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 NTT東日本研修センタ・紫モクレン
 NTT東日本研修センタはNTT東日本グループの総合研修所で、小田急成城学園前駅からバスで10分ほどのところにあります。
構内にはソメイヨシノが多数植えられており、春のシーズンには構内の一部が桜を愛でる人々に開放されます。

NTT東日本研修センタは64年もの歴史があり、広大な構内の各所には開所のころから生育してきたと思われる巨木が多数あります。

今回は私どもはソメイヨシノが満開になった時期にここを訪れましたが、構内の奥のほうに下の写真の紫モクレンの大木が樹いっぱいにみごとな花をつけているのを見つけました。

NTT東日本研修センタ

 私は昔から 木蓮 が大好きで、方々の木蓮を見てきましたが、これほどみごとな紫木蓮は他には知りません。紫モクレンの花が最も状態がよい時期に会うことができて、幸せでした。

構内にある大きな雑木林の中にも同じ紫木蓮の大木がかなりあったので、これらは植えたものではなく自然に増えたのでしょう。

ここの紫木蓮は、花のサイズが大きくまた王朝時代の打ち重ねのように花弁の内側が白く外側が艶やかな紫になっています。紫木蓮の大木がほとんど剪定されていないので、枝が地面に向かって大きく垂れ下がり、大きな花が私どもの顔の辺りで咲いていました。

NTT東日本研修センタ

 広大な構内には、時の流れに取り残されたように何十年も変っていない部分がたくさんあります。国木田独歩の短編小説 『武蔵野』 に描かれているような雑木林がありました。まさに、武蔵野の原風景を思わせる景観でした(下の写真)。

ソメイヨシノが満開になった時期なので、雑木林の木々はまだほとんど葉を落としたままです。わずかにこずえが芽吹き始めた樹木がありましたが、ブナの仲間でしょうか。この時期の雑木林は地面まで陽光がとどきますが、その日の光を受けて芽吹いた葉先が輝いていました。

NTT東日本研修センタ

 雑木林の奥のほうに入って行くと、なにか材木で組んだ四角い枠のようなものがありました(下の写真)。その木組みには 「あぶない」 という札が貼ってあったので、子供のための遊具などではないようです。

雑木林の木々から落ちてくる葉や昆虫などを採集して調査しているのでしょうか。太陽光電池は見当たらないので、林間の日射量を調査しているのではないと思われます。

木組みには 「あぶない」 という札が貼ってありましたが、子供たちがこれを見たらすぐよじ登りたくなりますね。

NTT東日本研修センタ


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(2017/05/21(日) 07:18)

 世田谷代官屋敷・土間
 東急世田谷線上町駅の近く、有名な 「ボロ市通り」 の中央部に、「世田谷代官屋敷」 という時代のついた建物があります。

世田谷代官屋敷は、江戸時代中期以来、彦根藩世田谷領20カ村の代官を世襲した大場家の役宅で、大場代官屋敷とも呼ばれています。

入口から家の中をのぞくと、広い土間があるのが見えます。私は、昔、千葉の田舎に住んでいましたが、土地の豪農の家にもこのような大きな土間があったのを思い出しました。

その土間には農機具、むしろ、収穫した作物などが置かれており、雨の日には農家は土間でさまざまな仕事をしていました。

代官屋敷の台所

 千葉の豪農の家にあった広い土間の一隅には、煮炊きをするかまどなどが設置されているのをよく見ました。この世田谷代官屋敷でも、下の写真のように土間に土と石で築かれたかまどがあり、その上に昔使っていた赤さびた大釜が載せてありました。

