ツツジとサツキの植えられた「つつじ山」が築かれています。

また、園内には岩崎家が全国から集めたという名石が無数に置かれてあり、池の周囲にはそれらの石を配置した「磯渡り」が設けられています。

清澄庭園

清澄庭園 大正記念館は、大正天皇の葬儀に用いられた葬場殿を移設したものです。大広間、ステージや和室の控室を備えた集会施設で、南側一面ガラス張り窓からは、芝庭や池を望むことが出来ます。

大正記念館は太平洋戦争の戦災で焼失しましたが、後に大正天皇の皇后貞明皇后の葬場殿の材料で再建されました。

 大泉水の周囲の樹木は、春の花見、新緑、夏には滴るばかりの万緑、秋の紅葉と季節ごとに表情を変え、清澄庭園を訪れる人々を楽しませます。

また池には鴨などの水鳥、大きな緋鯉、錦鯉、多数のカメなどがいて、入園者が餌をあげると寄ってきます。

清澄庭園

 清澄庭園は、前記のように関東大震災で建物などに大きな被害を受けましたが、4000本の樹木のある庭園は市民の避難場所となり、2万人の人命を救いました。

岩崎家では、こうした庭園の持つ防災機能を重視し、翌大正13年破損の少なかった東側半分(現庭園部分)を東京市に寄付しました。それが、現在の清澄庭園の基になりました。


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(2019/11/23(土) 07:06)

 世田谷・聖公会神学院
 東京都世田谷区にはキリスト教の教会など宗教施設が多数あります。プロテスタント系の教会が多いようですが、カトリック系の教会やイングランド国教会系の教会もあります。

私の家から25分ほどのところに深沢の広大な住宅地がありますが、その奥に「聖公会神学院」という学校法人があります。

「聖公会」とは、イギリスの国教であるイングランド国教会の系統に属するキリスト教の教派で、自らをカトリック教会とプロテスタントの「中道」と位置づけているということです。

聖公会は日本では明治の初めごろから活動しているとのことです。聖公会神学院は聖公会の聖職者を養成する神学校で、1953年にこの深沢の地に移転してきたそうです。

聖公会神学院

聖公会神学院 聖公会神学院は、今日までに約600名の卒業・修了生(校友)を日本聖公会の諸教会・宗教施設やアジアなど海外の諸教会に送り出しました。
先日、深沢の住宅地を散歩しているとき、同神学院の門に掲示がしてあるのに気がつきました。
本日は一般公開をしていて、神学院の内部を見学できるとのことです。

聖公会神学院 日本では数少ない英国教会を見学できるとあって、さっそく神学院の門から入りました。
神学院内には、諸聖徒礼拝堂、本館、学生寮、教員住宅があります。
神学院の学生は原則として全寮制で、学生寮で共同生活をしています。

約3万冊の蔵書を備えた図書館もあります。

 礼拝堂の内部をのぞいたところ、神学生が研修するためのチャペルとあって、席数が少ない簡素な造りでした。

正面の祭壇は、カトリックのようなキリスト像はなく、ただ十字架が一つかかっているだけでした。

この日は、神学院の庭園で信者・協力者の皆さんがバザーを開催していました。キリスト教の教会では、秋にバザーを行うことが多いようです。

日曜学校のOB、OGや近隣の中高生ボランティアなどが献品を集め、秋空のもと、教会の運営に協力して働きます。

聖公会神学院

 私の家の近くにもプロテスタント系の教会があり、毎年秋にバザーを開催しています。私はキリスト教徒ではありませんが、ときどきその教会のバザーに献品をしています。

昔、私の子供が教会が運営している幼稚園に入っていたとき、毎年このようなバザーに協力したのを思い出しました。

聖公会神学院


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(2019/11/15(金) 07:24)

 神代植物園の沈床庭園
 東京都調布市にある都立神代植物園は、壮大な規模を誇る都内唯一の植物公園です。この地が植物園創設当時は神代(じんだい)村だったのでその名が付けられました。

植物園中央の広場の奥に沈床庭園があり、庭園全体が大きなバラ園になっています。沈床庭園の入口には古代ギリシャ神殿風のスカイシェルター(休憩所)があり、その前には大きな石像が立っています。

神代植物園

 沈床庭園は中央部に巨大な噴水を配置した左右対称の整形庭園になっています。その造りは、どこか箱根強羅公園の整形庭園に似ているように思われます。

噴水は、設定されたプログラムに従って次々に噴き上げる様子が変わり、ときには下の写真のように休憩所の建物を覆い隠すほど高く噴き上げます。

神代植物園

 沈床庭園の中央には長方形の大きな池があり、噴水は下の写真のようにその池の周囲に多数設けられています。

少し離れた場所から見ると、鏡のような池の上で多数の噴水がしぶきをあげながらラインダンスをしているように見えます。

神代植物園

 今回神代植物園に行ったときは、沈床庭園の周囲の森はすでにかなり黄葉が進行し、噴水と休憩所の建物の白さが黄葉と鮮やかなコントラストを示していました。

少し前まではバラ園は秋バラが花盛りだったのですが、現在はバラは残り少なくなり、バラの葉も次第に黄ばんでいました。

神代植物園

 下の写真は、数年前に12月の初旬に沈床庭園の周囲を撮影したものです。園地の一角に都内では珍しい落葉松(からまつ)の巨木の林があり、ちょうど黄落のときをむかえていました。

