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 軽井沢バス事故から3年
 3年前の2016年1月15日午前1時55分ごろ、長野県軽井沢町の国道18号線碓氷バイパスの入山峠付近で、スキー客39人を乗せた大型バスがガードレールを突き破って道路脇の斜面に転落し、横転しました。

旧玉電 同大型バスは14日午後11時に東京都の原宿を出発し、長野県飯山市の斑尾高原のスキー場に向かっていました。
バスは斜面に転落したのち、大木に激突し、横転して大破しました。
この事故で、運転手2人を含む男性10人、女性5人の計15人が死亡し、大学生ら25人が負傷しました。

 インターネットで調べると、最近は東京都内各所からほうぼうの観光地に向かうバス便はルートがさまざまで本数も非常に多いのに驚きます。

私どももときどきそのような直通観光バスを利用しますが、東京都内の主要駅の近くからバスに乗り込んでホテルの玄関先まで直接行ける便利さは実にありがたいものです。

特にスキーツアーのバスの場合は、いったん東京都内でバスに乗り込めばあとは重いスキーをかついで歩かなくてもスキー場の近くのホテルにつけるメリットは大変大きいと思います。

また、そのような直通バスを利用したツアーの料金は、概して電車で行く場合よりやや割安に感じられます。それらがうけて、直通スキーバスの利用が伸びているのでしょう。

さて、その事故を起こした大型バスは、最終目的地が長野新潟県境の斑尾高原とあって、下の地図に見られるように、JR東日本新幹線軽井沢駅の南を西に向かって走行していました。

碓氷バイバスのつずら折りが続く山地を抜け、緩やかな下り坂になったところを走行中に、今回の事故が起きました(下の地図の赤丸)。

バス事故

 私は、毎年のように群馬県草津町にでかけますが、その際は新幹線軽井沢駅から路線バスで草津まで行き帰りします。
その関係で軽井沢周辺で路線バスに乗ることが多いのですが、確か10年ほど前に今回事故が起きた場所を路線バスで通ったのを憶えています。

ゆるやかな下り坂で道幅も狭くないところだったと記憶しています。とてもベテランのバス運転手が事故を起こすような場所には思われません。

また、当日は天候もよく道路は凍結していませんでした。警察の調査で同バスはかなりのスピードを出していたのがわかったそうですが、特に急ぐ理由もないのになぜスピードを出して走行したのでしょうか。

亡くなられた15人の方々のご冥福を心よりお祈りします。今回の大型バス事故の原因を調査し、このような悲惨な事故が二度と起こらないようにしてほしいと思います。


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(2019/01/23(水) 07:00)

 世田谷ボロ市2019新春
世田谷ボロ市2016新春 世田谷ボロ市は、東急世田谷線上町駅の近く、通称「ボロ市通り」で毎年12月、1月の2回、2日間ずつ開催されます。
2019年1月のボロ市は、さいわい快晴無風の好天気になりました。
ボロ市は、江戸時代の古着やぼろなどを売買する市がルーツで、現在も和服、襦袢、帯止めなどが多く売買されています。

 骨董品などが多いボロ市の中で、色鮮やかな長襦袢品を集めたコーナーがありました(上の写真)。女性客が足を止め、長襦袢の手触りを確かめていました。

ボロ市は世田谷の最大の年中行事で、例年一日に20万人以上のお客が来場します。さして広くないボロ市通りは、お客でいっぱいになって身動きもできないほどになります。

世田谷ボロ市2016新春

世田谷ボロ市2016新春 ボロ市通りに面している世田谷代官屋敷は、日ごろは黒い門を閉ざしていますが、ボロ市などのお祭りの時は門を開き、お祭りにきた客が門を通って代官屋敷に出入りできるようになります。
今回も代官屋敷はボロ市通りに面した門を開き、門の前に「祝」という大提灯を掲げて世田谷ボロ市を祝っていました。

世田谷ボロ市2016新春 骨董の露店も、たくさん出店していました。陶器、鉄器などなど、よくもこれだけ集めたと思うほどです。
なんと、ガラス蓋つきの箱に入った大きな蝶の標本が売られていました。
素人の私にはわかりませんが、このケースの中には希少な熱帯の蝶もピンで留めて納められているかも知れませんね。

