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 世田谷の冬もみじ
ハナミズキ 私は旅行・四季の花などの写真サイト花景ギャラリーも運営しています。その中から冬もみじをご紹介します。
ハナミズキの葉は他に先がけて紅葉し、色あざやかな赤い実をつけます。1912年に東京からサクラの苗をアメリカに贈りましたが、その後アメリカからハナミズキの苗が日本に贈られました。

さくら それについで、サクラの紅葉が始まります。
桜の葉はまず黄色くなり、その後赤く変わるので、桜の紅葉は真紅にならず、明るく華やかさな赤黄色になります。
緑の葉が直接あざやかな真紅となるかえでとは、対照的です。
世田谷では公園や街路に桜が多数あり、晩秋には明るい紅葉になります。

なんてん 家の近くの烏山川緑道を散歩していたとき、なんてんの植え込みが紅葉しているのを見ました。
なんてんは、晩秋から初冬にかけて赤色の小球形の果実を多数つけます。
なんてんは、初冬には葉が次第に色づき、やがてつやのあるみごとな紅葉になります。縁起の良い木とされ、よく正月の飾り物に使われます。

うるしの葉 日本の「漆器」は、うるしの樹液を何層にも塗り重ねて制作します。そのうるしの木は、日本中に自生していますが、肌に触れるとかぶれることが多いので注意が必要です。私も何度かうるしにかぶれてひどい目にあいました。
うるしの葉は、秋が深まるとまず黄葉となり、その後次第に深みのある美しい紅葉になります。

かえで 環状8号線道路に近い高台に、瀬田4丁目広場という世田谷区が管理する屋敷があります。
その屋敷にカエデがたくさんあったのを覚えていたので、行ってみました。
運良く紅葉のタイミングはぴったりで、おまけにうまい具合に西日が当たってくれたので、真紅の紅葉が輝いていました。


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(2018/12/14(金) 06:55)

 森鴎外記念館
森鴎外記念館 作家森鴎外の旧宅が、文京区千駄木、鴎外文学ゆかりの団子坂をのぼったところにありました。
現在では地下鉄千代田線千駄木駅から歩いて3分ほどの場所です。

昔は、毎年秋にはこの坂の両側に菊人形の店が立ち並び、そこを訪れる客相手に団子を売る店が繁盛したとのことです。

 森鴎外は、この家に30年間住み、大正11年に60歳で亡くなりました。家の二階にあった書斎から東京湾が遠望されたことから、鴎外がこの家を観潮楼と名づけました。

森鴎外記念館 この家は、鴎外の没後、文京区立鴎外記念本郷図書館となりました。
1階には鴎外記念室が設けられ、鴎外の自筆原稿、手紙、日記や鴎外の作品が掲載された雑誌、鴎外愛用の品々などが展示されました。

鴎外記念室の入り口の壁に、鴎外のレリーフが置かれてありました。

森鴎外記念館 昔の郵便切手にこのレリーフの写真が使われていた記憶があります。
記念室の中には、鴎外の自筆原稿などのほかに鴎外の石像がありました。
それは、鴎外がアンデルセンの小説 『即興詩人』 の翻訳により読者人気投票で翻訳家第1位になったのを記念して出版社が作成したものだそうです。

森鴎外記念館 鴎外記念室の外にはさほど広くない庭がありましたが、それは鴎外が住んでいた当時の庭を復元したものです。
軍医総監だった人の家の庭としては、こじんまりとしたつくりでした。

鴎外は、この庭を大層愛し、そこに植えた沙羅の木(ナツツバキ)を賞して詩に書きました。

 その沙羅の詩を作家永井荷風が額に書いたものが鴎外記念室にありましたが、観潮楼の庭にはその石碑が置かれてありました(上の写真)。
荷風は観潮楼をしばしば訪れていたようで、荷風の日記 『断腸亭日乗』 に鴎外が晩年病気になり、やがて亡くなって葬式を行なった様子が記録されています。

森鴎外記念館 森鴎外が誕生して150年目の2012年(平成24年)の記念事業として旧記念館は撤去され、新たに「文京区立森鴎外記念館」が建設されました。
新記念館の地下1階展示室には、旧記念館収蔵の鴎外の記念品その他が展示されています。
2階には図書室、講座室があり、文学講座などに利用されています。


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(2018/12/12(水) 06:58)

 青山墓地の秋 (4)
青山墓地 青山地区は、明治になって大部分が墓地として使用されるようになりました。霊園内をさらに奥に歩くと、正岡子規門下の俳人内藤鳴雪の墓がありました。門下といっても、鳴雪は入門したとき46歳、師子規は26歳だったそうです。
なお、正岡子規の墓は、東京・田端の大龍寺という寺の墓所にあります。

青山墓地 尾崎紅葉は1857年生まれで、漱石や子規と同年です。紅葉は『三人妻』 などの風俗小説で人気作家となりました。1897年から 『金色夜叉』 を新聞に連載し、大評判になりました。

紅葉は、1903(明治35)年、35歳の若さで胃がんで死去しました。死んだのも、子規とほぼ同じ時期でした。

青山墓地 明治の外務官僚小村壽太郎は、日清戦争後の外務次官、義和団事件での講和会議全権、桂内閣の外務大臣を歴任し、日英同盟を主導しました。
小村壽太郎は、日露戦争後のポーツマス会議日本全権としてポーツマス条約を調印しました。