私が子供のころは、生家の土間にもへっついと呼ばれた大きなかまどがあり、そこで火を焚いてご飯を炊いたり煮物をつくったりしていました。

代官屋敷の台所

 代官屋敷のかまどの横に、太い丸太をくりぬいて作った臼がいくつかあり、それと組み合わせて使う杵も置かれてありました。

昔は、臼は餅を搗くだけでなく、栗や栃などの実を粉にしたり、乾だらなど魚の干物をたたいて柔らかくするなどにも盛んに使われました。

そこで、当時の豪農の家では、臼・杵はすぐ使えるようにいつもこのように土間に置いてあったのでしょう。

代官屋敷の台所

 かまどの近くの高いところには、下の写真のように小さな神棚が設けられてあり、火の神様が祀ってありました。

これは 「荒神(こうじん)様」 という神様で、家を火災から守り、家族の生命力となる食事を作る大切な場所である台所を守るとされます。

代官屋敷の台所 昔は、年末になると神社で正月のお札を買ってきて、家の中に貼りました。

神社では荒神様のお札も販売しており、それを買ってきて台所の神棚の近くに貼ったそうです。

毎朝炊いたご飯をひとつまみ荒神様の小さなお茶碗にお供えして、その日の無事を祈りました。


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(2017/05/17(水) 06:47)

 NTT東日本研修センター
 NTT東日本研修センターはNTT東日本グループの総合研修所で、小田急成城学園前駅からバスで10分のところにあります。大規模イベント開催の歳は、成城学園前駅との直通バスの便もあるそうです。

この施設は、もとは名前の通りNTT東日本グループの職員の研修に使われていましたが、現在では広大な敷地と充実した施設を生かして外部企業などの研修・講演会・イベントから宿泊・懇親会までを 「ワンストップ」 で提供してします。

NTT研修センター

 NTT東日本研修センターは、武蔵野の面影をとどめる約20万平方メートルの広大な敷地の中に、センタービル(下の写真左端)、研修棟6棟、宿泊棟12棟、大食堂などが設置されています。

成城駅からバスに乗り、研修センタ前で降りると、目の前に研修センターの門があります。そこから構内に入ると、広いメインストリートが伸びていてその先に大きなドーム屋根の講堂がそびえています。

NTT研修センター

 研修センターの構内には大小合わせて約120教室があり、少人数から最大3,000人規模の研修、会議、講演会、資格試験等の開催に向けてフレキシブルな会場選定が可能だそうです。

研修棟の屋上には多数の太陽電池のパネルが置かれており、春の日差しを受けて青く輝いていました。NTTは各地の通信基地、局舎の省エネ化、CO2排出量削減に注力していますが、これらの太陽電池パネルもその一環でしょうか。

NTT研修センター

 広大な構内には12棟もの宿泊棟があって、約1000名もの研修生を収容できるそうです。現在ではNTT東日本グループだけではなく、外部の会社や団体の社員研修もここで盛んに行われているとのことです。

その研修を受けている人たちでしょうか、ビジネススーツの若い人たちが、満開の桜の下に集まっていました。この時期のことですから、新入社員の研修かと思われます。

これほど素晴らしい環境の研修所は、都内では私は他に知りません。研修生も、ここで大いにレベルアップできることでしょう。

NTT研修センター


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(2017/05/05(金) 07:38)

 世田谷代官屋敷 (2)
 東急世田谷線上町駅の近く、世田谷ボロ市の会場として有名なボロ市通りの中央部に、世田谷代官屋敷があります。

世田谷代官屋敷は、江戸時代中期以来、彦根藩世田谷領20ヶ村の代官を世襲した大場家の役宅で、大場代官屋敷とも呼ばれています。

建物の南側から見ると、代官屋敷が中2階のある構造になっているのがわかります。そこは養蚕をする造りになっていると思われました。当時はこのように上階で養蚕をする家が多かったのでしょう。

代官屋敷

 南側の庭に面した入口から家の中をのぞくと、広い土間があるのが見えます。私は、昔、千葉の田舎に住んでいましたが、土地の豪農の家にもこのような大きな土間があったのを思い出しました。