世田谷ボロ市2016新春 ボロ市通りから世田谷通りに出たところで、前を歩いている女性が大きなリュックを背負っているのに気がつきました。
骨董屋さんがボロ市でさまざまな商品を仕入れて帰るところのようです。

リュックから長いものが飛び出していましたが、掛軸を数点買い求めたとのことでした。


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(2019/01/21(月) 07:25)

 世田谷区の成人式
 世田谷区では、例年1月中旬、区役所庁舎の中庭で「成人の集い」を開催しています。当日朝、東急世田谷線世田谷駅から歩いて5分のところにある世田谷区役所には、新成人の皆さんやそのご両親たちが続々と集まり始めました。

新成人の女性は、大多数が振袖姿で大きな白いショールをかけ、アップに結い上げた髪形です。
男性の方は、黒っぽいスーツを着た人が大多数でしたが、一部羽織袴の人も見かけられました。

成人式

 余計なお世話ですが、スタイルのよい女性ならスーツを着用してここに登場したら会場の注目を集めると思うのですが、いかがでしょうか。

学校を卒業して以来会っていない友達を見つけたのでしょうか、会場の方々で黄色い声で旧交を温めあっていました。同じ新成人の友達を探しているのか、会場の中で携帯電話をかけている人が多数いました。

成人式

成人式 友達やお仲間を見つけると、走りよって弾んだ声で話を始めます。それが一段落すると、お互いに携帯のカメラで撮影をしていました。
たしか数年前は成人の日に雪が降ったことがありましたが、本年は東京地方は概して気温が高い日々が続いており、この日もさいわい快晴無風の好天気になりました。

成人式 この新成人の男性は、羽織袴姿で手には大きな扇子をもっています。頭はきれいに剃ったスキンヘッドで、新春の陽を受けて光っていました。
仲間の新成人たちに囲まれて、盛んに冷やかされているようです。
突然、彼は扇子を広げても高くかざし、大きな声を張りあげて詩吟を唄いはじめました。

目黒不動 少し離れた大木の陰から、広場のあちこちをそっとうかがっている女性を見かけました。
やはり新成人の一人らしく、美しい振袖を着て、アップにした髪には赤い髪飾りをつけています。
でも、広場の中のお仲間たちに近寄る気配はありません。本命の彼がこの会場に来ているか、探しているのでしょうか。


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(2019/01/19(土) 06:32)

 旧玉電と青ガエル
 1907年(明治40年)に渋谷区道玄坂上と世田谷区二子玉川園駅を結ぶ電鉄「玉川線」が運行を始めました。その後、玉川線は途中の世田谷区三軒茶屋駅と下高井戸駅の間を結ぶ路線も開通しました、

玉川線は当初は砂利輸送が主な仕事でしたが、やがて沿線人口の増加につれて地域輸送が主体になりました。

旧玉電 渋谷道玄坂上と二子玉川間の玉川線は、玉川通り(国道246号)を通行しました。左は現在の駒沢公園の近くを走行中の玉川電車の姿です。
しかし、昭和30年代以降の高度成長期には自動車交通の渋滞に巻き込まれて運行が困難になり、ついに1969年(昭和44年)に廃止されました。

 旧玉川線の世田谷区三軒茶屋駅と下高井戸駅の間を結ぶ路線は、専用軌道が整備されてその後も存続し、現在の東急世田谷線になりました。

玉川線末期に使用された車両のうち87-90号は、それほど使用しないまま1970年に江ノ島鎌倉観光(現・江ノ島電鉄)に譲渡され、同社の600形として使用されました。

同電車は江ノ電では一番大きな車両として活躍しましたが、新型車両の導入に伴い、1990年(平成2年)に引退しました。その江ノ島電鉄601Fの601号(元2代目87号)は世田谷区宮坂区民センター(世田谷線宮の坂駅前)に保存され、一般公開されています(下の写真)。

旧玉電

 1969年に渋谷区道玄坂上と世田谷区二子玉川園駅間の玉川線が廃止された後、1977年にはそれに代わって地下鉄「新多摩川線」が開通しました。2000年にはその電鉄の名称は「田園都市線」に統一されました。