落葉松の林では黄落の時期には林全体が輝かしい金色になります。その後落葉松が落葉すると、日の光が林の隅々まで行きわたり、大変明るい風景になります。

神代植物園


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(2019/11/09(土) 06:55)

 青山墓地の秋(3)
 都立霊園では、管理料の支払者が不明になったいわゆる「無縁墓」が毎年発生します。青山霊園では、2003年からそれらを整理して新しい墓所を造成し、新規募集が再開されました。

都心に置かれた「ブランド墓」の募集とあって応募者が多く、2019年度の公募倍率(一般埋蔵施設)は15倍となり、抽選によって決められたそうです。

青山墓地

青山墓地 近代農業土木の祖といわれた東京帝国大学教授上野英三郎の墓を見つけました。上野は研究のかたわら各地で講演や技術指導を続け、20年間に3,000人を越える技術者を育成しました。
1925年5月、上野は大学で講義中に脳溢血で急逝しました。遺骨は関東大震災の被害の残る青山墓地に埋葬されました。

青山墓地 上野教授の愛犬ハチ公の墓を示す標柱を見つけました。標柱はハチ公の主人上野教授が眠る墓の外に立っていました。
ハチ公は、主人が亡くなった後も毎日渋谷駅前で主人の帰りを待ち続けましたが、現在はこの標柱の下で眠っています。
ハチ公は、体が大きく毛の色が白い秋田犬だったということです。

青山墓地 1870年生まれの政治家濱口雄幸は、大蔵大臣を経て1929年に内閣総理大臣に就任しました。
金解禁や緊縮政策を断行し、野党の反対を排除してロンドン海軍軍縮条約を結びました。
濱口首相は1930年11月東京駅で至近距離から銃撃され、それがもととなって翌1931年8月に死去しました。

青山墓地 乃木希典は1849年生で、日清、日露戦争で幾多の戦功をあげました。
大正元年9月、明治天皇御大葬の日、希典は夫人と共に殉死しました。
ご夫妻の墓所は、大谷石の石垣の上に鉄柵をめぐらしたつくりでした。
現在、乃木将軍ご夫妻は、墓所の中の自然石をそのまま使った墓に静かに眠っておられます。


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(2019/11/03(日) 07:20)

 馬術場の覆い馬場
 馬事公苑は、日本中央競馬会(JRA)の総合馬術競技場ですが、東京都から都市公園として指定されています。広大な苑内には馬術競技用の馬場、グラスアリーナの他に、長い走路、厩舎などがあります。

ここには国際級の馬術競技場があり、1964年東京オリンピックの馬術競技もそこで行われました。馬事公苑は、現在は2020年東京オリンピックに向けて大改築中で、一般者の立ち入りは禁止されています。

馬事公苑から道路一本を隔てた別敷地に同じくJRAの「覆い馬場(インドアアリーナ)」という大きな施設がありました。
名前の通り大きな馬場を建物の中に納めたもので、馬場の大きさは95m×42mもあったそうです。馬場の周囲には2,300人を収容する観客席が設けられていました。

この施設は雨天時の予備馬場として作られたもので、メインアリーナで競技が行われる際はその準備馬場として使われました。また、さまざまな室内馬術競技などにも使用されました。

数年前、馬事公苑がまだ一般公開されていたころ、私どもが行ったとき、なにか国際的な屋内馬術競技が行われたようで、馬場の壁には8カ国ほどの国旗が掲げられていました。

覆い馬場

覆い馬場 屋内馬場ですから、馬場はもちろんご覧のように砂でできています。
本日は公式競技とあって、馬場の四周に白い境界枠が設けらました。
日本馬術連盟主催の競技会では「ドレスコード」というものがあって、シルクハット、黒燕尾服、白キュロット、皮長靴などの着用が定められているそうです。

屋内馬場 白い枠で囲まれた馬場の中に馬を進めた演技者は、馬場内部に設けられたスピーカーで紹介された後、観衆に対して礼をし、演技を開始します。

馬場馬術競技はフィギュアスケートの「規定」のように定められた内容の正確さを競う演技ですが、見ていると味があって面白いものです。

シラサギ 覆い馬場の建物内には、馬術競技用グッズを販売する売店がありました。帽子からコート、キュロット、長靴など、格好のよい商品が並べられていました。
上記のように公式の馬術競技では黒い燕尾服など黒と白の服装が指定されますが、飛越競技などでは赤や青などのコートも許可されるそうです。


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(2019/10/18(金) 06:42)

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