土間には農機具、むしろ、収穫した作物などが置かれており、そこでよく縄をなったりしているのを見かけました。雨の日には、農家は土間でさまざまな仕事をしながら、雨があがって外の仕事ができるようになるのを待ったのでしょう。

代官屋敷

 土間に入って家の中を見回すと、下の写真のように周囲には板の雨戸がめぐらされてその内側には広い縁側が続いています。

この家が建てられた江戸時代にはガラス戸がなかったので、雨風や寒さを避けるにはこのような構造が必要だったのです。

南に面した広い縁側は、人が通るだけではなく、裁縫など家事をしたり、農家の軽作業をするのも使われました。

代官屋敷

 縁側の内側は、板間の部屋と畳座敷があります。普通、家の中央部にある居間や寝室は畳を置いた座敷になっていました。

水を使う台所、浴室などは板間になっていましたが、そのほかに農家では家の中でも軽作業をすることが多かったので、そのような作業部屋も板敷になっていました。

下の写真の部屋は、板敷になっていて部屋の壁際には養蚕用の大きな段棚がいくつも置かれていました。中二階の部屋だけではなく、この一階でも養蚕をしていたのでしょう。

代官屋敷


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(2017/05/03(水) 07:31)

 世田谷代官屋敷
 東急世田谷線上町駅から世田谷通りを渡ったところ、世田谷ボロ市の会場として有名な 「ボロ市通り」 の中央部に、「世田谷代官屋敷」 という時代のついた建物があります。

世田谷代官屋敷は、江戸時代中期以来、彦根藩世田谷領20カ村の代官を世襲した大場家の役宅で、大場代官屋敷とも呼ばれています。

世田谷代官屋敷は、大名領の代官屋敷としては都内唯一の存在であり、昭和27年11月3日、「都史跡」 に指定されました。

また、昭和53年1月21日、大場家住宅主屋及び表門の二棟が、近世中期の代表的上層民家としての旧態を保存しているということで、住宅建造物としては都内で初めて国の 「重要文化財」 に指定されました。

世田谷代官屋敷

世田谷代官屋敷 世田谷代官屋敷にはボロ市通りに面して上の写真の黒い大きな正門がありますが、通常はその門は堅く閉ざされています。

毎年年末と1月に行われる世田谷ボロ市、夏の「ホタル祭りとサギソウ市」などのイヴェントの際は、上の写真のように門が開かれ、その前には祝いの提灯が置かれます。

 正門を通って庭に入ると、江戸時代からのケヤキなどの巨木が立ち並んで日を遮っています。世田谷代官屋敷は、重厚な藁屋根の大きな家で、300年近く前からの世田谷代官の暮らしをほうふつさせます。

世田谷代官とは、現在では世田谷区長と世田谷警察署長とを兼ねたような役職でしょうか。この代官屋敷の建物は、大場家7代の盛政さんが1737年(元文2年)に建て直したものだそうです。

世田谷代官屋敷

世田谷代官屋敷 江戸時代には、世田谷代官屋敷の敷地内に江戸時代の奉行所など訴訟機関における法廷である 「お白洲(おしらす)」 が置かれていました。

現在では被告らをボロ市通りから代官屋敷に入れるための 「白洲門」 が残されており、その門の前に玉砂利を敷いたお白洲の跡が造られています。

 世田谷代官屋敷に沿って西側を通って、代官屋敷の南側に回りました。日当たりのよい南側には広い庭があります。昔は、ここには野菜の畑や養蚕のための桑畑が広がっていたのでしょう。

南側から見ると、代官屋敷の藁屋根の部分が小さくなっており、代官屋敷が2階建ての構造になっているのがわかります。

南側の庭から屋敷の2階の一部が見えますが、そこは養蚕をする造りになっていると思われました。当時はこのように2階あるいは中二階で養蚕をする家が多かったのでしょう。

世田谷代官屋敷


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(2017/04/11(火) 07:25)

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