1911年11月26日、56歳で結核により没し、当墓地に葬られました。

青山墓地 ゴットフリード・ワグネルは、ドイツ出身のお雇い外国人です。東京大学などで教鞭をとり、また陶磁器やガラスなどの製造を指導しました。
1892年、61歳で没し、当墓地のドイツ風の墓所に埋葬されました。墓碑の旭焼のレリーフは関東大震災や戦災などで損傷しましたが、1982年に修復されました。

青山墓地 国木田独歩は、明治34年に言文一致体の文集「武蔵野」を著し、一躍注目されました。
独歩は初期の抒情的ロマン主義から、後年には自然主義傾向の作風に変わって行きました。明治41年、肺結核のため37歳で死去しました。独歩は熱烈なるクリスチャンでしたが、墓は写真のようにごく通常の形でした。


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(2018/12/10(月) 06:59)

 神宮外苑の銀杏並木
 地下鉄銀座線の外苑前駅で下車し青山通りを少し歩くと、 四列の銀杏並木のある広い通りが北に向かって開けます。
これが東京の代表的な風景の一つ、神宮外苑の銀杏並木で、広い通りの片側に二列づつ、合計4列の並木からなります。

その銀杏並木通りのはるか先に、クラシックな丸屋根の聖徳記念絵画館が小さく見えます。絵画館は夜にはライトアップされますが、この通りからの景観は実に見事です。

テレビ番組などでもよく登場する景色なので、ご覧になった方も多いことでしょう。

銀杏並木

銀杏並木 イチョウは 「東京都の木」 に指定されており、神宮外苑全体では150本もあります。11月から12月にかけてのシーズンには、並木も歩道も黄金色に輝きます。
並木の歩道の上にもまだみずみずしいイチョウ落葉が厚く散り敷き、あたりを見回しながら歩いたりしていると、滑って転びそうになります。

 銀杏並木は広い通りの片側に二列づつ植えられています。そのため、通りの両側の歩道は、上の写真のようにイチョウの巨樹の列に挟まれたトンネルのようになっています。

この時期にはイチョウがみごとに黄葉し、高いイチョウ並木の間からの木漏れ日があたりに反射して、歩道には金色の光が満ちていました。

銀杏並木

聖公会神学院 歩道の上でイーゼルを立ててこの景観をスケッチをしている方がたくさんいらっしゃいました。失礼ながら、気が付かれないようにちらりとキャンバスをのぞいたところ、見事な出来ばえだったので感嘆しました。
もちろん、銀杏並木の方々を歩いて写真を撮っている人々はもっとたくさん見かけました。

 特に、シニアと思しき方々が一眼レフを三脚に載せて熱心に撮影をしているのが目に付きました。

明治天皇とその皇后、昭憲皇太后のご遺徳を記念して明治神宮外苑が創設され、その中心に聖徳記念絵画館が置かれました。

その明治神宮外苑創建に先立って、1923年(大正12年)に銀杏並木が植栽されたということです。以来100年近くにわたり、この銀杏並木は広大な明治神宮外苑の入口を飾ってきました。

銀杏並木


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(2018/12/08(土) 06:53)

 武蔵御岳神社
 私どもは、ときどきJR青梅線を利用して奥多摩のほうに行くことがあります。その際、終点奥多摩駅の少し手前で「御岳神社」という駅を通りますが、その駅舎は神社のような堂々たる権現造りになっています。

ここが名高い御岳神社の最寄り駅だろうと思いましたが、これまでここで電車を降りて神社に参拝に行ったことはありませんでした。

御岳神社 今回インターネットで少し調べたところ、この御岳神社は紀元前の創建とされ、高い格式のある霊場ということでした。

そこで、快晴に恵まれた晩秋の一日、この神社を訪ねました。本神社は、正式には武蔵御嶽神社(むさしみたけじんじゃ)といい、武蔵御岳山(標高929m)の山上に置かれています。


御岳神社 古来山岳信仰の霊場だったので信仰者のための登山道が開かれていますが、登山道は大変けわしいので、一般の参拝者は御岳神社下まで通じている御岳山ケーブルカーを利用して登ります。
御岳山ケーブルカーは、山麓滝本駅から御岳山中腹標高830mのところにある御岳山駅までわずか6分ほどで登ります。

 御岳山ケーブルカーの平均勾配は22度もあり、関東一ということです。武蔵御岳山は、標高が929mもあり、東京近郊の山として人気の高い高尾山(599m)をはるかにしのぎます。

JR青梅線御岳神社駅からバスに乗り、御岳山ケーブルカーの乗り口山麓滝本駅に着きました。滝本駅のケーブルカー乗り場に立ってあたりを見回すと、このあたりはもう標高が407mもあるとのことで、下の写真のように森の木々はすでに鮮やかな紅葉となっていました。

御岳神社

御岳神社 少し待っていると、ケーブルカーの軌道の高いところから車両がゆっくりと下りてきました。
乗降客は相当多いので、ケーブルカーは約20分おき(冬期は昼間時間帯約30分おき)に運行されているそうです。

さっそくケーブルカーに乗り込んで、御岳山駅に向け登りはじめました。

御岳神社 ケーブルカーの車両定員は 135名とのことです。ケーブル軌道の中間あたりに軌道が二重になっているところがあり、そこで御岳山駅から降りてくる別の車両と行き違いをします。
大晦日にはケーブルカーは終夜運行し、武蔵御嶽神社への初詣客輸送を行うそうです。


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(2018/12/06(木) 10:09)

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