渋谷駅田園都市線出口からすぐ、ハチ公の近くに緑色の電車が置かれています。旧玉川線の最後に使われた「5000系」の車両を観光案内所に利用したものです。

5000系車両はその愛らしいスタイルから青ガエルと呼ばれたことから、「青ガエル観光案内所」として親しまれています。観光案内所の中は当時の電車の内装そのままになっています。

旧玉電

 旧玉川線の5000系車両は、1977年(昭和52年)より長野電鉄への譲渡が開始されました。デハ5001号(下の写真)は譲渡先の上田交通で1993年に廃車となった後、静態保存のため東急に返却されました。

その後、同車両は、車体後部をカットし、台車や床下機器を取り外され、2006年(平成18年)10月26日から渋谷駅ハチ公口で昔の渋谷駅の写真とともに展示されています。

旧多摩電

 5000系車両は東急線からは1986(昭和61)年に引退し、その一部が九州・熊本電鉄に譲渡されました。
各地で第二の人生を歩んでいた5000系車両はしだいに引退し、2015年3月以降、5000系車両の生き残りはこの熊本電鉄5101A号車ただ1両のみとなっていました。

 しかし熊本電鉄は、2016年、老朽化のため5101A号車「青ガエル」(下の写真)を2016年2月14日に引退させました。

この最後の「青ガエル」は、2016年1月10日から2月14日の間の7日間に最後の運転を行いました。引退後、この「最後の1両」は熊本電鉄の北熊本駅で保存されています。

旧玉電


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(2019/01/17(木) 07:10)

 飛鳥山公園冬景色
 1720年(享保5年)、徳川吉宗が、庶民が花見ができる場所として王子・飛鳥山に桜を植えるように命じました。その後、飛鳥山は江戸の行楽地の一つになり、明治6年(1873年)には上野公園などとともに日本最初の公園に指定されました。

1883年(明治16)には文明開化の象徴である鉄道が上野・熊谷間に開通しましたが、それが現在の東北本線・高崎線のはじまりとなりました。その鉄道で、上野の次の駅として王子停車場が誕生しました。

飛鳥山公園

 当時、王子周辺は一農村から近代工業地帯へと変貌を遂げつつありました。渋沢栄一の提唱により1875年(明治8)に抄紙会社(後の王子製紙)がこの地区に開業しました。

飛鳥山は、桜の名所として、また「東京開化名所」として大いににぎわうようになりました。現在は、東京都北区滝野川一丁目に都電荒川線の飛鳥山停留場が設けられています。都電荒川線は. 飛鳥山から王子駅前までは道路上の軌道を走るため、下の写真のように飛鳥山のふもとを都電と自動車がいっしょに走る姿が見られます。

飛鳥山公園

飛鳥山公園 2009年(平成21年)、飛鳥山に「飛鳥山公園モノレール」が開設されました。
東京都北区が運営する斜行モノレールで、だれでも無料で乗れます。
かたつむりに似た車両は、アスカルゴという愛称で呼ばれています。
アスカルゴは標高差17mを16人を乗せてゆっくりと登ります。

 飛鳥山公園の中には、3つの博物館があります、
北区飛鳥山博物館は地域の郷土資料を展示しています。
紙の博物館は、日本最初の洋紙工場だった旧王子製紙の収蔵資料を引き継いだ製紙記念館です。
渋沢史料館は、同地に本邸を構えていた実業家渋沢栄一に関する資料を収蔵展示する博物館です。

飛鳥山公園入口には岩山を模した石組みに大噴水が置かれています。大噴水のまわりは膝ぐらいの深さの水遊びエリアになっており、夏にはちびっ子たちが集まって大騒ぎになります。

飛鳥山公園

 公園の広場には、東京都交通局6000形電車 6080号が静態保存されています。1949年(昭和24年)、太平洋戦争終了後最初に製造された車両だそうです。
この電車は昭和53年まで飛鳥山公園わきの荒川線を走って乗客を運んでいましたが、その後は飛鳥山公園で子供たちの相手をしながらゆっくりと余生を過ごしています。

飛鳥山公園


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(2019/01/15(火) 06:59)

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